平腹が、花瓶を抱えているところを目撃した。
さっき、名前が買ってきた花をていねいに活けたばかりの花瓶だった。
俺と目が合った平腹は、一度まばたきをしてから言った。

「あ、田噛に見られた。でも、まあいっか!」

そうして、何のためらいもなく手を離す。
花瓶は重力に従って落下し、耳障りな音を立てて割れた。
散らばった花の隙間から水がじわじわと絨毯に侵食し、色を変えていく様を見つめる。
ちらりと見やるが、平腹はいたって平静を保った様子だった。
慌てる素振りは少しもない。

「お前、わざと割っただろ」
「うん」
「佐疫が怒るぞ」
「うん。佐疫は怒るけど、名前は怒らないんだろうなぁ、あーあ」

談話室のソファーにぼすん、と平腹が寝転がる。
仰向けになっている表情は笑っているがどこか残念そうで、俺は同じソファーの肘置きに腰掛けた。
平腹が名前のもの、または名前が手をほどこしたものを壊すのはこれがはじめてじゃない。
何度だって目にしてきた。
そのたびに、そそっかしい奴だと呆れてきたのだが。

「なあ田噛ぃ」

平腹は間延びした声で俺を呼んだ。
しばらくしないうちに花瓶に気付いた佐疫や肋角さんに叱られるだろうに、名前はきっと表情に出さずに傷付くだろうに、のんきな声だった。
返事をせずにいたら、平腹は続けた。

「どんだけひどいことしたら、あいつは怒るのかな」
「怒らせたいのか」
「名前のいろんな顔が見たいだけ。オレには見せない一面なんて、全部なくなればいいのに!って思う」

名前は面倒な奴に好かれて、そして面倒な奴を好きになったもんだとつくづく思わずにはいられない。
他人が聞いたらどう思うか知れないような内容を、平腹はあたりまえのように話すから、俺のほうがおかしいのかとさえ思えてくる。
他人の恋愛観なんて、理解するのは無駄なことだとは思うが。

佐疫が名前に言っていたのを聞いたことがある。
いつも平腹に大事なものを壊されてばかりじゃないか。
もう少し、自分の気持ちを言ったら?
どうして名前は怒らないのさ。
本人よりも憤慨しているらしい佐疫にたいして、名前は少し悲しそうに笑い返すだけだった。
いいの。
そんなに大事にしていたわけじゃないから。
平腹に悪気がないのなら、怒ったって仕方がないよ。

ところが、こいつは悪気があってやっていたのだ。
もし名前が知ったらどんな顔をするだろう。
すこしだけ気になったが、俺から平腹の所業を告げ口するなんていう面倒なことをする予定はない。
しかし、目撃したからには尋ねてもいいだろう。

「何だってお前、あいつにひどいことばっかりするんだよ」

俺は佐疫のような性格ではないから、責めるつもりは毛頭なかった。
ただ単純に、好んでそばに置くほどの女相手に優しくしない理由が知りたかった。
恋人と呼ぶ仲だろうに。
普段は平腹も名前を特別に扱っているから、なおさら不可解だ。
仰向けに天井を見つめていた黄色の瞳が、ふいにこちらを向く。

「名前ってさ、オレのこと怒ったことないんだぜ。ずっと一緒にいるのに、一回もない。それってすごくね?」

自慢するようには聞こえなかった。
すごいと言いながら、ふしぎで仕方がないというような口ぶりだった。
極端な言い方をするならば、理解できないといった様子で平腹は話した。

「でもそれって愛じゃねえよなぁ」

あんまりに似合わない言葉を聞いて、平腹のことをまじまじと見てしまった。
たしかに、名前の平腹にたいするそれは優しさが行き過ぎていると思う。
俺だったら悪気があろうとなかろうと一回目で殴っているだろう。
平腹の言葉は朗々としていて、本気でそんなことを思っているのだと伝わってくる。
こいつは正気で、名前が泣いたり怒ったり理不尽なことをしたりする様が見たいのだ。
愛じゃない。
そう愚痴るということは、こいつはそんなものを欲しているらしいのだ。

「なんだお前、人間みたいなこと言いやがって」

思ったことを率直に言えば、平腹は俺に花瓶を抱えているところを見られたときみたいに瞳を大きくした。
意外だ、と目が語っている。

「人間みたい?オレが?」

ソファーから勢いをつけて起き上がった平腹は笑う。
その笑顔を見るに、こいつは名前が怒るまで似たようなことを繰り返すのだろうと確信が持てた。

「そうかも!」

きっとこいつは、今ここで俺が立ち上がって床に散らばった花を踏みにじったら、やめろよと叫んで怒るに違いない。
名前の花になにすんだよ、と殴りかかってくるはずだ。
自分が彼女にしているのと同じことを他の奴がしたら、気に食わないに決まっている。
そして、なぜ自分が怒っているのかにも気付けない。
名前は早く怒ればいい。
平腹を満足させて、同時に後悔させればいいんだ。

20160223


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