! 捏造大学生

「お前さあ、なんで聖のことは苗字で呼ぶんだよ」

大学の学食で、向かいに座っている廉くんが、何の前触れもなく、そう言った。私はスプーンの上でフォークをくるくると回転させて、パスタを巻いていたところだった。食べやすい一口サイズにまとまったパスタは、私が手を止めたことで、ほどけてお皿に広がっていく。
廉くんは、私よりずっと早くに食べ終えたカツ丼定食の器を脇に避けながら、正面からこちらを見ていた。昔から、そう。廉くんは不可思議なことにかちあうと、こちらをじいっと覗き込むように見つめてくる癖がある。私はその瞳の色をきれいだなあ、と昔から思っていて、まじまじと見返して、いつも怒られてしまう。

「オイ、話聞いてんのか」
「あ、うん。ごめん、なんで南條くんの話?」
「さっきまで聖がいただろ。なんか、お前らの呼び方って、ちぐはぐじゃねーか?って思ったんだよな」
「そうかなぁ。あまり意識したことなかったけど」

私はまた、手元でフォークをくるくるさせる作業を再開した。口に運んだカルボナーラが冷めかけている。
私たちがのんびり食事をしているのは、次の講義にあたる3限が休講になったからだ。私たちとは別の講義を履修している南條くんは、特別速くも遅くもない速度でカオマンガイを昼休みのうちに食べ終えると、「じゃあね、廉。なまえ」と講義棟に戻っていった。その時から、廉くんが微妙な面持ちでいたのは、私たちの呼び名のことを考えていたから、らしい。

「廉くんは南條くんのこと、よく見てるよね」
「ほら。また聖だけ苗字呼びじゃねーか」
「そう言われても。廉くんは、もうずっと前から廉くんだし」
「なんだそりゃ」

私の言葉に、少しくすぐったそうな、満更でもなさそうな顔で、付き合いの長い幼馴染の彼が笑う。
廉くんのことは幼い頃から知っているけれど、南條くんとは大学ではじめて知り合った。初対面で「あ。廉がよく話してる子だ。二人は付き合ってるの?」って言われたのには少しびっくりしたけれど、その後の廉くんとのやり取りから、二人が気の置けない仲であることが伝わってきた。
南條くん。たまに人をおちょくるような態度を取るけれど、それは仲のいい人に向けてがほとんどで、成績が優秀で、大教室にいてもすぐに見つけられてしまう、存在感があるひと。最近は、廉くん繋がりで、一緒にお昼を食べたり、隣の席で講義を受けたり、結構仲良くなったと思う。

「そういえば、私。いつから南條くんに名前で呼ばれてたっけ…」
「わりと最初っからじゃねーか?廉がそう呼ぶから覚えちゃったんだよねー、とか何とか言ってたような」

全然覚えていない。言われてみれば、そうだった気もする。
南條くんは不思議なひとだ。私は人見知りな性格で、大学でもちっちゃくなっていることが多い。廉くんと一緒にいるとき、彼の知り合いが大勢でやってくると、自分の気配を薄くして、私はここにいません、みたいな顔をしてしまう。けれど、南條くんは初対面から普通に私に話しかけてきたし、私はそれが嫌じゃなかった。ごく自然に歩み寄ってきて、気付いたら廉くんの次に、自分のそばにいる男の子になっていた。…あれ。これって結構すごいことなのでは。
いつも同じものばっかり注文するのに、今日のパスタはやけに食べ終えるのに時間が掛かる。

「別に無理強いはしねーけど、呼んでやれば?名前で」
「なんでそんな提案をするの?」
「なんとなく。聖が片思いしてるみてーに見えるから」
「っ、かたおも、」
「あー、物の例えだっつの。一方通行って言うのか?悪かったよ、ほら水飲め」

思わずむせそうになる私に、廉くんは水の入ったコップを差し出した。受け取って、一気飲みしてしまう。こんなに私たちが騒いでいても目立たないくらい、食堂は学生で混み合って、がやがやとしている。

「…、こうき」

喧騒に紛れ込むようにぽつりと呟いてみたそれは、廉くんの真似に過ぎない。そこに自分のどんな感情が乗せられているのか、私自身も理解はしていない。提案されたから、やってみただけ。
廉くんは食後のアイスコーヒーを手持ち無沙汰にストローでかき混ぜたあと、何でもないように言った。

「そういや、アイツが下の名前で呼ぶ女とか、お前くらいなんじゃねーの。少なくとも、俺は他に見たことないからな」
「……」
「顔、真っ赤になってるぜ」

面白がっているように見える廉くんは、もしかして全部わざとなんじゃないだろうか。私の恨めしそうな視線をかわして、アイスコーヒーを飲みきった廉くんが机に置いたコップから、からりと軽やかな氷の音がした。





