! FILAMENTネタバレあり



いつだって、彼が階段を駆け下りる音で意識が冴えていく。
重い扉をガチャリと開けて、彼が部屋に入ってくる。
似たような姿ばかりのなかから、私をすぐに探し当てて、歩み寄ってきて彼はこう言うのだ。

「みっけ!今日は何話す?」

どっかりと座り込んで、彼は初めて会った日と同じように彼に関わるさまざまを話し始める。
内容は主に自分の仕事のこと。
所属している特務室という館について。
そこに住まう仲間と上司と過ごす日々。
亡者。獄卒。生者。閻魔庁。
私には聞きなれない言葉ばかりだが、彼の言葉はスポンジのように私に吸収されていくために、最近ではぼんやりと理解できるようになった。
この部屋から出たことのない私の世界が広がっていく感覚。
それを与えてくれるのは、紛れもなく黄色の瞳をした彼なのだ。

「なあ、聞いてる?」

彼がふと口にする。
考え事をしていたのを悟られただろうか。
心配する間もなく、彼は昨日の食事について話を始めた。
すると、再びガチャリと扉が開いて、彼とよく似た格好の男が部屋に入ってきた。

「平腹、こんなところで何をしている」
「あれっ。谷裂じゃん!どした?」
「貴様が病院に着くなり失踪したから探していたんだろうが…」

本来の目的を疎かにするな。抹本に荷は届けたのか。
そんな風に男は続けて、怒られているはずの彼は平気そうに笑みを絶やさない。
えー。渡したってぇ。そんな怒んなよ。
彼が楽しそうだと私も嬉しくなる。

「うふふ」

声を上げると、男は私のほうを見た。
じっと注がれる視線は、自分と同種のものではなくただの物体を眺めるように冷えている。
その視線は苦手だ。

「平腹」
「んお?」
「繰り返すが、こんなところで何をしている」
「何を、って。喋ってたんだよ。こいつと」

彼がひらりと私を指差す。
おおきな手。
男は呆れたようにため息をひとつ返すだけだった。

「そのような、ただの魂に話しかけても何にもならんだろう」
「そう?オレたちだって元は『こう』だったんだろ?」

彼の周りには、おびただしい数の魂が漂っていた。
私を含めた青白い炎のような姿がいくつも、いくつも部屋を埋めている。
私たちはリコリス総合病院の地下の部屋で安全に、閉鎖的に飼われているのだ。
どれくらい前にここへ来たのか、それは覚えていない。

「…昔の話だ」
「でも本当のことだろ?」

彼の言葉に、男は押し黙った。
話をする気がなくなったのか、「先に行くぞ」と部屋を出て行ってしまう。
彼は、私を見下ろした。
座っていてもなお、私たちの間にある距離は、姿形があまりにもかけ離れているせいで生まれている。
彼には胴体や頭、腕、足がある。
人間と呼ばれるものによく似通った姿だ。

「なあなあ」
「くすくす」
「今はオレが話しかけても笑うだけのお前だけどさ」
「うふふ」
「いつかちゃんと話せると思うんだよな」

彼は頭に乗せていたものを脱ぎ、私のほうへかざした。
これはなに?
ふわふわと近寄ってみると、彼は少し目を細めた。

「オレさあ、次の任務が終わったら肋角さんにお願いしてみるんだ。お前のこと獄卒にしてもらえないかって」

獄卒。
彼が話す言葉のなかで、おそらく一番多い言葉。
それはなに?
この病院にいる、薬師の彼もそうなの?
同じ服を着ている彼も、あなたの仲間なの?
私の疑問は彼に届くことはない。

「お前が獄卒になったらどんなんかな。オレより仕事できちゃったりしてなー」

けらけらと、彼がいつになく愉快そうにしている。
その手のひらは探るように、私の表面に触れた。
私の感触がふしぎなようで、彼の手のひらは何度か表面をすべっていく。

「あったけえなあ」

彼はいつだって快活そうにしているが、この部屋に長いこと居座る時は、どこか昔を懐かしむような顔をする。
人の形をした存在の表情を読み取ることは、顔のない私には難しい。
だから感じ取れるのは、彼の奥底にある魂の機微の部分なのだと思う。
今でも覚えている。
無数の魂が浮かぶこの部屋で、彼が私だけを見て話すようになった日のことを。

「お前の目の色、どんなかな」

そう言って、彼は楽しみだと言いたげに笑うのだ。
彼と同じものになれるかもしれない。
そう期待するのは途方もないが、その途方もない時間を待てるくらいには、私は長い長い孤独を過ごしてきた。
魂だけのこの姿。
私は、いつか形になるなら、あなたと同じがいい。
あなたと一緒の姿がいい。
胴体や頭、腕、足があって、人間と呼ばれるものによく似ていて。
あなたの笑顔をずうっと見てきた私はそのとき、うまく笑えるだろうか。

20160308


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