今日は朝からよく晴れていた。
身の引き締まるような、冬の冷たい空気が満ちていて、高い青空が、自宅を出た私のことを出迎えた。今日はずっと前から約束していた日。翔くんのご実家に挨拶に行く日だった。
彼氏の実家に挨拶に行く、と言うと同い年の友人達からは「結婚するの?」なんて揶揄されたがとんでもない。天花寺家ほどの家柄であれば、「遊びに行く」という表現では足りないと思っているだけだ。
最初に翔くんからこの話題を振られた時、実家にお邪魔するのはハードルが高いと私は遠慮したのだけれど、翔くんがふいに真面目な顔でこう言ったのだ。

「オレがお前を両親に紹介したいんだ」

彼氏からこんなふうに言われて断れる女の子はいないのではないか。いいや、彼氏彼女は関係ない。私はこの言葉を口にしたのが翔くんだったからこそ、その気持ちが嬉しくて応えたいと思ったのだ。それ以外のものは何もない。
ともかく、私たちは待ち合わせをして翔くんの実家に向かった。多少の覚悟はしていたけれど、玄関の時点で私の家と規模が違いすぎてドキドキした。
あからさまに緊張する私を見て気の毒に思ったのか、翔くんは他の部屋より落ち着いた雰囲気の和室へ案内してくれた。「庶民なら畳の方が馴染みあるだろ」と言われたが、私はこんなに広くて整然として品のある和室は他に見たことがない。それと、庶民という単語は言われ慣れていることと、翔くんの家を直に目にしたことで否定する気は起きなかった。
和室をぼうっと見やる私をよそに、タヴィアンが一声鳴いたかと思うと、部屋の中に駆け込んで行った。翔くんが猫用のキャリーバッグの扉を開けたらしく、見上げると愛猫に向ける穏やかな眼差しがあった。ごろりと寝転がってくつろぐタヴィアンの姿を見て、私も自然と笑顔になって和室に足を踏み入れる。翔くんにとってもタヴィアンにとっても、ここが一番安心する場所であり、家なんだ。そう思うと、肩の力が抜けて、ここには来るのが初めてなのに懐かしいような気持ちになった。
タヴィアンに程近い場所に正座をする。部屋の入り口である襖から進んだ奥には大きな障子があり、開け放たれた部分から窓が覗いていて、冬の青空と手入れされた庭の景色が見えた。
窓ガラスの向こうの景色は、うららかな昼の日差しが差し込んで暖かそうに見えるが、時折吹き付けて窓枠を揺らす強い風は、身を切るような冷たさをしているに違いない。庭には玉砂利が敷かれていて、いくつか植えられた松の木が趣深い。日本庭園、と呼ぶのがふさわしいだろう。翔くんは本当に由緒正しい家柄の人なのだと、つくづく思う。私とはあまりにも立場が違う。
この子からは見慣れた景色なんだろうな、とタヴィアンの額に手を伸ばして撫でれば、ゴロゴロと喉を鳴らしていた。

「なんだって客人がそんな隅っこに座るかねぇ」
「客人って。私はそういう認識はあまりないよ」

上方から呆れた声が降ってきたかと思うと、すぐ隣に翔くんがそっと座り込んであぐらをかいた。極力音を立てない動作はタヴィアンを驚かせないためだ。翔くんと長く過ごしていると、言葉にはしない優しさに気付くことがたくさんある。それはタヴィアンに向けてのものに限らず、彼の仲間であるチームメイトの彼らや、…気恥ずかしいが、私に向けてのものでもあるのだ。

「ふん、我が家に招いたら誰もが等しく天花寺家の客人だ。それが礼儀ってもんだろ。しかし玄関でちゃんと知らせたってのに、まるで人が来る気配がないな。両親には話をつけてあるんだが」
「それもそうだね。お家の人やお手伝いさんも忙しいんじゃない?」
「ああ、もう十二月だしな。師走というだけあって、これから年末年始に向けて暇なんてありゃしねえ」

普段の翔くんの忙しさを思えば、実家の人々がそれ以上に忙しくても不思議ではない。私としては、お家の様子をゆっくり眺めることができるし、実家にいる翔くんというものが見られるので、どちらかといえば役得だ。

「ねえ、この部屋って普段は何に使うの?」
「…そんなこと聞いてどうするんだ?」
「質問に質問で返さないでよ。私はここにいる翔くんのことは知らないから、聞いてみたいの」
「ふうん。まあ、いいけどな」

