一緒に暮らし始めてからというもの、中也の顔を全然見ていない。
元々仕事のスタイルが違う中、互いに時間を作って会っていた部分が、一緒に暮らすだけでそう簡単に埋まるはずもなかったのだ。予想はしていたけれど、それでも私は「帰って手前がいると安心する」という中也の言葉にまんまとほだされ、私たちは同棲をする運びとなった。
最初の頃は、もちろん彼の帰りを待つために起きていた。けれども、夜遅い彼の帰りを待つうちに、私は家の至る所で力尽きるように眠る癖がついてしまった。それを見かねて中也は、「先に寝てていいぞ。待ってなくていい」と笑って云ってくれたが、私は少し寂しかった。起きていられない自分のことも嫌だったし、それでも待っててほしいと中也に云われることを期待していたのだろう。けれども、彼を困らせるのは私の本意ではないので、それ以来中也の帰りを待つ際はうとうとしたらベッドに向かうようにした。その結果、ますます彼の顔を見られなくなった。「同じ家に暮らしている」という前提があるため、私も中也も以前ほど会う時間を作ろうとしなかったし、ポートマフィアの抗争が激化していた時期でもあった。一緒に住まない方がよかったのかも。眠りに落ちる時、たまにそう考えた。

ある日、眠りからふと意識が覚めた。微睡む心地の中、耳を澄ませると、わずかにキッチンの方から物音がする。デジタル時計に目を凝らすと、深夜2時を少し過ぎていた。欠伸をひとつしたところで、わずかに気遣うような足音が寝室に近づいてきた。キィ、とドアが開いて明かりが少しだけ差し込む。思わず眩しさに目を閉じかけると、その影は外套をひらりと揺らして部屋に入ってきた。そして、ベッドのサイドテーブルに一冊の本を置いた。そういえば、さっき読みかけで置いてきてしまった文庫本があったな、持ってきてくれたんだ、と思い当たる。影は、本を置いたあとも暫し動かなかった。数秒ほど立ち止まったかと思うと、踵を返す。

「待って」

影がぴたりと止まって、振り返る。中也は出かけた時の格好そのままで、私が起きていることに気付くと帽子を外した。

「悪ィ、起こしたか」
「ううん。中也が部屋に入る少し前に目が覚めただけ。大丈夫」
「…そうか」

中也はベッド脇に立ってどうすべきか、といった顔をしていた。私は布団の中から手を伸ばし、彼の袖を引いた。すると、中也は少し目を細めて、そのままベッドに腰掛けて私を見下ろした。するりと音もなく手袋を外した中也が手のひらを伸ばし、私の頭を撫でた。彼の瞳は薄闇の中で優しく光っていたが、頬に血とも煤とも判らぬ汚れが付いていることは知っている。
私はサイドテーブルに指先を向けて云った。

「これ、ありがとう。変なところに置きっ放しにしてたでしょ?」
「…いや、礼を云われるようなことじゃねェ。なんとなく手に取って、持ってきちまっただけだからな」

中也はしばらく口を閉ざしていた。大きな怪我はしていないようだが、疲労が見て取れた。私から手を離し、彼はぽつりと云った。

「手前がどんな物を読んで楽しいと思うのか、知りたくてな。でも勝手に読むのは気が引けるだろ?…今度手前の口から直接聞かせてくれ」

今度、という言葉がとてつもなく先のことのように思えて、私は胸が締め付けられるような心地だった。中也はとても優しい声で云った。

「本当はな、手前の顔を見る理由が欲しかったんだと思う。最近、ろくに話せてなかったしな。…寝てていいぞ」

私は彼が立ち上がるより早く、身を起こしてその首筋に抱きついた。中也は少し驚いたようだったが、私の勢いを受け止められるくらいには余裕があった。

「私だって中也に会いたかったよ」
「…ああ」
「昨日は帰ってこなかったでしょ」
「知ってたのか。待ってなくていいんだぞ」
「それ、もう一度云ったら怒るから」
「悪かったよ」
「…おかえり」
「ただいま、なまえ」

中也はふっと息を吐くと、私を正面から抱きしめた。この家という日常に帰ってきたことを確かめるような手つきで、私の輪郭を撫でる。少しくすぐったいけれども、安心感を覚えて目を閉じる。自分の要求を口に出すことを格好悪いだなんて考える、彼の性格さえ愛おしい。もう少し自惚れてほしい。私のすべての権利は中也が握っているようなものだということを、彼はきっと知らないのだ。

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