「人間って簡単に死んじゃうよね。それも嫌いな理由の一つだよ。つまらない」


コンッと高らかに下駄を踏み鳴らして、青年が言う。
下駄の足はじり、と踏みつけた花弁を固いアスファルトに擦りつけ、黒くそれを汚した。
薄く笑みを浮かべた彼の視線は、花弁を今まさに風で落とした樹に向かう。
正しくは、その樹に寄りかかり座っている彼女へ。


「それをわざわざ私に言うってことは、椿はやっぱり意地が悪いね」

「…何?もしかして名前は僕のことを優しいとでも思ってたの?」

「いや、それはないけど。ただあまりに楽しそうだからさ、人の死を機嫌良く歌う椿は死神みたいだなって」


欠伸をひとつ、自分の前で躊躇いもなくしてみせた彼女に椿は至極不思議そうな顔をした。
いつもならば、敏感な彼の琴線にでも触れて癇癪を引き起こしそうなものだが、それがない事実に彼女自身が違和感を覚えて彼を見返す。
「死神…死神かぁ」と幾度か言葉を反芻し、不意に椿が破顔する。
声高らかに笑った彼に、彼女はうるさいと言いたげに若干眉を寄せた。


「死神だって!僕吸血鬼なのに!あははっあはははは!あっは!はは!はははっ………あー、面白くない。」

「椿は今日も元気でうらやましいなぁ。また発作だよ」


狂ったような笑いから途端に冷めて、無表情を通り越した仏頂面の椿をあしらうような言葉が木陰から返ってくる。
こんなやり取りは珍しくもなく、それでいて彼女の態度が気に入らない椿が適当な返しに満足するはずもなく。
コン、コン、と小気味良く鳴っていた下駄は彼女へ歩み寄る際に途切れた。
樹が根を張る土の上では下駄は鳴らない。
彼の名前を冠した樹木がまたひとつ、吹きつける風に花を落とした。
ぼとりぼとり、首を落とすように。
その紅い花を拾い上げ、花と同じ名の青年は笑う。


「面白くないよ、名前」

「そう?吸血鬼も死神も似たようなものじゃない」

「君たち人間はいつもそうだ。人知の及ばないものは全部一括りで一緒くた、たまには僕の個性も尊重してくれない?」

「そうやって私を他と同じ人間として見てる椿にだけは言われたくないかな」

「生意気」


彼がゆらり持ち上げた片足で彼女の脇すれすれを過ぎて樹の幹を蹴り上げれば、弾みでぼとぼとと無数の椿が地に落ちた。
視界をよぎって落下する花々に、鬱陶しげに目を細める彼女と、楽しげにそれを踏みつける彼と。
冬の気候とはまた別の冷えた空気が漂い、花は平等に二人へ降り注ぐ。


「やめてよ、花が可哀想」

「…可哀想?君、植物なんかを思いやってる余裕あるの?かわいそうなのも発作があるのも、名前の方でしょ?」


ただ睨みつける視線の中に小さな咳をひとつ。
珍しく気が立っているせいだろう、身体の弱い彼女は軽く胸を押さえた。
それを見下ろす椿は背中をさすってやる、なんてことはもちろんしない。
むしろ優越感と嗜虐心がじわり、彼の心に安寧を生む。
椿にはそれを楽しんでいる節すらあった。


「ほっといても死ぬ人間で、それなのに加えて病弱だなんて、名前ってかわいそう。ねえ、まだなの?いつ死ぬの?」

「うるさいなあ…分からないよ、お医者様はしばらく安定してるって」

「かわいそうな名前。だから僕の話し相手にはちょうどいい」

「阿呆らしい」


すっかり機嫌のいい椿に反して、彼女の口調は尖るばかりだった。
数歩ほど空いていた距離を詰めた彼は、木に寄りかかるように腰を下ろした。
隣に来られた彼女は若干迷惑そうに身をよじるものの、椿は無理やりその肩へ頭を寄せた。
いくらかの重みが、彼女へともたれかかる。


「君は特別。人間は好きじゃないけど、君のことはわざわざ殺さないでいてあげる。だから面白い話をしようよ」

「好きじゃない…か。でも私は椿のこと、嫌いではないんだ。私からしてもいい話し相手だよ」

「へえ?」

「ただ、椿って悪い子だよねえ」


自分の肩に身を預ける彼の黒髪をやんわり撫でながら、何でもないことのように彼女は言った。
他と何ら変わりなく見えても、所詮は吸血鬼という異形の者。
しかも彼は進んで闘争や殺人を良しとするような性分で、ともすれば自分すら殺しかねないような存在だ。
彼の都合と機嫌の危うい均衡で生かされていると彼女は自覚している。
ただ、それに臆するようでは椿という彼と同じ空間になんて居られない。
分かっている。


「僕、悪い子?…あはっ」

「はいはい抑えて。間違ってないでしょ」

「面白くなーい」

「笑わせるつもりないもの。そう、あと変な子かな」

「変?」

「普通、身体が弱いって言ったらわざとらしく気遣うか厄介だって遠ざけるかどっちかなんだよ」

「えー、気遣うとか遠ざけるとか面倒…近寄ってからかうのは楽しいけど」

「うん、やっぱり変な椿」


無関係に無関心に、それでも自分の元を訪ねてくる。
ある意味では唯一無二な存在が可笑しそうに笑い転げるのを彼女は眺めていた。
平穏とは呼べないはずの時間が、彼の手によって静かに自分の日常へ組み込まれつつある。
彼が楽しそうに口にする戦争を目の当たりにする日が来るのかどうか、ぼんやりとした彼女の思考は椿の行動に遮られた。
肩にもたれかかっていた姿勢から起き上がり、自分の正面へ回り込んだ彼は手のひらの中でくるり花を転がした。
それが彼女の髪を飾るように差し込まれたのは気まぐれと興味からだったのだろう、黒髪にその紅い花はよく映えた。


「死に化粧、なんて。はは」

「椿って本当…まあいいや」

「そんなに面白くないね。もっと面白いことをしようよ、名前」

「…もう疲れた。いっぱい喋ったもの、今日は帰れば?」

「やだ。名前、あーそびーましょー?あははっ」


先ほどの返しのつもりなのか、着流しから伸びた白い腕は指先で彼女の髪をいじる。
わざとらしく子供のように声を弾ませて、彼は構ってほしいみたいに振る舞う。
またひとつ、彼女の口からは乾いた咳が漏れた。
抵抗する気力もないらしい、苦しそうな響きに椿はふとその指を止めた。
そのまま手を引っ込めると、触れられていた彼女の前髪がはらりと僅か乱される。


「…はあ、憂鬱だ。帰る」

「うん、それがいいよ」

「また来るね」

「いや、別にいい」

「僕が飽きるまでは死んじゃ嫌だよ?名前」

「無茶言うなぁ」

「それまでは君が僕のことを知っててくれなくちゃ、ねえ?」


名残のように彼が滑らせた指先に彼女の髪がもう一度揺れた。
さくさくと土を踏んでいた下駄は直にアスファルトへ上がる。
コン、コン、と意識に刻みつけるような足音が響いて、だんだんと遠ざかっていく。
彼女はそれに眠りを誘われるように、ゆっくり目を閉じる。
人間と吸血鬼の何気ない逢瀬は、踏みつけられ地に落ちた椿の花だけが知っている。


20120122
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