学校という空間では、どのクラスにおいてもムードメーカーとなるような生徒が一人や二人いるものだと思う。
いつでも教室の中心にいて、明るくて楽しいことが大好きで、時にお調子者で失敗しても笑って許されるような人。
彼は教師でありながらそんな人だったから、常に生徒と近しい関係を保っていて、私たち子どもの気持ちを汲み取るのが上手だった。
先生としての魅力を、彼自身の男性としての魅力だと受け取るようになったのはいつからだったろう。
同級生の男の子より彼と一緒にいたくて、他の先生ではなく陽日先生だから惹かれるのだと、自覚して受け入れるにはそれなりの時間を要したはずだった。
星月学園卒業の日、私は陽日先生に自分の気持ちを聞いてもらった。
その時の、恥ずかしそうな困ったような彼の表情は忘れられない。
もう随分と昔の話だ。



さらさらと額をくすぐる感触にうっすら目を開けば、私の前髪をもてあそんでいた指先が離れていくところだった。
ベッド脇にかがみこんで、視線の高さを合わせた彼は機嫌良さそうに微笑んでこちらを見ている。
もう一度触れた手のひらは頬をすべって、私は眠気とくすぐったさに目を細めた。
寝起きの私を気遣ってか、頬杖をついた彼はいつもより低めの声で囁いた。

「おはよう。悪い、起こしちゃったか?」

起こされた、という感じではなかった。
十分に睡眠をとって浅い眠りをただよっていたところに頭を撫でられたものだから、ふっと浮き上がるように目が覚めた。
さっきまで記憶の奔流が夢となって頭を埋め尽くしていたため、ふわふわした心地で彼の名前を呼んでいた。

「はるき、せんせい」

ごく自然に口をついて出た呼び名に、彼はぱちりと目を丸くした。
髪の色より少し濃い、甘く煮詰めたような琥珀色が大きくなって、戻る。
その様が綺麗で、なおも夢心地でぼんやり見つめ返していると、彼は空気をこぼすように笑った。

「懐かしい呼ばれ方だな。昔の夢でも見たのか?」

愛おしげで、それでいてわずかに戸惑ったような声音に、みるみる頭の芯が冴えていく。
ようやくはっきりした思考で「直獅さん」と、改めて呼べば「ん、」と短い返事が返ってきた。
そうだ、ここはもう保健室の白くて固いベッドではないのに。
一度だけ、ほんの出来心で苦手な教科を仮病でサボってしまった時に、血相を変えた彼が私の様子を見にきたのはずっと昔のことだ。
曖昧で微妙な距離ではなくなったけれど、先生と生徒というある種の特別で穏やかな関係も、私は決して疎んじてはいなかった。
あの頃は、こうして彼の隣にいられる未来なんて想像もできなかった。

「休みの日に限って、お前はお寝坊さんになるからな。気を許してもらえてるみたいで、俺は嬉しいけど」
「ごめんなさい」
「何を謝るんだよ。いろいろ思い出せて、懐かしかったぞ?」

彼の教え子という身分はとうの昔に終えたのに、年甲斐のない発言をしてしまって恥ずかしかった。
いつまで学生気分なんだ、と自分を叱咤する。
優しく言われるのが余計にいたたまれなくて、子ども扱いの撫でかたをする手のひらをやんわり押し返した。
直獅さんは、まだ大人の眼差しで私を見ている。

「その顔、やめてほしいです」
「まだまだ幼くて可愛い奴だなって、思っただけだよ」

むむむと口を曲げて不満を表せば、耐えきれず直獅さんが吹き出した。
お腹を抱えて、可笑しそうに声を立てて笑う。
一番言われたくないことを言われた私は視線を合わせないようにして拗ねるしかない。

「っはー…、悪い。怒らないでくれ」
「ひとしきり笑った人に何を言われても心に響きません」
「そうか?何を言われても?」
「…もちろん」
「じゃあ、名前。俺がからかいすぎたから、そろそろ機嫌を直してほしい。ほらおいで」

さっき何とか押しとどめた彼の手のひらが両方、しかも満面の笑みというおまけ付きで差し出された。
私は、直獅さんの温かくて安心する手のひらにめっぽう弱い。
ぐっと言葉を飲み込んで逡巡していると、首を軽く傾げた直獅さんが腕を引っ込めようとした。
あ、と思ってつい身を乗り出せば待ち構えたように腕を引かれて、簡単に捕まえられてしまった。
背中をゆるくさすられる感覚に、抵抗の言葉も出ない。
耳元で楽しそうに直獅さんの言葉が響く。

「お前って、素直だなぁ。いいこいいこ」
「やめてください、また先生呼びしますよ」
「っと、それは少し嫌だな。よしてくれ」

彼の焦った言葉がすべり出て、私の溜飲がいくらか下がった。
今さら先生と生徒ごっこをするほどではない年月を私たちは重ねてきている。
だから余計に、微睡みのなかで見た夢は懐かしく胸を焦がしたのだ。
今と過去の間で惑って、彼の名前を呼んでしまうくらいには。

「なあ、名前」
「はい」
「許してくれたなら、俺が今日一番聞きたい言葉をそろそろ言ってくれないか?」

抱きしめる力を緩めて、向き合って言葉を交わせるほどの距離を取った直獅さんが言う。
自信満々に笑う彼のこともすごく好きだけれど、私にしか見せない困った顔の方がずるいと思う。
彼が私に甘えていながら、甘やかされているようだ。
そんな風に頼まれては私が変な意地を張ることも適わず、直獅さんを見つめ返した。

「直獅さん、誕生日おめでとうございます」
「うん。ありがとうな」

とても満足そうに目を細めた直獅さんは、私をゆっくり抱きしめ直した。
どんな場所より落ち着く腕のなかでは、私ばかり欲しいものを与えられているような気分になる。
今日は私が彼に欲しいものをあげる番なのに、と思ったところで直獅さんがあのな、と口を開いた。
無邪気で明るい声が肌を通して響く。

「実は、今年のプレゼントにぴったりのものを考えてて」
「なんですか?教えてください」
「今日は一緒に出掛けよう。会わせたい奴らがいるから」
「…どこへ?」
「お前が卒業以来、一度も顔を出していない場所だよ」

私が驚いたのを、直獅さんは感じただろうか。
彼に縁がある場所でいて、私の母校といえばもう一つしかない。
卒業してからひっそりとお付き合いを始めたとはいえ、どこか後ろめたい気持ちが邪魔をして近付けなかった場所。
今頃どうして、という私の困惑が伝わったらしく、直獅さんは言葉を続けた。

「琥太郎センセと水嶋に、俺のお嫁さんになる人を会わせたいんだ」

彼らは私たちの関係を知っている。
学校外でなら四人揃って顔を合わせたこともある。
それを改めるということは、直獅さんに今の関係を変える意志があるということだ。
彼の言葉から察するに、おそらくはさらに深い繋がりへと。

「そうしたら、俺と結婚してほしい。このプレゼントをもらえたら、俺は一生大事にするから」

名前が決めてくれ。
直獅さんの言葉が終わらないうちに、私は身に余る幸福に目を閉じた。
いくつになっても、どれだけそばにいても、この人は私にとって誰より大きく、尊い。
彼が与えてくれるものに際限はなくて、私は言葉が出てこないままうなずいた。
はずみでこぼれ落ちた涙を拭ってくれる指先は優しくて、直獅さんはやっぱり困ったように笑っていた。





20130813
8/11 陽日直獅Happy Birthday.
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