目の前に広がる、果てのない青色の中を、無数の白いものが泳いでいく。やわいゼリーのように見えるその体を揺らし、ウェディングドレスのフリルのような余韻を残し、その生き物は上へ、下へ、不規則に移動していた。
クラゲの水槽を前に、私と虎石くんはベンチにゆるりと腰掛けていた。今日は本当に楽しかった。虎石くんがデートに誘ってくれて、大きなショーが四つもある水族館だから、全部を見て回ろうと約束をして。入り口でもらえる、イベントスケジュール表と館内マップを二人で眺めて、このルートを行けば間に合うとか、やっぱりペンギンのコーナーは外せないとか、この1日を遊びきろうと作戦を練った。
シャチ、イルカ、アシカ。今日目にした、すべてのパフォーマンスが真新しくて、私は子どもみたいに歓声を上げてしまった。隣の虎石くんだって、ちっちゃい男の子みたいに瞳をきらきらさせていた。二人で大きな声をあげて、たくさん笑った。
私たちが見ていないショーはあとひとつ。シロイルカ、ベルーガのショーに向かう途中に、虎石くんが提案した。

「そこのクラゲのコーナー、見ていこうぜ」

クラゲの水槽の周りは薄暗く、間接照明のぼんやりと柔らかい明かりが灯された空間だった。ただでさえ、魚が人間に気付くことのないようにと、暗く設計されている水族館の中でも、特に静けさに満ちた場所。そこかしこに座るためのスペースが設けられていて、休憩をする家族連れからムードを楽しむ恋人同士まで、この空間を楽しんでいる。
私たちは、ちゃんと恋人同士に見えているだろうか。虎石くんとの初めてのデート。今日過ごした時間の一瞬一瞬が、眩い光を放つ星々のように、私の心を彩っている。一生忘れることはない、彼との思い出。
虎石くんは、ここへ来てから言葉少なにクラゲの水槽を見つめている。最初はあれが綺麗だ、これがかわいいと声を上げていたのに、私たちは静かな空間に飲み込まれるように会話を失った。私はほんの少し寂しくなって、彼に握られている手のひらを動かした。虎石くんの肩が揺れる。

「…虎石くん」
「ん」
「シロイルカのショー、始まる時間だよ」

私は、彼が自信満々に立てたスケジュールを思い出していた。最後のショーが始まるまで、あとすこし。今から向かえば、間に合うはず。虎石くんが、私のほうへ振り返った。青い光に照らされて、彼は困ったような表情で微笑んでいた。

「オレさ、気付いちゃったんだよね」
「なにを?」
「こんなに楽しかった一日が、もう終わりそうなんだな、って」

その言葉とともに、虎石くんは一度繋いでいた手を離すと、私の手のひらを覆うようにして指を絡めた。私たちの重なり合った手のひらは、ゆらゆらとした青い光の中にあった。高鳴る鼓動を気にする間もなく、私は目の前の彼から目を離せなくなった。クラゲの水槽の光が映り込んで、虎石くんのブルーグレーの瞳がきれいだった。

「全部を楽しんじゃったら、なんだかもったいないなって。ごめん、今更だよな」

申し訳なさそうな虎石くんに、私は首を振った。私だって、今日が終わってほしくない。虎石くんとずっと一緒にいたい。虎石くんと、また。

「…またここに、オレと来てくれる?」

きっと、彼は意図していないんだろう。その声音が、放っておくなんて出来ないくらい、優しくて穏やかで、寂しそうなこと。
それが彼の願いで、それを叶えるためならば。私は私の持っている全部を、虎石くんにあげてしまいたくなるのだ。
いいよ。そう囁いてまもなく、私の隣で、目をきゅっと細めて笑う、子どもみたいな虎石くんがいた。

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