「足、出してください」 しずしずと畳に正座した竜ヶ崎くんが訳の分からないことを言った。 彼の部屋にやって来て辺りをきょろきょろと落ち着かない様子で見渡していた私は注意力が散漫になっていて、「はい?」と思わず聞き返してしまっていた。 竜ヶ崎くんは神経質そうに眼鏡を持ち上げる仕草をして、繰り返した。 「ですから、足を出してください、と」 「えっと、ごめん。聞こえてはいたんだけど…どういう意味かなって」 「そんなことも分からないんですか」 聞こえていたなら何故聞き返すような言葉を口にするのか、心底理解に苦しむといった表情をされて私は肩をすくめて項垂れた。 勉強会という名目があったとはいえ、彼氏の家にはじめてお呼ばれされたのだ。 緊張や不安や期待がなかったといえば嘘になるし、それらの感情が彼の珍発言によって吹き飛んだことも事実である。 彼に倣って座り方を正座に正すと、もどかしそうに「だから違います」と言われてしまった。 「な、何をどうすれば」 「だから足を出してください」 「それが分からな…ちょっと、やだ!」 足首をつかんで引き寄せられて、私はぎょっとした。 悲鳴じみた抗議にわずかに怯んだ様子もなく竜ヶ崎くんは溜め息を吐くのだが、片足を持ち上げられた私は制服のスカートがめくれ上がらないよう押さえるのに必死だった。 「それですよ」 「どれ!?」 「先週、僕があなたのスカート丈について何度注意したか覚えていますか?」 唐突な質問に、思考回路は一旦停止してから目まぐるしく回転した。 「風紀が乱れる」とか「はしたない」とか、呆れたように言われたことは覚えていても、それほど強い口調ではなかったので気にも留めていなかった。 一週間の出来事を思い出している間だけは竜ヶ崎くんに足首を掴まれているという非日常的状況から逃避できたものの、すぐに我に返り、足をなるべく閉じようと座る位置をずらした。 必然と、竜ヶ崎くんとの距離は狭まる。 「三回…くらい?」 「五回です。口に出さないだけで、心の中では数え切れないほど注意しました」 「そう言われても、このくらいの丈の子はいくらでもいるよ」 「分からない人ですね。あなたという女性だからこそ、控えてほしいんです。僕の彼女なんですから」 かちり、再び眼鏡を押し上げる仕草によって小さな音が響く。 それより早く、私の顔がかあっと熱くなるのが分かった。 殺し文句への十分すぎる反応に満足したのか、竜ヶ崎くんは少し意地悪く笑った。 「それで、聞き分けのないあなたには強行手段を取ることにしました」 「…まさか」 「人前に晒せない足にして差し上げようかと」 流石に、これから何をするか察しがついて私は羞恥のあまり抵抗を試みた。 彼の鍛えられた肩を思いっきり叩き、押し返そうとしても空いた方の手に難なく取り押さえられて意味がない。 むしろ手を握られて縮まった距離はますます怪しい雰囲気を助長させて、私は首を振った。 「常々思ってはいたけど、竜ヶ崎くんって変だよ!普通の人と感覚違うよね!?」 「失礼な。僕が変人なら大概の人間は変人になりますよ」 「説得力がない…っ」 「少し静かにしてくれませんか」 親が来ます。そう低く囁かれて、別に色気のある台詞でもないのに私は口をつぐんでしまった。 彼の思惑に気付いてから、どうしてもその唇に目が行ってしまう。 ふと、それが緩く弧を描いたかと思うと、竜ヶ崎くんが低く身を乗り出した。 私はいっそうスカートを引っ張り押さえつける。 「動かないでくださいよ」 「……う、」 太ももをするりと大きな手のひらがすべったあと、柔らかい感触が肌に触れた。 ちょうど今のスカート丈では隠れるか隠れないかのところ。 そんな場所に唇をつける竜ヶ崎くんと逆らえない私は、傍から見て相当いけない光景になっている気がする。 意識を逸らそうとしたのも束の間、肌を強く吸われる感覚に背筋がぞわぞわした。 スカートを握る手のひらに力がこもって、綺麗なプリーツがしわくちゃによれてしまっている。 強く目を閉じて早く終われ早く終われと念じていたら、一度離れたはずの息遣いがまた近付いて同じところにキスしていった。 「っ、竜ヶ崎くん!!」 「……すみません」 ばっと顔を上げて目を見開けば、ぶつかってずれたのか眼鏡を指で押し上げていた。 その頬は少し赤らんではいたけれど、瞳は相変わらず楽しそうに細められていたし、赤面どころでは済まない私に比べれば大した物ではない。 息巻いて抗議しようと距離を詰めると、竜ヶ崎くんはスカートの裾を指先で摘まんで丁寧に、いたって冷静に整えてくれた。 暴れたせいで多少ずれ上がっていたらしく、私は勢いよく裾を両手で押さえた。 あわてて竜ヶ崎くんから離れるも、不意を突かれて唇を奪われてしまった。 「あなたは懲りませんね」 「…お願いだから、あっち行って」 「そんなに警戒しなくても、これ以上何もしませんよ」 「あれだけ恥ずかしいことしておいて!」 羞恥心も限度を超えて、私は子どもみたいにわめいた。 頬は真っ赤だったろうし、涙もうっすら浮かんでいたかもしれない。 主導権を握って嬉しいのか、私を微笑ましそうに見つめて竜ヶ崎くんは穏やかに息を吐いた。 「僕が注意のためだけにあんなことをする人間だと思ってるんですか?」 「だって…竜ヶ崎くんは変人だもの」 「心外ですね。したかったから、したんです」 あなたが好きで、やましい気持ちがなければできません。 恐ろしい一言の破壊力に、私はひっと声を上げた。内心ではなく現実で。 さすがに照れくさいのか、竜ヶ崎くんは一瞬目を伏せてから私に向き直った。 「ともかく、その短いスカートは直してください」 それだけのためにここまで大事になるなんて。 私は素直にうなずいた。 しおらしい私の姿を見て笑った竜ヶ崎くんは、ぐっと近付いて私の足に触れた。 その手のひらの下には、スカートの布一枚隔てて肌に赤く残った跡がある。 「でないと、消えた頃に同じことをしますから」 世界を埋め尽くす藍色 20130722 |