「ねえ月島くん。どうやったら恋人ができると思う?」

ふっと投げかけられた言葉に顔を上げると、黒板の前に立って丁寧に黒板消しをかけている後ろ姿が目に映る。
彼女の手のひらが滑るのに遅れて、ぱらぱらと白い粉くずが落ちていく様が見えた。
素直に、変なことを言い出す奴だなと思った。
こんな、日直でたまたま放課後一緒に居残っているだけの男子に恋愛話を持ち出す女子を他に見たことがない。

「恋人が欲しいの?」

答えてやる自分も大概だな。
そう思いながら、日誌に書く内容が思いつかないままシャープペンシルをとんとんと振る。
そのたびに、白いページには無意味な黒い点が増えていった。

「少し違うかな。恋人が欲しいんじゃなくて、ひとを好きになりたいの」

黒板消しをかけてもなおうっすらと白さが残る黒板に、彼女は指先を置いた。
丸とも四角とも取れない、曖昧な形を濃い緑の線で描いていく。
落書きしたって問い詰められたとして、僕は無関係だとしらばっくれるとしよう。

「同じことだよ。そんなのは」
「同じことかなぁ。そうかなあ」

彼女はくいくいと首を傾げ、黒板消しを両手に窓際までやってきた。
黒板消しふたつを叩き合わせて粉を落とすのを風下でやってくれるあたり、一応気は遣ってくれているのかもしれない。
さやさやと、夕暮れの風が窓から吹き込んできた。
めくれそうな日誌のページを片手で押さえる。

「ああ。名字さん、他人に興味ない感じするからね」

普段の彼女の様子を思い返してみて、つぶやく。
人付き合いも愛想も悪いわけではない。
けれど、どこか距離を置くような、踏み込み過ぎないような笑顔が印象に強い。
一瞬、静かになった。
数秒にも満たない時間だったが、その沈黙が痛いところを突かれたと物語っていた。

「ええ?月島くんに言われるとはなぁ」

窓から教室へと顔を覗かせる様が、少女のようだった。
15歳は少女と形容できる年齢かもしれないが、見た目以上にあどけなさを含んだ仕草だったから、そんな風に思ってしまった。

「他人に興味を持ってみれば。誰か好きになれるひとが身近にいるかもよ」

彼女の言葉は聞き流して、誰にでもできるようなアドバイスをした。
知っているのだ。
他人に興味を持たなそうな彼女が、なぜかクラスの違う影山とはよく話していること。
なんとなく、侵しがたい空気感をふたりが纏っていること。
彼女は何度かまばたきをして、それから頷いた。

「そうか。じゃあ月島くんに興味を持ってみようかな」
「…は?なんで僕」

思わずシャープペンシルを置いて、彼女の方を見上げてしまった。
突拍子もないと思った。
そこは、まず一番よく話していそうな影山じゃないのか。

「だって、月島くんと私は似ているタイプな気がするもの」
「あいにく、僕は似ていると思ったことはないよ」

彼女がこちらに歩み寄ってくる音がやけに鮮明に聞こえた。
上履きはそんな音を立てないはずなのに、コツコツ、確実に距離を詰めるように響く。

「身近なひとって言ったから」
「距離的な問題じゃないデショ」
「ほら、こんなに近い」

否定することに必死で気付かなかったけれど、彼女の顔が目の前にあった。
どのくらい近いかって、勢いで唇が触れ合ってしまいそうな。
ガタン、と音を立てたのは教室の椅子だった。
それは僕が慌てて立ち上がったからで、ようやく少し離れたところにいる名字さんは楽しそうに笑った。

「よかった。好きになれそう」

何がよかった、だ。
こっちは、全然、ちっともよくない。

20150218

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