大学で知り合った、愛想はないが何かと付き合いのいい男と恋人関係になって、半年とすこし。彼が一人暮らしをする部屋に居着く時間が多くなって、日常がじわりじわりと諏訪洸太郎という人間に侵食されていく感覚がある。昨日も、たしか一昨日も、洸太郎の家から大学に行った。そろそろ自分の家に帰って、買い物や掃除をしなくてはいけない。

「明日もいれば」

そう思った矢先に、背中合わせの姿勢で推理小説を読んでいた洸太郎が、私の肩へ軽くもたれてくる。私は彼が微塵も興味を抱かなさそうなファッション雑誌を電子書籍でチェックしていて、さっきまで互いに別々のことをしていたはずなのに、洸太郎はいつでもお構いなしに距離を詰めてくる。そうされると、私は他のことすべてを放り出して、彼のことを意識せざるを得なくなる。
明日もいれば。それが洸太郎の口癖で、私を引き留めたい時は決まってそう口にした。曖昧で、私に選択肢を委ねるような言い方だった。嫌だったらここにいなくてもいい、というニュアンスが伝わってくる。「帰るなよ」「ここにいろ」、そういったことは決して口にしないひとだった。

「うん。いようかな」
「おー」

私の緩慢な返事にどこか満足したように、洸太郎が笑う。伸びてきた大きな手のひらが私の頬を撫でて、そのまま短いキスをされた。ほんの少し、煙草の匂いが混ざるキスだ。彼と触れあうと、胸のうちに大輪の花が咲いたような心地になる。洸太郎の腕にしがみついて眠るのが、私は好きだった。
こんなにも私が彼に惚れ込んでいるという事実は、彼自身には知られたくない。洸太郎は強制をしないひとだ。私の趣味も、服装も、一緒に観る映画も、そばにいる時間の長さも、デートの頻度も、全部私の好きにさせてくれている。束縛もルールもない。それは優しいように見えて、ひどいことだと思う。
洸太郎自身が、ボーダーの仕事で私と会う約束を破ることを何より気に掛けていた。だからこそ、私に何も強いることはないのだろう。そんなことで不満を抱くような器量の小さい女ではないし、彼の仕事が大事なものだと分かっているのに、信用されていないのと一緒だ。洸太郎はいつだって私の意思を尊重し、優しかった。



私たちは洸太郎の家で過ごすことがほとんどだけれど、実は私の家のほうが洸太郎の住む部屋よりずっと広い。洸太郎は一度か二度訪ねたきり、私の家には来ていない。意図的に、私が家に呼ばないようにしている。

「モデルルームみたいに片付いてるんだな」

初めて私の家に来たとき、洸太郎はおそらく素直な気持ちを口にしたんだと思う。きっと深い意味はなかったけれど、私はそれを褒め言葉とは受け止められなかった。物が多く、彼の好きなものに埋め尽くされて、生活感に溢れている洸太郎の部屋とは正反対と言われているようで寂しかったのだ。



ある日、大学で洸太郎と歩いていたら、彼の友人と思しき男に声を掛けられた。その男は、ごく普通の好奇心から「諏訪。この子は?」と私へ目を向けてくる。洸太郎はやや気恥ずかしそうに、そして答えにくそうに言う。

「あー……カノジョ、だよ」

その単語のぎこちない響きを聞くたびに、私は胸が少し痛む。並んで歩いていても、友人としか思われない私たち。私たちはいつまで、この曖昧な関係を続けるのだろうか。キスの後に、彼に抱かれながらそんなことばかり思い出していた。
狭い畳敷きの部屋に置かれた、薄くて寝心地の悪い布団。そこに横たわって眠る、洸太郎。私は上半身を起こしてその頬に触れながら、なんとなく彼と結婚をするような関係にはなれない予感がする。どれだけ先の未来を想像しても、自堕落な学生のように、この狭い部屋で互いに身を寄せて眠りあう私たちの姿ばかりが浮かぶのだ。停滞した未来。おそらくこの先に進むことがない。こんなにも彼のことが好きなのに。
私の頬に、無骨な指先が触れた。洸太郎が薄く目を開いたあと、私の腰に腕を回して自分のほうへ引き寄せた。バランスを崩して薄い布団に倒れ込んだ私は、畳の固い感触を味わった。打ちつけた肘が少しだけ痛い。洸太郎は何も言わずに私を腕に抱いたままでいた。指先ひとつも動かせないまま、私はこの部屋の有りようを思い返す。
煙草の匂いの染み付いた部屋。いつだって牌が散らかっている麻雀のセット。積まれた推理小説。洸太郎の腕の中。彼のにおい。温度。私はそれらを間違いなく愛しているのに。頭の中でつぶやいた途端、理由のわからない涙がひとつぶ、目の端から溢れて洸太郎の着ているシャツに染みを作った。

「わたし、洸太郎のそばにいたい」
「いればいいだろ」

思ったよりすぐに返ってきた言葉は、素っ気ないのに、優しくて穏やかな声をしていた。お願いだから、洸太郎が私を捕まえてほしい。ここにいろと、あなたから私を欲しがってほしい。そんな我儘は今日も言えないまま、彼の腕にしがみついて眠るのだ。
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