ラムネって、好きだけれど苦手。 だって舌が痛くなっちゃうんだもの。 ガコン、と音を立てた自販機は沖から強く吹きつける潮風に年がら年中晒されているせいか、角のあたりが錆びていた。 しゃがみこんで取り出し口を細い指先で探る、小さな背中に向けた声は自分が思う以上に呆れた調子で響いた。 「だったら、買うのをやめたらどうですか」 「夏のラムネほど美味しいものはないんだよ、怜くん」 おどけた口調で、彼女が普段とは違う呼び方をするから、思わず肩をすくめた。 一度こちらを振り向いた名前は、あ、と呟いて再び自販機に向き直った。 硬貨を投入し、先ほどとまったく同じボタンを押す。 ガコン。 ボタンに赤く「売り切れ」の表示が出たところを見ると、彼女のように夏だラムネだとはしゃぐ輩は多いのかもしれない。 「ラムネを二本も飲むと胃が苦しくなりますよ」 「二本も?まさか、こっちは怜にあげる」 言うなり、ずいと差し出されたラムネを受け取らずにいれば「早く。ぬるくなるよ」と瓶を腹のあたりに押しつけられた。 ひやりと冷たい感触と、わずかに濡れた制服が肌に張りつく感覚が煩わしく、渋々受け取った。 さっそくビー玉を落とし込むことに集中している彼女は置いておいて、リュックの中から財布を取り出した。 「いくらです」 「何が?」 「奢られる理由もありませんし、こういうことはきちんとしておきたいんです」 硬貨を三枚ほど、先を歩く彼女へ差し出す。 いらないと突っぱねられるかとも思ったが、名前は素直に受け取ると手のひらにある硬貨をじっと見つめた。 もしかして足りなかったかと様子を窺えば、名前はぱっと顔を上げた。 「怜ってば、めんどくさいんだから」 その華やいだ笑顔がまぶしくて、熱気にあてられたような心持ちで目を逸らした。 彼女は、自分のことを幼い頃から「めんどくさい」性分と称した。 そう言われてしまう自分の性格に、自覚がないわけではない。 ただ、彼女以外の他人に同じことを言われたなら、考えるまでもなく自分は反論をしていただろう。 名前相手にそうしないのは、彼女の言い方がいつだって甘ったるく、明るくはじけていたからだ。 清々しさすら感じさせる物言いは笑顔と相俟って、自分を反抗心や苛立ちの及ばない彼方まで運んでいってしまうのだった。 「その緩んだ顔、だらしないですよ」 「だって怜が怒らないし、否定もしないから」 昔からそうだと言いたげな様子を見るかぎり、彼女も過去に思いを馳せているのだろうか。 まだ、自分が眼鏡をかける前。 彼女の名前を気兼ねなく呼び、敬語なんて使わなかった頃。 子どもの時分から細かいことを気にする性質だった。 周りは大概呆れるか奇異な目で見るかに二分化されていたが、自分の考え方を馬鹿にするでもなく笑って聞いてくれたのは彼女ひとりだった。 そばにいて、そんな顔で笑うから。 たまには何も気にせず生きてもいいんじゃないかって気の迷いを起こさせるほど、僕の中では存在が大きいから。 大切でありながら、少し苦手なひとだと思う。 「それにしても、最近の怜は表情が良くなったね」 「え?」 「何かいいこと、あったでしょう」 彼女の言葉に、最寄り駅から家までの道のりに延々と伸びる田園を見つめた。 単調な、理論と計算で形作られた日々が続くと思っていた。 それなのに、同級生に、先輩に、水泳部に振り回されて過ごしたここ数日はやけに騒がしく、色鮮やかで。 まるで自分のことのように嬉しそうな顔をする、彼女に見抜かれては敵わないと思った。 「どたばたしてたけれど、結局水泳部に入ったって?葉月くんが嬉しそうに話してたよ」 「…そうですか」 「いいねえ、青春。応援するよ」 軽く肩を叩かれて、なんだか生ぬるい気分になった。 まるで親か姉のような口振りをする彼女に、照れ臭さを覚えたのかもしれない。 そんな思いはいざ知らず、「青春したいなぁ」なんてぼやきながら幼なじみは隣を歩く。 飲み終えたラムネの瓶が彼女の指先で、ちりん、と涼しげに鳴る。 「すればいいじゃないですか」 「どうやって?帰宅部には無縁な話でしょ、青春」 「今度、僕の練習に付き合えばいい」 放課後、あのプールで。 葛藤の末に絞り出すように言えば、彼女はぽかんと口を開けた。 間抜けな顔をしたかと思うと、こちらをしげしげと覗き込んできたので視線を逸らした。 その程度でめげない彼女は僕の周りをぐるりと回るようにして追ってきた。 「…どういう心境の変化?本当に変わったね、怜。ううん、変わってるのは昔からだけれど」 「あなたは茶化さないと人の話を聞けないんですか…」 「ごめん、驚いちゃって。怜の性格なら、きちんと泳げるようになるまで練習なんて見られたくないって、思いそうだから」 それは、事実だ。 本当なら水面でもがき泳ぐ無様な姿など彼女に見せたくはない。 自分が泳げないことを知っていて、気に掛けてくれる彼女だからこそ。 それでも彼女を誘ったのは、予感がしたから。 あの色鮮やかな日常と、水泳部の空気。 きっとそこには彼女が羨む青春というものがある。 欲しがるものなら与えたい。 それに、昔から何をするにも一緒だった名前を今の自分のペースに付き合わせたいと思ったのが大きかった。 あの場所でも彼女は大きく笑って、僕の視線を捕らえて離さないだろう。 「名前にだから、見てほしいんですよ。あなたに感じる恥なんて、もう存在しないも同然ですからね」 こんな不器用な一言しか口にできない自分が悔しい。 これでは思ったことの半分も伝わらないだろう。 やはり自分は彼女の言うとおりめんどくさい人間だ、と溜め息を吐いて彼女を見やった。 そこにあった、きらきらと輝く瞳を見て、予想外の事態に自分まで目を丸くしてしまった。 どうして、彼女はこんなにも嬉しそうな表情を。 「怜が、私の名前を呼んだ!」 「え?あ、ああ…」 「嬉しい、すっごく久しぶり!怜の水着姿も長いこと見てないなぁ、楽しみ!」 「わっ、名前、」 勢いよく首に抱きつかれて、体感温度がぐっと上がる。 気恥ずかしさが拭えないまま、そばの彼女をちらりと見やると本当に無邪気に笑っていた。 こんな一言で、自分の欲しい笑顔が手に入るなんて。 体の奥がじわりと痺れるような幸福感に、抱きついて離れない名前の体をそっと支えた。 彼女の手の先で、ちりん、りんと鳴るラムネ瓶は、本格的な夏の訪れを告げていた。 ラムネ色の恋をしました 20130724 飛沫様へ提出 title by 依存 |