夏風邪を引いた。
報告するのが嫌で嫌で仕方なかったのだけれど、恋人の田噛にはいずれ分かることなのだから伝えなくてはと思って切り出した。
頬杖をついた田噛はまず一言。
「馬鹿なのか?」
ええ、仰るとおりです。

「お前は馬鹿なのか?夏風邪は馬鹿が引くって知ってるよな?でも平腹は一度だって夏風邪になったことがない。お前はそれ以下なんだぞ。よりによって盆の前に風邪なんかになりやがって。亡者も獄都もクソ慌ただしい繁忙期にお前一人だけ休むってか?迷惑をかけてる自覚はあるか?誰がお前の埋め合わせすると思ってんだよ」

あの面倒臭がりの田噛の口が止まらない。
だるさよりも私を罵倒したい気持ちのほうが大きいのだと思うと非常に落ち込んだ。
心なしか頭痛が増していく。
同じ食堂に居合わせた木舌が「それくらいで許してあげなよ」と口を挟んでくれたのだが、「すっこんでろ」「あっはい」一言で上下関係が決まってしまったようだ。

「反省しろ」
「はい…」
「まずは肋角さんに報告。それから休暇届」
「はい…」

腕組みをした田噛に見送られ、ふらふらと食堂を出て執務室に向かった。
夏風邪を引きましたという私の言葉に返ってきた第一声は、「大丈夫か?疲れが溜まってるんじゃないのか」そのせいで私はしくしく泣き出した。
肋角さんがおろおろしているので非常に申し訳ない。
なんて気遣いに満ちた反応なんだ。優しい世界。
田噛が私にたいして辛辣で容赦がなくて、周りに大丈夫?ほんとに恋人?と言われるのはいつものことで、私だって普段ならへっちゃらなのだが如何せん体調不良の情緒不安定には勝てなかった。
しんどい体に上司の優しさが染みて涙で前が見えない。

「ひとまず今日は部屋に戻って休め。休暇届の申請は後日で構わない」
「肋角さぁん…」
「泣くな。泣かれると弱いんだ俺は。対処に困るから田噛を呼ぶぞ」

それはやめてほしかったので、肋角さんの前ではしゃきっとした。
執務室を出る頃には疲れ切っていた。
田噛に怒られたり怯える木舌を見たり泣いてしまったり肋角さんが焦ったりといろんな出来事がありすぎた。
自分の部屋まで戻り、肋角さんに言われたとおりに布団へ入った。
すぐに眠気が襲ってきて、起きる頃には風邪が治っていますようにと目を閉じる。


□□□


カチコチという時計の音に意識が冴えてくる。
私の部屋にある、災藤さんからもらったアンティーク調の古めかしい時計の音だ。
布団に入ったのは昼頃だったが、時計の針は夕刻を指していた。
お腹、空いたな。
そしてちっとも風邪が良くなってない。
頭と喉の痛みにうんうん唸っていると、ドアがガチャリと開いて、私は目を丸くさせた。
田噛が御盆を手に立っている。
まさか夕食を運んできてくれたんだろうか。
いや、昼間はあんなに不機嫌だったのだ。彼が自らその役を買って出るとは思えない。
きっと肋角さんや災藤さんに促されて、様子を見てきてくれないかと頼まれて断れなかった結果だろう。
その証拠に田噛の眉間のしわはとても深かった。
これ以上罵倒されるのも迷惑をかけるのも嫌だという気力のみで体を起こすと、あちこちが痛んで呻きそうになる。
そんな私を見て、つかつかと歩み寄ってきた田噛は怖い顔のまま、私の額に手のひらをあてた。

「寝てろ」
「起きます」
「いいから」

田噛の手のひらが私を枕まで押し返した。
それきりもう起き上がれそうにない。
さっきは本当に無理をして動いたのだな、しかしやればできるのだなと自分に感心する。
ずり下がった布団を指先で探していると、見慣れた手のひらが私に布団を掛け直した。
田噛は私のことをじっと見下ろしていたかと思うと、御盆を机に置いてから、もう一度そばにやってきた。

「熱は」
「は、はかってない」

怒られるかと思ったが、田噛は黙って体温計を取り出すだけだった。
私がもそもそと時間をかけて体温計をはさむのにたいしても、黙って待ってくれている。

「食欲はあるか」
「ふつうに…」
「先に薬だけでも飲め」
「ありがとう…」

錠剤とコップに入った水まで持ってきてくれる田噛に、私はそわそわと落ち着きがなく彼を待っていた。
嫌々ながらやっているのでは?と、心配してしまう。
しかし礼を言った私をまたじっと見つめて、田噛がわしわしと頭を撫でてくる。
やばい。また泣きそう。

「食事、あとで食べるね」
「ん」
「本当にありがとう。誰かに頼まれたんでしょう?」
「そんなところ」

田噛に面倒がられていない。
それだけで饒舌になる私は単純だ。
いくつか仕事に関する会話をして、そのうち田噛が部屋を出て行こうとする。
その様子を布団の中から見送っていると、振り返った田噛が言う。

「何かあったら非番の佐疫を呼べ。無理に動くなよ」

ドアが閉まり、こつこつという足音が遠ざかっていって、私はゆっくりと体を起こした。
食事の載せられた御盆を見て、あることに気が付く。

「あれ、箸がない…」

どうしようかな。
困っていると、コンコンとノックの音がする。
どうぞ、と言えば木舌が扉を開けて部屋に入ってきた。

「こんばんは。具合はどう?」
「さっき薬を飲んだよ」
「そうか。なら安心かな。あ、そうだ。これを持ってきたんだ」

木舌が歩いてきて、御盆の上に一膳の箸を添える。
私が不思議そうにしていると、彼はにこにことして話し出す。

「田噛ってば、自分の食事を終えるなり、急いで食堂を出て行ったからさ。呼び止める暇もなかったんだよ」
「誰かに、私の面倒を見るように頼まれたんじゃないの?」
「いいや。田噛は何も言われなくてもそうしたよ。…嬉しそうだね、名前」

私は自然と緩む口元を見られたくなくって、布団をずり上げる。
木舌はよかったね、と言って部屋を出て行った。
私は思わずため息を吐いた。
体の自由が利けばいますぐ飛び起きて田噛のところへ走っていくのに。
幸福な気持ちで、私は箸を手に取った。
私のためのごはんが、とても美味しかった。

20160714


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