「なまえ」

数日後のことだった。
移動した先の大教室で名前を呼ばれて振り向くと、南條くんが立っていた。私は、背の高い彼と目線が合うように顔をわずかに持ち上げる。と、目線を上げた途端に、南條くんは近くの席にすとんと腰を下ろした。今日はここで講義を受ける気分らしい。私も隣の席へと座る。
この講義は、廉くんの履修していない科目だ。知り合う前の私と南條くんは、大教室のどこか、別々の場所で講義を受けていたのに、今では隣に座っている。学食での廉くんとの会話が頭に浮かんできたのを、振り払う。南條くん自身が口にしていないことについて、あれこれ考えてしまうのは失礼だ、と思い直す。
決意を新たにする私をよそに、南條くんは自分の鞄から何かを取り出していた。南條くんはいつも荷物が少なくて、講義中もペン一本、ルーズリーフ一枚程度しか机上に出さない。彼は取り出したクリアファイルを、こちらに向けてすいと差し出した。クリアファイルには、数枚のルーズリーフが挟まっている。

「これ、この前休んでた講義のノート。コピーしたやつだから、返さなくていいよ」
「ありがとう!そうだ、お礼はいつものでいい?」

昨日休んでしまった講義のノートを有り難く受け取った。南條くんに頼みごとをするとき、お礼の内容はいつも決まっている。彼が「報酬は俺の好物でよろしく」と言って指定している、学食のアジアンカフェのマンゴーラッシー。もちろん、彼が私に頼みごとをする時は──滅多にないけれど──同じようにお礼をしてくれる。
この講義の後、いっしょに学食に行けばいいかなぁ、などと考えていたら、南條くんが人のいい笑顔を作った。

「いや。今日は別のものにしようかな」
「え」
「報酬はいつも後払いなんだから、たまには変更してもいいよね〜」

会話の雲行きが怪しい。ちらりと時計を見ると、講義が始まるまで、あと五分くらいある。自然に会話が終了する展開は望めそうにない。
私が余程焦った顔をしていたのか、こちらを楽しそうに見ている南條くんは言葉を付け足した。

「大丈夫、カンタンなことだから」

南條くんが簡単だと言って、簡単だったことは未だかつてない。背筋がぞわぞわした。助けて廉くん。
私の心の声を知ってか知らずか、たぶん知っている南條くんは、こう言った。

「金輪際、俺を苗字で呼ぶの禁止。ってのはどう?」
「え…と、じゃあなんて呼べば…」
「さあ?自分で考えたら?」

今度こそ、私は廉くんとの会話を思い出す。私は手元にあるクリアファイルに目を落とした。たしか、この講義は廉くんも休んでいたはずだ。嫌な予感が頭をぐるぐるする。さては、「報酬」として、この間のことを喋らされたのでは…。
南條くんは素知らぬ顔でいるけれど、私と廉くんが、南條くんの呼び方について話していたことは知っているに違いない。

「わ、ワルだ…!」
「はは。いいじゃん。前からよそよそしい呼び方だな〜って思ってたんだよね」

思わず南條くんを指差して声を上げると、彼は痛くもかゆくもない顔で笑った。それから、こちらを若紫色の瞳でじいっと見つめてくる。その瞳は猫のように細められていて、楽しげな様子が伝わってくる。
この人、私が照れるさまを見て楽しんでいる。そう思うと、ちょっとムッとしたので、私は軽く息を吸って吐いて、なるべく余計なことを考えないようにして、その三文字を口にした。

「……聖。これでいい?」

言えた。廉くんとの会話で、一度練習しておいた甲斐があった。
南條くんは何度か瞬きを繰り返したものの、特に表情を変えることもなく、それを聴いていた。私は何でもない振りをしているけれど、本当は心臓がドキドキとしていて、彼にそれを見透かされていないかと心配になる。
隣の彼は、再びにこりと笑う。

「やっぱりカンタンすぎたみたいだから、追加報酬をもらおうかな」
「え」

これ以上いったい何を要求されるのか。もしかして、やっぱり奢ってほしいとか。南條くんなら、言いかねない。
もう、私ばっかり緊張してバカみたいだなぁ。廉くんが、片思いだなんて変なことを言うから。そう思ったときだった。
彼はふいに教壇のほうへ目を向けた。自然と、私とは視線が合わなくなる。聡明そうな横顔に、ゆるく弧を描いた笑みが乗っている。
南條くんが、自分の服の襟元に手をやった。少しだけ襟を緩めた彼の、覗き見える首元の肌がうっすらと赤い。ふわりと、男性物の香水のかおりが漂ってくる。南條くんがわずかに汗ばんでいる気配を感じ、私は気づいた。表情にこそ出ていないものの、熱を逃がすような仕草と赤らんだ肌。
南條くんは、私に名前を呼ばれて照れている。
わかった途端、心臓の音が大きくなる。周りのざわめきが遠くに聞こえる。それなのに、南條くんの声だけは、はっきりと聞こえてきた。こちらへ向き直った、紫水晶のような視線にとらわれる。

「俺の名前を、これからたくさん呼ぶこと。いいね?」

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