※4月1日のぼくらの怪奇譚ネタです 友達とかくれんぼをしたときに入った森の奥で、私は男の子に出会った。 名前を聞いたら、「たがみ」とだけ返ってきた。 漢字の想像がつかない、聞いたことのない名前だった。 その日は友達が全然探しに来なくって、私は年の近そうな彼といろんな話をした。 たがみくんはとてもものしりな男の子だった。 私の通う小学校の誰よりも、ううん、きっと先生や大人のひとくらいになんでも知っている。 虹の原理。光の三原色という言葉。 甘い蜜の出る花が咲く場所。 落とし穴の作り方。木登りのコツ。よく飛ぶ紙飛行機の折り方。 そして数々の、星座のはなし。 たがみくんはなんでも知っていて、それなのにほかの男の子みたいにえらそうにしていなかった。 少なくとも、私の幼い思考から生まれる質問のすべてに答えられるくらい、彼はいろんなことを知っていた。 「なんでも教えてやる。もっと知りたきゃ、明日もこい」 たがみくんの言葉はみじかくて、まっすぐで、他の誰もしないような話し方だった。 私は森の中にまだいるという彼に手を振り、道に出てしばらく歩いたところで友達と会った。 友達は私のことを全然見つけられなかったと言い、私はかくれんぼのいい隠れ場所と奇妙な友人を同時に得たのだった。 私は次の日も、その次の日も、その先もずっと、毎日森の奥へ足を運んだ。 いつだってたがみくんはそこにいて、私にまたひとつ新しいことを教えてくれるのだった。 私はたがみくんにたくさんのことを教えてもらうのが好きだったけれど、いちばん好きだったのは彼の目の色だった。 むかし、おばあちゃんがこっそり見せてくれた「こはく」というものに、たがみくんの目はそっくりだった。 草や花を見つめているそれが、ふと私のほうへ向くときはきらきらとして、本当にきれいに光っていた。 夕焼けの色みたい、と一度ほめたら、たがみくんは口をへの字にしてちょっと黙り込んで「ふん」と言った。 そうしてこんなことを言った。 「夜にここへ来たら、星のはなしをしてやるよ」 私はその言葉に強く強く惹かれた。 行ってみたい。 きっとたがみくんは星のはなしをしているときがいちばんおしゃべりになって、楽しそうなんだと思うと見てみたかった。 その頃には、星よりたがみくんのことのほうがずうっと気になっていた。 毎晩、家を抜け出すことを考えた。 けれど夜に外へ出かけたことなんてなかったから、玄関のドアの前まで行けても、その先の真っ暗闇を想像して私は足がすくんだ。 こんな暗い夜に小さな男の子が待っているわけないのに、私が森に入るとたがみくんは決まって同じ場所にいるから、勇気さえ出してえいやっと駆けていったら会えるような気がするのだ。 私は何度も、夜に出かけようとベッドから抜け出しては、開けられないドアを見つめて膝を抱えて座っていた。 そんなことを繰り返していたら、ある日親に見つかって叱られてしまった。 私は謝ってから、友達と約束をしたからとたがみくんの話をした。 最初は怒った顔をしていた両親は、だんだんと顔が青ざめていった。 具合でも悪いのかと思っていたら、お母さんが私に強い口調で聞いた。 「あの森に入ったの?」 「入ったよ。あのね、たがみくんはすごくものしりで、目がきれいで」 私の言葉は続かなかった。 お母さんが私をぎゅっとして、こんなことを言った。 「鬼に魅入られてしまったのね。かわいそうに。もう出かけたらだめだからね」 よく意味がわからなかったけれど、出かけたらだめの部分だけがやけにはっきり聞こえてきて、私はどうしようもなく不安になった。 じゃあ、たがみくんとはもう会えないの? 私が考え込んでいるあいだに、家にたくさん大人のひとが来た。 みんな怖い顔をしていて、どこを見ていればいいのかわからなくなってくる。 大人を怖がることなんてない。大人も子どもも同じたましいなんだから。 ふと、たがみくんが言っていたことを思い出した。 その言葉は私を安心させてくれて、いろんな人に話を聞かれて疲れた私はいつの間にか眠ってしまっていたらしい。 気付くと私は自分の部屋のベッドに寝かされていて、窓の外はすっかり暗い。 出かけたらだめと言われた。 