仕事以外でこの世に来るのは久しぶりだ。 私の手を引いて歩く私服姿の平腹はとても機嫌がよく、それに同調するように天気も晴れ晴れとしていて心地よかった。 少し生暖かい風がゆるりと吹く。 現世はすべてのものが明るく、眩しい。 すぐそばを過ぎっていく薄い桃色の花びらを目で追って、いつもより多くまばたきをする。 「あっ」 隣の彼が声を上げて、意識がそちらに向いた。 彼は道の脇に植わっている樹木を指差し、にんまりと笑った。 「あれ!オレあれ好き!」 「八重桜?」 ちょうど時期なのか、八重桜はこんもりとした花をいくつも枝につけていた。 桜といえば、今年も獄卒一同で行ったお花見は楽しかった。 そこで見たソメイヨシノより八重桜のほうがお気に入りだという理由を聞けば、彼は上機嫌そうに私と繋いだ手をゆらゆらさせる。 「派手でわかりやすくて目立つから!あ、でもみんなで上野公園に見に行った桜もオモムキがあるよなー」 「平腹、それ意味わかって言ってる?」 「わかんねー!肋角さんのマネ!」 素直で包み隠さない平腹に、私もつられて笑ってしまう。 視線の先でふんわりとした花を咲かせている八重桜の様はとても華やかで、彼が気に入るのもよくわかる。 そういえばお花見の時も今も、それ以外でだって、平腹が「綺麗」と口にしたことはないなとふと思い当たる。 私たちは獄卒という身であるゆえ、異形に慣れてしまっていて美醜の感覚は人ほどの機微を感じないかもしれない。 ただ、美しいものは好きだ。 花見や月見といった季節の行事は慣れ親しんだもので、休暇をもらえば獄都にはない景色を求めて旅に行く者もある。 あの時の桜も、今見ている桜もとても綺麗だと私は思う。 平腹はどうだろう。 何かに対して綺麗だと思ったりするんだろうか。 「いいこと思いついた!」 言うなり、平腹が私から離れて八重桜に近づいていった。 急に離された手のひらに少し寂しさを覚え、何度か握ったり開いたりしてみる。 彼は八重桜の周りにある植え込みを見つめていた。 そこには、八重桜が落とした花の塊が積もっていて、地面に落ちなかったそれらは土に汚れていない。 「すげーなー、これ。持って帰ってみんなに見せるか!」 「お土産?めずらしいね」 「これは災藤さんのマネ!」 平腹は服のすそを引っ張り、ふわふわとした花の塊を拾ってはそこに入れていく。 さすがにそのままでは持ち帰れないだろうから、私は何か袋を持っていないかと鞄を漁った。 ふと気配を感じて、うつむいていた頭を上げる。 ちょうど平腹の手がかざされるような形で私から離れていくのを見た。 髪に何か、触れたような。 手をやると、ふわふわとした感触が感じ取れた。 拾った花のひとつを平腹が私の髪に挿したのだろう。 「うんうん。思ったとおり似合うじゃん。きれいだ」 私の穏やかな胸のうちが、平腹のまばゆいばかりの笑顔を前にぐらりと揺らぐ。 今、いま、彼はきれいだと言ったのか。 彼から聞くはじめての「綺麗」がまさか私に対してだなんて。 ああ、顔が熱い。 こんなの想像もしなかった。 「ん?なんで隠すんだよー、もっとよく見せて!」 「……むり」 簡単に言わないでほしい。 許されるなら、このまま半刻ほど手のひらで顔を覆っていたい。 この幸福な時間は間違いなく私と平腹のものなのだと、実感していたいのだ。 20160425 |