猫が好きだ。
だから彼に触れる。
彼、というよりは限りなく猫に近い、人の言葉をしゃべる何かに。
吸血鬼のくせに自分のことをただの黒猫とのたまう、何を考えているか分からない彼。
本当は何も考えていないのかもしれない。

「クロ」
「…うにゃあ」

手の中の黒いまんまるが、取ってつけたような声で鳴く。
面倒くさがりで、消極的で、人の姿をしている時でもちっとも人間らしくない、ふわふわと地に足がつかない彼は名前をクロという。
あまりにシンプルな名前はクラスメイトである城田くんがつけたのだそうだ。
そんなことすら、私にとっては些末なことだった。
私は猫が好きだ。
そして、少しだけ人が嫌いだった。
中でも城田くんのようにまっすぐすぎる人が特に苦手だった。
だからこうして彼を避けてクロを撫でるには、家を訪れるくらいしかなくて。
腕に抱えた黒猫は先ほどからぴくりとも動かない。

「寝た?」
「…起きてるけど」
「そっか。かわいいよ」
「どーも」

ためらいなく、人の言葉を話す。
見た目だけは愛らしい黒猫だ。
その背中を変わらず撫でながら愛しげに声を落としたけれど、猫はどうでもよさそうに欠伸をするだけだった。
城田くんは察しがいい。
私が彼を苦手としていることを分かっていて、家に上げてくれる。
今だって、すぐ近くのコンビニでしばらく時間を潰してくれている。
好きにしてくれていいから、クロを連れていくのだけはやめてほしいんだ。
こんな風に通い詰めることとなった初日、城田くんはやけに真剣に言った。
そんなにクロが可愛くて手放したくないんだろうか。
いつでもどこでも一緒で、まるで離れたら死んじゃうみたいに。
なんてね。
自分の憶測を小さく笑うと、クロは片目を開けて私を見上げた。

「変なやつ」
「ああ、ちょっと思い出し笑いをね」
「それだけじゃなくてだな…お前の猫への執着ぶりは吸血鬼のオレでもぞっとする…」

おや、珍しく自分が吸血鬼と認めた。
たかが人間である私に対して、本気でなくとも恐ろしさを感じるのは、さすがに彼の沽券に関わるのだろうか。
プライドなど微塵もなく私の腕に抱かれている彼には似合わない、と思ってしまった。

「ふふ。好きなの、猫が」
「それは飽きるくらい聞いた」
「なのに本物の猫は私に懐いてくれないの。好きに触らせてくれるのなんて、クロだけ」
「…他の猫が嫌がる理由、わかる気がする」
「クロ、鳴いてよ。投げやりでいいからごろごろにゃーって」

彼の言葉を聞き流し、あごの下へ指先を持っていくと途端にクロがぶるぶるっと身震いした。
そのまま勢いをつけて私の腕からするりと抜け出した。
あ、と思った時には、ぽふんと白い煙が舞っていて。
フードをかぶり、白髪に赤色の胡乱な目つき、目の下の隈が濃い青年が座り込んでこちらを見据えていた。
すぐに自分の高揚が萎えていくのを感じる。

「ケチな吸血鬼ね」
「一時間も真昼を締め出しておいてよく言う…」
「今日はもう終わりなの?それじゃあ、帰るね」

人の姿になった彼に用事はない。
荷物を広げていたわけでもないので、近くに放り出していた鞄ひとつだけを手に取ると立ち上がった。
クロはそんな私を、何も言わずぼやけた赤い瞳で見送るのが常だった。
何を考えているんだろう、それはもはや私にとってどうでもいいことで。

「待て」

おや、いつもと違う。
玄関へ踵を返した私のひじ辺りをぐっとつかみ、クロはそれきり黙り込んだ。
私が彼に用がないのと同じように、彼だって私に用事はないはずだ。
それなのに、振り返り見たクロは私の腕を握り直して、戸惑いも焦りもなくこちらを見つめている。

「何かな。帰りたいんだけど」
「お前は本当に勝手だな。自分のしたいことだけ済ませて、あとは用済みか」
「うん」

言われた通りなので素直にうなずくと、ぐいと強く腕を引っ張られた。
その力加減を痛いと思う間もなく、固くて冷たいフローリングの床に寝転がされる。
私を見下ろすクロの瞳は薄い暗がりの中でも光っていて、綺麗とは思っても恐怖は感じなかった。