でも、たがみくんに会いたいと強く思った。 大人のひとが怖い顔をするの。 お母さんが森に入ってはいけないって言うの。 どうして?教えて、ってなんでも知っているたがみくんに会って聞きたい。 そろそろと一階へ降りていくと、両親と大人たちは話し合いをしているようだった。 あぶない、森を閉鎖する、なんて言葉がちらほら聞こえてくる。 そんなことになったらたがみくんに会えない! 私は靴を履いて、玄関を飛び出した。 真っ暗だったけれど、毎日森には通っていた。 無我夢中で走っていたら、いつもと同じ森の入り口に立っていた。 そこで私は、ぴたりと足を止める。 昼間に来ている場所と本当に同じなんだろうか。 そう思うくらい、夜の森は大きく不気味で、私ひとりくらいだったら簡単に飲み込めてしまいそうだった。 怖い。やっぱり帰ろうか。 一歩後ずさりしようとして、よく知っている声が聞こえた。 声は遠くから聞こえたようにも、近くから聞こえたようにも感じた。 「名前ちゃん。こっちだよ」 私といちばん仲良しの××ちゃんの声だった。 なんだ、××ちゃんも夜の森に来ることがあるんだ。 急に心強くなって、私は茂みをかき分けて森へ入っていった。 一度踏み込んでしまえば、そこは見知った森だった。 どんどん奥へ。 声が聞こえたほうへ進んでいくと、急にぽっかりと広い空間に出た。 こんな場所、何度も来ているはずなのに知らなかった。 「あれ、……たがみくん?」 「来たな」 いつもとは違う場所なのに、たがみくんがいつものように立っていた。 暗闇のなかで見つけた友人に、一気に安堵する。 駆け寄ろうとして、私は声を追いかけてきたことを思い出した。 「たがみくん。女の子を見てない?私の友達なんだけど」 私が××ちゃんの見た目や特徴を話すのを、たがみくんはじっと聞いていた。 暗いところで見ると、たがみくんの瞳ってランプみたい。 おじいちゃんが持っている古いカンテラ、というものの明かりみたいに光っている。 「そいつなら帰った」 たがみくんは短く言った。 ××ちゃんはいないらしい。 たがみくんの周りには誰もいなかった。 そうだ。なんで今まで気付かなかったんだろう。 たがみくんはいつも一人ぼっちで立っていた。 他の人がいたことはなくて、彼は何をするでもなく私を待っていた。 たがみくんの顔が暗くてよく見えない。 帽子のせいだ。 もうひとつ気付く。 私の前で、たがみくんは帽子を脱いだことがない。 「たがみくん。夜に来たよ。星のはなしをして」 「ああ。約束したからな」 でもその前に、お前に言っておくことがある。 少し離れたところに立っているたがみくんは、話し始める。 「この森は閉鎖される。お前とは会えなくなるんだ」 「え、…そ、そんなの」 嫌だ。 せっかく友達になったのに。 たがみくんのことをもっと知りたいのに。 たがみくんは嫌じゃないの? 「お前にはいろんなことを教えてきた。こんな言葉は知ってるか?」 「なに…?」 「神隠し」 風は吹いていないのに、後ろでざあっと大きな音がした。 私は振り向けないまま、たがみくんのことを見た。 こはくみたいで、ランプみたいな、明るく光る瞳と目があう。 「心配しなくていい。他の奴らもきっとお前を気に入る。きのした先生だって面倒を見てくれる」 「なに…?なんの話?」 「俺はお前がほしいんだ」 目の色、ほめてくれただろ。 あの日から今日をずっと待ってたんだ。 たがみくんの声が遠くで、近くで聞こえる。 その瞬間、学校や両親や友達や、私を取り巻くすべてが頭を過ぎった。 森の入り口のほうへ振り返りそうになる。 たがみくんの声が、私の動きを止めた。 「名前。手を取れ」 あれ。私、たがみくんに名前を教えたっけ。 でも、たがみくんはなんでも知っているんだもの。 私の名前を知っていてもおかしくない。 たがみくんがこちらに手のひらを差し出している。 私はそれに向かって手を伸ばす。 友達だから一緒にいたい。 ふたりで手をつないで大人のひとにお願いすれば、たがみくんとこれからも会える気がした。 その手のひらを握ったとき、はじめてだった。 たがみくんがわらった。 20160614 |