ぺら、ぺらり。
紙をめくるかすかな音に意識が浮いて、ああ自分は眠っていたのだったと思い出す。
目を開くと、見知らぬ天井だった。
腕を動かそうとすると違和感がある。点滴を繋がれているようだ。
病院のベッドに寝かされているのだとようやく理解して、私は辺りを把握しようと目だけを動かした。
窓際のほうがまぶしくて、少しのあいだ目をこらす。
よくよく見慣れた姿に平腹、と名前を口にしかけたが、うまく声は出なかった。

平腹は軽くうつむき、何かに見入っていた。
その手元からぺら、ぺらりと紙の音がする。
彼が漫画を読むのは珍しくないので、その姿をなんとなく眺めていたら、その装丁が小説本のようだと気が付く。
文字だけの本はあんなに苦手だと言っていたのに。
目の前の光景が信じられなくて、私はまだ眠っていて夢でも見ているのではないかと疑った。
ふと、平腹が私の視線に気づいたようで顔を上げた。
その瞳の下には、うっすらと隈があるように見える。

「やっと起きた!」

言うなり、彼は椅子をガタガタと引いて、窓際からベッド脇へ移動してきた。
何か声をかけるべきだとわかっているのに、頭が寝起きのためにぼうっとして言葉が思い浮かばない。
彼が手にしている本を眺めていると、平腹がそれをひょいと持ち上げてみせた。

「ん、これ?名前が前に読んでたやつ探してきたんだ。これ読んでなに考えてたんだろ、とか思って。結局全然わかんなかったんだよなー」

平腹はつらつらとよく喋った。
普段から聞いてもいないことを止めどなく喋る傾向はあったけれど、それにしても様子が変だ。
どことなく声に覇気がない。

「名前、いつ起きるかわかんなかったし。ヒマなのがすげー嫌でさ」

ぽつりと漏らしたその一言は特に、拗ねた子供ような言い方をしていた。

「文字だけの本ってめちゃくちゃ眠くなるはずのに、オレが寝てるあいだに名前が起きたら損だな、って思ったら目ェ冴えて眠くなんねーの」

笑顔でなおも話し続ける彼を遮るように手のひらを向けると、ぴたりと静止して口を閉じた。
そのまま伸ばした手のひらで、瞳の下の薄い皮膚を親指で撫ぜる。
高い体温が指先に伝わってきた。

「心配かけたね、平腹」

枯れた声だが、ようやく彼に話しかけることができた。
彼は何か言いたそうに口を開いたものの、言葉が見つからないようで目を泳がせた。
それからベッドへ腰をおろすと、私に限りなく突進に近い抱擁をかましてきた。
病み上がりの体にどすんと重たい衝撃が響いて、うめき声を出してしまう。
バサバサという音は本が落ちたのだろうか。
また寝込んだらどうしてくれよう、と思わなくもなかったが、平腹が顔を上げないまま何事かをぼそぼそと抗議するので黙って耳を傾ける。

「ほんとだよ。お前はじめて死ぬんだもん。びっくりするじゃん」
「ごめん」

長いこと獄卒を務めてきたが、あまり前線に出ない立場もあって、死からの再生という体験は、平腹の言う通りはじめてだった。
平腹の説明によると、私の治癒力はかなり遅いほうで、先生や抹本も尽くせる手は尽くしてくれたようだった。
平腹が私のそばで様子を見ると言い出したとき、特務室の皆は揃って反対したそうだ。
しかし、いつになくおとなしく意気消沈した彼の様子に、最後は肋角さんが折れたらしい。
なんというか、お騒がせしましたとしか言いようがない。
歩けるようになったら、皆に謝りに行かないと。
そうして思考を巡らせているあいだにも、平腹は私の腕を持ち上げたり手のひらを握ってみたりしている。
まだ痛むからやめてほしかったけれど、平腹の気が済むまではと好きにさせておく。
黄色の瞳が何度もこちらを覗き込んだ。

「名前」

ふと、彼との距離が急に縮まる。
さして豊かでもない私の胸に、平腹は神妙な顔で頬をぐりぐり寄せた。

「どくどく鳴ってる」
「そりゃあ、生きてるからね」
「これ、昨日は止まってたんだぜ。それがすげぇ怖かったなって、今気づいた」

私の胸に耳を当てて、じっと心音に聞きいる平腹の頭をなでる。
さらさらというより、ふわふわチクチクとした触り心地の髪だ。
なんとなく、私が死んだあとの仕事の後始末は平腹がしてくれたのだろうなと思った。
それをわざわざ尋ねることもない。

「平腹に怖いものはないと思ってた」
「あるよ。肋角さんの怒った顔とかな!」

私から離れるように身を起こし、いかにも本気だといった様子で話す彼に、つい笑ってしまった。
久しぶりに表情を形作った私の頬に、大きくて温かな手のひらが触れた。
この感覚に覚えがある。
目を覚ます前に何度も、眠る私の頬に触れてきた体温は確かに目の前の彼のものだった。

「オレにも怖いもの、ちゃんとある」

平腹は、私の目覚めをどんな表情で待っていたのだろう。
私が死んでいるあいだ、どんなことを誰と話したのだろう。
そんなふうに考えたら、急にもどかしい気持ちになって、これからの命が惜しくなってしまった。
この先また死んでしまったら嫌だな、などと。
私はこの仕事に向いていないのかもしれない。

20160929


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