特務室の全クーラーが故障、と風の噂に聞いてまず思い浮かんだのは、田噛のことだった。
今は夏の真っ盛りで、数日前に特務室へ赴いた時はクーラーの利きすぎた自室でだらだらしていた平腹と田噛の姿を見た。
快適空間に慣れた彼らが急に猛暑のなかへ放り出された今の状況は、どんなに地獄のようかというのはなんとなく予想がついた。
差し入れでもしてやったら気が紛れるだろうか、とクーラーボックスにアイスや氷を詰め込み、特務室を訪れた。
館内はむっとした熱気がこもっていて、制服姿がすぐに息苦しくなる。
廊下でロングコートを脱いだワイシャツ姿の災藤さんと挨拶を交わし、貴重なものを見た気分で食堂までやって来た。
人が多い時間帯だろうという予測のもとにこの場所を訪ねたのは正解だったようで、クーラーボックスを受け取ったキリカさんの後ろでは、特に目を輝かせた獄卒が数名いる。

「非常に助かる。ありがとう」
「名前サンキュー!アイス!アイス!」
「これでかき氷できるかなあ」

喜ぶ斬島、平腹、木舌に手を振り、その場を後にする。
かすかに聞こえてくるピアノの音色に、佐疫の居場所を想像した。
先ほど災藤さんに会ったことだし、じきに食堂へ行くよう伝えてもらえるだろう。
佐疫だったら、今日も鍛錬をしているだろう谷裂のことも、熱中症にならないうちに呼びに行ってくれるに違いない。
ただ一人、居場所が知れない彼については誰も見つけてくれないかもしれない。
自室の扉をノックした後、まさか暑さに倒れてやしないかとこっそり覗いたが、田噛の部屋はもぬけの殻だった。
さてどこにいるのやら、と視線を彷徨わせ、目についた窓の外を注視する。
一旦外に出て、館の影になる薄暗い道を歩くと、草や土がさくさくと鳴った。
ひときわ大きな木の根元に、いた。
一番涼しい場所を知っている猫のように、ここへたどり着いた彼は力尽きて眠ってしまったんだろう。
仰向けに横たわり、普段なら顔を覆っている制帽は暑いためか脇に投げ出されている。
田噛がここでうたた寝を始めてずいぶん時間が経つようだ。
彼の顔に射す西日を見てそう思う。
私は彼の隣に腰を下ろした。
田噛の姿は再び西日から隠される。
なるほど、確かにこの場所は館の中よりずっと涼しく心地よい。
じーわじーわ、と死に損ないの蝉が鳴く声を感じるとともに、木々の間を生ぬるい風が吹き抜けていく。
もう一度、田噛の顔を覗く。
よく眠ってはいるが、熱中症の心配はなさそうだ。
彼の制帽を手に取り、扇ぐように上下させると、彼の寝癖だらけの黒髪がふわふわ揺れた。
すう、と心地よさそうな寝息がふいに止まり、うっすらと彼のまぶたが開く。
無意識に、私は背後に感じる西日を思い出した。
彼の双眸は、この暑さを生み出している燃えるような夕焼けと同じ色をしている。
薄暗がりのなかでも輝きを見せる橙が、私を捉えて名前を呼ぶ。

「……名前?」

おはよう、と声を掛けたが、夢うつつの彼はぼうっとこちらを見つめるばかり。
なぜ非番の日に私がこんなところにいるのか、すぐには合点がいかないらしい。
そんな田噛を見ていると、汗で額に張り付いた前髪が目に留まる。
鬱陶しそうだな、と伸ばした手と交差するように、田噛の手がこちらに伸びてきた。
私の指先が湿った前髪にふれるころ、田噛の手のひらは私の頬を軽くつねった。

「…痛い、んだけど」
「なんだ現実か」

この男、夢かどうかを自分ではなく他人をつねることで確認した。
そのしたたかさというか自分勝手な様には呆れを越して尊敬を覚える。
田噛は起き上がると、木の幹に背を預けたまま私の頬を手の甲で撫でた。

「都合のいい夢だったら、このまま攫っちまおうと思ったのに」

そう囁いて、田噛が薄く笑う。
どくり。
特別な感情が溶け出したその昏く明るい双眸に胸が騒いだ。
彼の手のひらは何の余韻もなく離れ、私の手から制帽を受け取り、田噛は立ち上がって伸びをする。
先ほどの出来事は、私が見た白昼夢であるかのように、彼はいつも通りだった。
制帽をかぶり直し、館の入口に向けて歩き出した彼を追う。
立ち上がるわずか一瞬、足が竦んだ気がする。
田噛のあんな顔ははじめて、見た。

「田噛、食堂に行こう」
「ん」
「いいものがあるよ」
「そりゃ楽しみだ」

本当に楽しみにしているのだろうか。
さっきの笑みが嘘みたいな仏頂面からは窺い知れない。


ゆうかいしちゃうぞ


20160208
(俺だけを見つけにきたなんて、そんな都合のいいはなし)


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