翔くんは頬杖をつくと、窓のほうへ目を向けた。

「ここは基本的に客間だが、昔は部屋が今より余ってたからな。俺がガキの頃は日常的によく使ったよ」
「へえ」
「親父が俺の稽古を見てくれた日は、決まってこの和室に呼び出されたもんだ。向かい合うようにして座って、良かったところも直すべきところも、全部教えてくれた。細かいところまでよく指導されたよ。緊張もしたが、嬉しい気持ちのほうが大きかったな」

私は、こんなにも過去の自分を語る翔くんを見るのは初めてだった。思わず膝の上に置いていた手のひらをぎゅっと握りしめてしまう。自分は今、とてもかけがえのない記憶のことを話してもらっている。何に打ち込むにも懸命で、まっすぐに努力する翔くんを形作った思い出の話。それを聞かせてもらえることを、私は幸福だと受け止める。昔の話をする翔くんは、どこか優しげな眼差しをしていて、懐かしむように口元には笑みを浮かべていた。私はその横顔から視線が離せない。

「…おい、お前が話せって言ったんだろうが。何か反応しろ。居た堪れない」
「あ、ごめん」

穏やかな表情から一転、少し照れたように眉をしかめた表情がこちらを向いたので、不意をつかれた気分になった。彼の意志の強さを表す、真紅の瞳とばっちり目が合ってしまい、私は思考から現実に引き戻される。

「翔くんは愛されて育ったんだなぁって、思った」
「愛…、はぁ!?」

私が率直な感想を述べると、翔くんが大きな声を出した。すると、タヴィアンが「にゃおん」と驚いたように鳴く。私の膝の上によじ登ってきた彼女を見て、翔くんは目を白黒させながらも口元を押さえた。私はその姿をちょっと微笑ましく思いながら、言葉を続ける。

「翔くんは恥ずかしい台詞だなって思うかもしれないけれど、私はこの家に来てからずっとそう思ってるよ。今日、ここに来られて良かったって、思ってる。ここに呼ばれたのが、私だってことが嬉しい」

玄関に立った時は心臓が張り裂けそうだったのに、翔くんと話していると緊張がほぐれていく。私はいつだって彼から目が離せなくて、緊張どころではなくなってしまう。この人が、私を両親に紹介したいと言ってくれたことの重大さを受け止めようと思った。私は誇らしい気持ちで、彼にこう告げる。

「私を選んでくれて、ありがとう」

素直な気持ちだった。けれど、少しの間を置いて恥ずかしさが私を襲う。
あれ。これって結婚式の控え室で交わされる新郎新婦の会話のようでは。その証拠に、翔くんは驚いたように無言で何度か瞬きを繰り返している。さっきの彼の言葉を借りるわけではないけれど、何か反応してほしい。居た堪れない。
その時、私はひそかに心の準備をしていた。翔くんならこう返すだろう、と無意識に想像をしていた。自信家の彼のことだから「ふふん、光栄に思うんだな」とか、そういう反応を予想をしていたのだ。
けれど、予想は私のことを裏切った。

「ああ。オレもここにいるのがお前でよかった」

照れることもなく、揶揄うこともなく、翔くんは少し目を細めたかと思うと、笑みを浮かべてそう言った。私はその姿に、せっかく落ち着いていた心臓の鼓動がだんだんと早まるのを感じた。彼は私のささやかな心の準備なんて関係ないくらい、格好いいことを言う人なのだ。
返す言葉もない私に、翔くんはちょっと笑って頭をぽんぽんと撫でてくれた。そのまま指先が滑ったかと思うと、私の髪先をゆるりと持ち上げて、翔くんが口付ける。思わず身を硬くした私が何かを言うより先に、別の声が私たちの動きをぴたりと止めた。翔くんと私の間、膝の上でタヴィアンが「なーお」とひときわよく響く声で鳴き、膝を駆け下りていった。

「あ、どこに行くの!タヴィアン!」

何とも言えない表情をした翔くんから目をそらし、私はタヴィアンの行く先を視線で追った。正直、助かったと思う。急にあんなことをされては心の準備が足りないというものだ。
タヴィアンは窓のすぐそばで立ち止まったかと思うと、尻尾をゆらゆらさせている。ガラス窓は近くで見ると、室内との気温差から僅かに薄白い。見上げた先の空にはいつのまにか広がっていた灰色の雲があり、ちらちらと白いものが降ってきているのが分かった。

「…雪だ!」

私の言葉に、翔くんも物珍しそうに窓際へ寄ってくる。広い和室の中、わざわざ寒い窓際に集まって、肩を寄せ合って食い入るように空を見上げる私たちは子供みたいなんだろう。
そろりと開けられた襖の向こうで、翔くんのお母様が微笑ましくこちらを見ていたことを知るまで、あと少し。

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