「小夜、小夜。どこにいるの。出ておいで」 庭に向かって呼びかけると、大木の葉がざっと揺れ、次の瞬間には彼が音もなく地に足を着けていた。 身軽とも痩せぎすとも言える体躯が目の前までやってくると、何か用かと鋭い瞳が語りかけてくる。 本丸の中に姿が見えなかったから呼んでみただけで、特に用はない。 じっと見つめ返していると、彼は懐からあざやかな朱色を取り出し、私の手のひらに置いた。 同じ果実をもうひとつ、小夜も握りしめている。 「わあ、柿だ。小夜がとったの?すごいね」 素直に褒めてやったら、彼はそっと目を逸らした。 何らかの反応が欲しくて、頭を撫でようと伸ばした手は空を切る。 触れられる前に気配を察して避けるなんて、懐いていない猫みたいだ。 少し残念な気分で、所在なく手を下ろす。 あの人の声がしたから、登っていた木の幹を蹴って地面に降りた。 こちらに向かって手招く審神者という存在の顔は見えない。 審神者は常に白い布のようなもので顔を覆い、目鼻立ちはおろか感情の機微すら窺うことはできない。 その正体は、年端もゆかぬ小娘なのだと、宗三兄様はせせら笑っていた。 自分を含めた刀たちを世に顕現した存在。 それ以上に抱く感情は特にないが、面の向こうの顔がなんとなく笑っているのだろうなとわかるくらいには、この者の近侍を務めてきた。 近侍に選ばれているということは、きっと小夜は審神者に気に入られているのでしょうね。 自分より遅れてやってきた江雪兄様はそう言ったが、わからない。 人の身を得てしても、人間のことなど理解できないことが大半である。 柿を手渡したとき、審神者はたしかに自分を褒めた。 しかし、戦に関わりもしないところを評価されてもどんな顔をすべきか、迷うのだ。 彼女の手のひらを避けるのは、それが苦手な自覚があるからだ。 未だかつて触れたことがないが、復讐に囚われ冷えきった自分の身を溶かすような体温を持っている気がしてならない。 「小夜がとってくれたんだもの。ここで食べようか」 審神者に言われるまま、その隣に腰を下ろした。 丁寧に皮を剥く姿を横目に手にした柿を齧ったが、すぐに顔をしかめる羽目になった。 渋すぎて他の風味が何もわからない。 一口目を齧ったきり、隣の審神者の姿を注視した。 彼女は柿を小さく齧ると、「甘くておいしい」とつぶやいた。 無理をして言っているようには見えないが、この人間は嘘をつくと知っている。 「小夜がくれたから」という理由ひとつで、平気で嘘をつくと。 自分の柿だけが渋かったのか、それとも彼女が嘘をついたのか、分からずじまいだが、それでいいと思った。 審神者のそばにいることが、近侍である自分の務めだ。 どこまで行っても審神者は人であり、自分は刀なのだ。 一人分空いた、彼女との距離は縮めるべきではない。 すでにもう、彼女に柿を渡そうと思った自分のことさえ、今ではわからないのだから。 20160522 |