! マジシャン虎石くん

初めてその男の子を見かけたとき、花屋の手伝いをする少年だと思ったのだ。だってその子は、両腕にたくさんの花を抱えきれずに、ぽろぽろと落としながら困った顔をしていたから。

「なにしてるの?サーカスのテントの裏はあぶないから、子どもが勝手に行ったらいけないって、パパが言ってたよ」

私が後ろからその子に声を掛けると、「わあ!」と大きな声を出して、花を全部落っことしてしまった。驚かせたことをちょっと申し訳なく思って、私は男の子と一緒にしゃがんで、花を一本ずつ拾った。男の子がとても丁寧に花を拾うので、私はそれを真似するように、できるだけ優しく拾い集めた。

「…お前だっているじゃん。サーカスのテントの裏」

自分だけ注意されたと思ったのか、男の子はちょっと口を尖らせて言った。手のひらが、オレンジ色のガーベラを地面から掬いとる。

「私はいいの。この街のお医者さんのムスメだから。パパがサーカスの人を診察してるあいだ、ここで待ってなさいって言われたから、待ってるだけだもん」

私は、私がここにいる理由をきちんと話した。どんな時もはきはきと、きちんと理由を説明できるようにしなさい。それが父親の口癖だった。私がきっぱりと答えて言い返せないのか、男の子は黙りこくってしまった。なにも話せないのは嫌だなぁと思って、「驚かせてごめんね」と言ったら、少しだけ間があってから「いいよ」という答えが返ってきた。
それが和泉くんとの出会いだった。興行中、父はたびたびサーカスの人に呼ばれ、診察に赴いた。私をひとりで家に置くことを良しとしない父は、よく診察に私を同行させた。そして、テントの裏を覗いてみると、彼は決まって花を相手に困った顔をしているのであった。
和泉くんはいつも手を開いては閉じて、そこに何もないのは当たり前なのに、がっかりしたような顔をしていた。私はたびたび、彼がぽろぽろと落っことす花を拾う手伝いをした。彼が遊んでいるわけではなく、一生懸命何かに取り組んでいることは、もう分かっていた。
彼がサーカス団に所属している手品師の見習いであると知ったのは、興行の最終日で、次の街に行かなければいけないという和泉くんから全然離れたがらなかったことを覚えている。

「どこか遠くに行っちゃうの?もう会えないの?」
「また会えるって。オレ達は何処へでも行くし、ここにも戻ってくるからさ」

私は何回も同じ質問をしたし、和泉くんは何度も同じ答えを返してくれて、泣き止まない私の手を握っていてくれた。それから、彼はポケットから一本の花を取り出して、私に渡した。赤くて、私が名前を知らない花。彼の黒髪に混じるのと同じ、鮮やかで綺麗な色の花。
私の気が済んだと見るや、父は不機嫌な様子で私を家に連れ帰った。それきり、和泉くんには会っていない。翌日、サーカスのテントがあったところには、まるで目が覚めたら忘れてしまう夢のように何も残っていなくて、また涙が出てきそうだった。
潮風が強く吹くこの街では、植物はあまり育たない。花屋が店を構えるはずもない街だと、幼い私は知らなかった。父が興行主と話をつけて、見習いの少年の練習場所であるテントの裏を指定して、私を待たせていたということも、後から知った。診察のあいだ、私が勝手にどこか行ってしまわないように。軽い気持ちで遊び相手をあてがったつもりでいたのだろう。それなのに、私が最後の日に駄々をこねたから、叱られてしまった。あの頃の私は弱くて無知だったけれど、それは十七になった今も変わらない。まだ、立派な医者にはなれそうにもない。
あのとき和泉くんが、腕の中からこぼした花の彩りは、私の記憶から色褪せたことがない。医術書を読むときに挟む押し花の栞は、幼い私が彼からもらった花で作ったもので、かなり年季が入っている。不思議と、その花の赤色は年月を感じさせないほどに鮮やかに見える。私が、色褪せないでほしいと願うから、そう見えるのかもしれない。
待ちわびているその日は、まだ来ない。私は栞を挟んだ本に顔を伏せると、そうっと目を閉じた。潮風が、開いた窓から流れ込んできて、鼻先をくすぐった。

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