海の神とされる伝説のポケモンに会ったことがある。それも、一度ではなく何度も。
人に言えば笑われて終わる話だろう。私だって、相手の立場なら信じない。私自身が経験をしても、なお信じられずにいるのだから。

ジョウトの片田舎にある小さな町が、私の故郷だ。町から少し離れたところに鬱蒼と茂る森があって、私は切り傷によく効く野草を摘みにその森を訪れることが度々あった。ある日、木陰に鈍く光るものがあると思って草原をかき分けていくと、銀色の巨躯が身を横たえて眠っていた。
はじめ、私はそれを伝説のポケモンとは知らず、その翼にある怪我だけが目に付いた。私は町に戻り、利用者が滅多にいないフレンドリーショップへ駆け込み、いいキズぐすりやちからのこなを小遣いで買えるだけ買った。私が再び森に戻った時、そのポケモンは目を覚ましていた。
ドラゴンタイプにもみずタイプにも見える、そのポケモンの鋭い目付きは明らかに人間の私を警戒していた。もはや敵視していたと言っても過言ではない。私は彼が翼を広げた際のあまりの大きさに少し怯み、くすりの数々をそっと地面に置いてから後退りした。瞬きをする間もなく、ポケモンの尾がしなる鞭のように地面を叩き、パン、と乾いた音を立てて、くすりの数々は粉微塵になった。ポケモンは唸り声をあげるばかりで、その銀翼には未だ血が滲んでいた。
私はポケモントレーナーではないから、そのポケモンの望むことがよく分からなかった。よく分からないなりに、私が用意したくすりが気に入らなかったということだけは理解した。だから、今度は森の中で集めてきたきのみを彼に差し出した。ポケモンはまたも尾を払い、きのみをあちこちに吹き飛ばした。私はそれを拾い集めて、再び彼の前に置いた。ポケモンは咆哮した後にきのみの山を崩した。
そのやりとりは、私が昼頃にポケモンを見つけてから日が暮れるまで行われた。私が何度目か分からないきのみの山を積み上げた時、ポケモンはようやくきのみの匂いを嗅ぎ、ゆっくりと口に入れて噛み砕いた。その時は妙な嬉しさと達成感があり、私は少し離れた位置にいるポケモンのことをじっと見つめていた。これまでに一度も見たことがない姿のポケモンだった。どことなく我が家にいるキングドラを思い出しただけで、私が想像したタイプはまるで見当外れなのかもしれない。空だって飛べそうな大きな翼を持つポケモンは相変わらず油断のない目付きでこちらを睨んでいたため、私は彼がきのみを平らげるのを見届けると、家に帰った。

翌日も、森の中に銀色のポケモンはいた。呼吸とともに上下する、その背中の羽根はきらきらと朝陽を受けて輝いていて、目を見張るほどの美しさがあった。きっと特別なポケモンなんだ。物語に出てくる神様みたいだもの。私がほう、とため息を吐くのと同時に、そのポケモンはむくりと上体を起こしてこちらに視線を投げかけた。昨日ほど剣呑ではない目付きに、私は安堵した。彼の翼にはまだ血が滲んでいたが、動かしても然程痛む様子ではなかった。
その日から、森の滞在人であるポケモンと私は不思議な交流を続けた。彼は私が持ってくるキズぐすりやおいしいみずのボトルといった人工物のことごとくを破壊したが、森で採集してきたきのみにだけは口を付けてくれた。私はそのポケモンがきのみを食む様子を、美しい絵画を見るような心持ちで眺めていた。この森に通うかたわら、町唯一の文化施設である図書館にも通うことで、私は彼の正体を知りつつあった。伝説のポケモン、ルギア。海の神とも称される偉大なポケモンは、本来は深海を住処とする筈だった。
元々、存在そのものが物語の中に出てくるような幻に近いポケモンである。書物で見知った存在と目の前のポケモンが同一であるという保証はどこにもない。そう思って、私は小さく小さく「ルギア」と呟いたのだけれど、巨体はぴくりと揺れてからこちらを見た。その鋭くも澄んだ眼差しに、私は胸がざわめくのを感じた。家にいるキングドラに名前を呼びかけても、ここまで明確な反応は返ってこない。まるで自分と同じ人間を相手にしているかのような、目前のポケモンの挙動に私は緊張した。不思議な色の瞳は、私を視界に入れたまま何度か瞬くと、ふいにその目を閉じてしまう。彼は自分の体に顎を乗せて寝る体制を取った。私はその行動に水を差すと分かっていながら、口にせずにはいられなかった。

「…あなた、やっぱり」

ルギア、という名をもう一度言葉で紡ぐのは叶わなかった。かつて私の持ってきたくすりを砕いたものと同じ尾が伸びてきて、私の頬をするりと撫でていった。ほんの一瞬の出来事だったけれど、私は思わず自分の頬へ手をやってしまう。ひやりとした鱗とも皮膚とも言い難い感触がふれたのは、決して偶然ではない。常に一定の距離を保ってきたこのポケモンは、今確かに意思を持って私にふれたのだ。そう思うと無性に嬉しくて、私は言葉が出なかった。
そんな私を薄目で一瞥したあと、神様のようなポケモンは眠りについてしまった。



──言葉を交わすべきではないと思った。
こちらからテレパシーとして思考を伝えることは可能だが、そんなことをしてしまえばこの人の子が笑顔を浮かべて、より自分との距離を容易く縮められるものと考えると予想ができた。
故に、この人の子に言葉を掛けることはない。決して。
それでも、ほんの僅かに自分が触れただけで、これ以上はないと言いたげに、彼女が纏う空気が緩む。その柔らかな表情に、海底から見上げた水面の煌めきと比する程の何かを見出す。その所為で、私は体躯が麻痺したように動けずにいる。もう何処も痛むところはないというのに。
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