「どうしようもない奴だな、お前」
「どうしようもなくて邪魔だから、殺すの?」
「殺さない」
「じゃあ私のことを襲う?」
「襲わない。襲いたくもない」

私に馬乗りになっている人姿のクロはいたって落ち着いていた。
私の手首を強くつかんだまま、だるそうに嫌そうに、私の言葉を否定していく。
相手が人間だったならば、もう少し御しやすいのだろうか。
ぼんやり考えてみても組み敷かれている体勢は変わらず、ゆっくり息を吐いた。

「何がしたいの」
「さあ。お前がちょっとでも戸惑えばいいと思った」
「このくらい平気だよ」
「オレにいつも触るから、たまにはこっちから触ってやろうかとも思った」
「猫の姿になってよ。それなら大歓迎だから」

はじめて、クロがその表情を歪めた。
むっとしたような、子供が拗ねたような。
その手のひらが下りてきて、つつと首筋をなぞる。

「こんなことされて気分がいいと思うか」
「うーん、気持ち悪い。はなれて」
「いやだね」

珍しく、意地になっているような声を聞いた。
いつだって何にだって、自分のことでさえ面倒くさがるくせに。
この吸血鬼は何がしたいのだ。
いま城田くんが帰ってきたら、いろんな意味で誤解されかねない。
城田くんのことだ、そうなればもう家には上げてくれないどころか、もう二度とクロと二人きりにもさせてくれないだろう。
それは、困る。阻止しなくては。

「クロ、もうやめようよ」
「それはオレが決める」
「殺すでもなく襲うでもなく。どうしたいの?血でも飲む?」

吸血鬼、という言葉のせいで結局はそこに辿り着く。
私の首あたりをゆらゆらまさぐっていた指先をぴたりと止めて、見上げた先のクロは不愉快そうに眉を寄せた。
そしてすぐに忌々しげに舌をべっと出してみせた。

「いらない」
「だよね。城田くんのも飲まないって聞くし。それじゃ、どこうか」
「…ああ」
「いい加減重いよ、」

肩を押し返そうと伸ばした手をぐっと握り込まれて、クロが勢いよく身体を折って私に覆いかぶさってきた。
ひっ、と小さく声を上げたのは仕方ない。
今し方いらないと言われたのに、首と肩の間に当たるチクリとした痛み。
けれど、すぐに冷静になった。
吸血鬼に噛みつかれて、これだけの痛みで済むはずがない。
クロは十分に手加減をして、私の肌に歯を立てていた。
可愛くない甘噛みといったところだろうか。
尖った歯の合間から漏れ出る吐息とかすめる舌先に、だんだん嫌な気持ちになってきた。

「…はなれてよ、クロ」
「ん」

言葉にもなっていない相槌だったが、嫌だという意思表示は汲んで取れた。
クロからすれば、この状態から私の血を飲み干すことも首を噛みちぎることも可能な気がして、すぐそばにある彼の背中へ腕を回してみた。
びくりと身体を揺らされた弾みで、牙が肌に食い込んだ。
じわじわと押さえつけるような痛みが苛立たしい。

「クロ、お願いだから」
「……」
「痛いよ」
「…はあ、」

離れぎわに今までとは質の違う痛みをチクリと残して、クロはそろりそろりと私から身を離した。
逆光でもきらきら光っている瞳には理性が見えない。
性欲に対する理性のような可愛げのあるものではない。
獲物を前になんとか高ぶる気持ちを堪えている獰猛な赤色をしていた。

「最後なにしたの」
「…吸った」
「え、うわ、あーあ…最悪」
「お前もう帰れ」

吸うの意味合いが違うだろう、と抗議したかったけれど心底面倒くさそうに背を向けられたので、大人しく帰ることにした。
手のひらを当てた首筋はヒリヒリと熱く、じんじんと痛む。
部屋を出る時にすれ違った城田くんへの挨拶もそこそこに、足早に歩き出した私は舌打ちをした。

「やっぱり可愛くない」


20130318
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