影山くんはたぶん、私のことが苦手なんだと思う。
私も影山くんのことが苦手だ。すこしだけ。
たまに私と会話するとき、影山くんはとても早口だ。
あまりに早いものだから、私との会話をさっさと終わらせたいんじゃないかって思うことがある。
そもそも目が合うことが少ない。
偶然視線がかち合っても影山くんはすぐに目を逸らす。
あとこれは、私以外にもそうなのだけれど、顔がこわい。
影山くんはしかめっ面が多いので、よく不機嫌なのかと思われがちだが、三カ月も経てばそれが平常モードなのだと認識されるようになった。
私は1組の日向くんが影山くんと普通に話しているのを見かけるたびに、すごいなあ、近寄りがたくないんだなあと感心する。
とはいえ、私は影山くんが嫌いなわけじゃない。
何か嫌なことをされたわけでもないし、対面した時に身構えてしまうだけで、彼は普通に交流を図りたいクラスメイトの一人だ。
対面した時に身構えてしまうだけで。
その一点が私と影山くんの間にある深い溝だと、本当は分かっている。





夏休みの補習授業は、面倒なところもあるけれど、私はそこまで嫌がったことはない。
学校の友達と気兼ねなく、わいわい騒げるからだ。
成績に関わりなく行われる、この補習授業では座席は自由だと聞いている。
それでもなんとなく、使い慣れた自分の席に座ってしまう。
すると、隣の席にドスンと誰かが座った。
制汗スプレーの爽やかな香りが漂い、私は思わず廊下側一番前の隣席を見やった。

「あ、…影山くん。そこ、座るんだ?」
「おう。先輩に、授業中に寝ないよう頑張れって言われたからな」
「へえ」
「それにしても、朝練したからすでにねみぃ」

目が合ったからには何か話さねば、と私が適当に紡いだ言葉に、影山くんはやはり早口で、なぜかキリッとした顔で答える。
言われてみれば、影山くんは授業中に寝ている印象しかない。
よく先生に居眠りを叱られているのだが、叱られた本人があまりにケロッとしているものだから先生も困っているようだ。
今の台詞を聞いたら担任の先生は泣いて喜ぶかもしれない。
私は密かに影山くんの評価を上げた。
しかし、いざ一限目の現国の授業が始まってみると隣から重い空気が伝わってきた。
少しだけ目をやれば、影山くんが読解問題のプリントを前にいつも以上のしかめっ面をしている。

「主人公ヒロキの心境を答えよ…?俺はヒロキじゃねえのにどうやって心境を知れってんだよ…意味わからん…」

そんな呟きを最後に、隣からは心地良さそうな寝息が聞こえてきた。
影山くんの決心が鈍る早さに私は戸惑う。
戸惑う私の横で、先生が影山くんの頭を教科書で叩いていた。
それから、英語、理科、社会と授業が進んだものの、影山くんは全ての時間で快眠を貫いた。
ここまで来ると勉強が苦手というレベルではない。
そろそろ五限目の数学が始まる。補習教科もこれで最後だ。

「影山くん、数学は起きてられそう?」
「俺は数学が一番訳わからん」
「そうなんだ…」

長いこと隣に(よく眠る影山くんの姿を見て)いたおかげか、私は話し掛ける時に身構えることをしなくなっていた。
影山くんには一応勉強に取り組む姿勢があり、居眠りも悪気があってしている風ではなく、考えた末に力尽きた状態であることが分かってきたのだ。
決して授業態度は良くないけれど、私は彼にほんの少し親近感を覚えていた。
これからは影山くんを叱る先生に味方できないかもしれない。
そんな考えを持ってしまうくらいには、私は彼と打ち解けた気でいた。

「これからプリント配るぞー。時間は計るが、テストじゃないから気楽に受けろ」

そう言って、数学の先生はプリントを生徒に回した。
「因数分解より俺の頭が分解されそうでやべえ」という影山くんのぼやきに笑いを堪えつつ、私はプリントに取り掛かった。
それなりに解き終わった頃でも、隣からはうんうんとうめき声が聞こえる。
可笑しいったらない。

「はい終了ー。じゃ、隣の奴と交換して採点しろ」

先生の言葉に「え、」と零した時、影山くんからも「え゙ッ」と心底嫌そうな声を聞いた。
のんびりプリントを解いていたクラスメイトたちからも、非難や不満の声が漏れる。
隣の人と交換して採点をする、というものが好きな学生はいないと思う。
私もその一人だ。
他人に採点をされている間の落ち着かない感覚はあまり好きじゃない。
けれど、決まったことは仕方ない。
気楽に受けろ、なんて言った先生を恨みつつ、私は影山くんに向き直った。

「あの、影山くん、これ交換…」
「嫌だ」
「え」
「俺は自分で採点するから、お前もそうしろ」
「で、でも」
「絶対交換しないからな」
「…そう」

たぶん、今まで見た中で一番こわい顔だった。
不機嫌を露わにした影山くんから視線を戻して、私は静かに自分のプリントを採点した。
満点だったけれど、ちっとも嬉しくなかった。
横目で影山くんを見た時、プリントの丸は少なかったように見えた。
目が合った彼は顔を赤くして、「こっち見るな」と怒った。
クラスメイトたちがプリントを渡しあう中で、私たちの席だけ何も交わされない。
なんだかすごく、悲しかった。





「影山くん」

補習授業が終わり、荷物を片付ける彼に話し掛けて振り向いた表情は、相変わらず機嫌が悪かった。

「さっきは、ごめんね」
「…お前が謝ることねえだろ」

それは、謝罪を聞くつもりもないという意味だろうか。
いつの間にか、影山くんに対して身構える昔の自分に戻ってしまっている。
ぎゅう、と握りしめた手のひらに爪が食い込んで痛かった。
ここで終わりにしたら、影山くんとの溝は今後どうにもならない気がする。

「それでも私は謝りたいの」
「……」
「嫌われてるとは思ってたけれど、あんなに怒らせるとは思わなくて」
「は?嫌われてる?…誰が?」
「わ、私が影山くんに」

訝しげな影山くんに答えた声は少しふるえた。
自覚していても、言葉にするのは辛いものがある。
耐えきれなくなって顔を俯けると、影山くんがぼそりと呟いた。

「なんだそれ」
「……」
「俺がお前に言ってもいないことを信じるなよ!」

彼の大声に驚いたのは私だけではなく、教室にちらほらと残っていた生徒たちの視線が集まる。
「なに?」「ケンカ?」とざわめく周囲に怯んだ様子もなく、影山くんは続けた。相変わらず顔はこわいままで。

「俺は、…みょうじにはカッコ悪いとこ見せたくなかっただけなんだよ」
「え?」
「プリント、やっぱりひどい点だった。頭悪いなんてカッコ悪いだろ」
「…なあんだ、そんなことかあ」

影山くんはプリントを隠したかっただけなのか。
そう言ってしまうと彼に悪い気もしたけれど、私は本当に安心した。
私にカッコ悪いところを見せたくない理由。
それを今じっくりと考える余裕はないけれど、きっと嫌な理由ではないと思った。
「そんなこととは何だコラァ!」と声を張り上げる影山くんだったけれど、私が笑ってみせると顔を少し赤らめた。

「今日はゆっくり話してくれるんだね」
「…みょうじと話したいからな」
「ありがとう。嬉しいよ」

私がそう言うと、影山くんは笑顔こそ見せなかったけれど、どこか嬉しそうにしていた。
さっきの名残で、影山くんの頬から耳までがほんのりと赤い。
彼との間にある溝を埋めるのは、たぶんこれからでも遅くないだろう。

20140819

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