手のひらの下にあるスマートフォンが震えて、私はベッドの中でまばたきを繰り返した。
目が覚めて一番に感じたのは早朝ゆえの肌寒さで、タオルケットをかき寄せたい気持ちをぐっと堪えて身を起こす。
ベッドの上で数秒間ぼんやりしたあと、この肌寒さの中で私を待っている彼のことを思い出し、ようやく眠気が吹き飛んだ。
寝起きには眩しい画面を覗くと、「着いたぞ」という簡素でわかりやすい四文字がメールで届いていた。
岩ちゃんLINEとかツイッターやんないの?と及川に訊かれて、よく分からん。と返していた姿を思い出してくすりと笑ってしまった。
窓辺に寄っていって道路を見下ろすと、岩泉とばっちり目が合ったので手を振る。
ひらりと振り返された手のひらはぶっきらぼうだが、私はそれで十分嬉しくなる。



「おはよう、岩泉」
「おう」
「ごめん。待ったよね」
「いや…平気だ。体も冷めてないしな」

身支度を整えて家を出ると、朝焼けを眺めていた横顔がこちらへ振り向いた。
シンプルなジャージ姿をした岩泉は薄着で、寒くないのかと案じたけれど額には汗が滲んでいる。
ロードワークでここまで走ってきたから、私が思っている以上に暑いのかもしれない。

「やっぱり私、起きて待っていようかな」
「やめとけ。待ちぼうけ食らうぞ」

私のいつもの思いつきは岩泉のきっぱりとした物言いに却下される。
彼の朝の走り込みに付き合うようになったのはずいぶん前のことだ。
ストイックに鍛錬を重ねる岩泉を見て、同じ青葉城西の名を背負うバレー部の一員として私も何か努力せねばと思い当たったのがきっかけだった。
しかし私の考えつく努力の方法など彼に比べれば全然大したものではなくて、岩泉の後を追うように朝の走り込みを真似し始めたのだって、他に自主練を思いつかなかったからだ。
始まりは彼の真似事でも、あの岩泉について行こうとすれば必然と体力は伸びていった。
今では途中で待っていてもらう、という情けないこともなくなった。

「よくストレッチしとけよ」
「うん」

以前よりかは体力がついたけれど、体をひねる私の傍らで、同じように柔軟をしている岩泉にはまだまだ敵わない。
私が彼の走り込みにスタートから付き合わせてもらえない理由は、岩泉の走るコースが日によって大きく変わるからだ。
それは体調や天候によって左右されるらしく、走る距離に数キロの差が出るために、お前はやらなくていいと岩泉に断言された。
私の家に着く時間もまちまちのため、岩泉は到着次第メールで私を起こすことにしてくれている。
ノープランのロードワークを余裕でこなす、その持久力には恐れ入る。

「女バレの調子どうだ」
「上々。でも少しレシーブ強化したい」
「へえ」
「男バレは…訊くまでもないか」
「…どうせなら訊けよ」

私にとっては第一の、岩泉にとっては第二のスタート地点と決めている大きな道路まで、体を温める意味も兼ねて岩泉と歩く。
青城の男子バレー部を案ずるなんて失礼かと思ったのだけれど、意外にも拗ねたような顔つきをされた。
そんなはずないのに、興味がないと思ったらしい。
改めて、調子は?と尋ねれば静かながらも熱の入った答えが返ってくる。

「一年生に期待大だな。折角タッパあるんだからパワー鍛えてやろうと思って」

ああ、いいな。
バレーと部員の話をする岩泉は本当に楽しそうな表情をする。
今の彼は副主将の顔だ。
そう思っていた矢先、岩泉がこちらをじっと見ているのに気が付く。

「なに?」
「いや、お前は楽しそうに話を聞いてくれるから話しやすいんだなって思って。付き合わせて悪いな」
「…照れるわ」
「今のどこに照れたんだ」

どこにって、同じことを考えていたところに、だ。
基本的にサバサバしているから分かりにくいけれど、岩泉は結構照れくさいことを大真面目な顔で言うことがある。
無自覚なので侮れない。
友人の延長線みたいな仲ではあるけれど、岩泉は私の彼氏で、私は岩泉の彼女だ。
付き合っている人に、他でもない岩泉に、お前が相手だから話しやすい、と言われて嬉しくない訳がない。
朝の爽やかな気分が浮かれた心地になる。
浮かれた心地になるから、私はそうさせた張本人に提案してみる。

「岩泉。手を繋ごうか」

あの曲がり角まで。
大きな道路に出る手前の角を指差すと、彼は驚いたように目を見張った。
もともと、友人の延長線みたいな付き合いならば。
たまには友人みたいに気安く、私たちの関係は恋人のままで、手を繋いでみたいと思う。
他でもない、彼と。

「どうした、急に」
「理由がないとだめなの?」
「別に駄目なんかじゃ…ああ、くそ」

失言をした、と言いたげに額に手をやる岩泉を見た。
嫌がる素振りが少しでもあったら浮かれた心地を忘れてやろうと思っていたのに。
自意識過剰な言葉で表すならば、今の岩泉の状態は「満更でもない」だった。
その額にある手のひらから視線を外さないでいると、観念したように岩泉が腕を下ろして、そのままこちらに差し出す。

「ん」

言葉は少ない。けれど十分足りていた。
人目に触れるかもしれない場所で、岩泉が気恥ずかしさより私のわがままを優先してくれた。
それは私だけの特別だ。
浮かんでくる笑みを抑えきれず、私は締まりのない声を出した。

「お邪魔しまーす」
「どこにだ」

どこにって、それはもちろんあなたの手のひらに。
拒絶を知らない手のひらに、自分のそれをそっと重ねる。
その瞬間から、浮かれた心地は幸福な心地になった。
握り返される手のひらは硬くて厚くて、少し冷たい。
走り終えてしばらく経ったからだろう。
手を繋いで、岩泉と歩く。
あと二つ先の角までにしておけば良かった、と私が後悔する傍ら、岩泉がくあ、と小さなあくびをした。
珍しい光景に、思わず可愛いと言いかけて、やめておく。

「ねむい」
「岩泉でも眠いんだ」
「当たり前だろ。俺だって人間だぞ」
「いやぁ、鉄人っぽいよ」
「何だそれ。なんだか、お前とこうしてるの、気が抜けるんだよ」

私たちの間には繋いだ手がゆらゆら揺れている。
それを岩泉が感慨深そうに見つめるから、私は首を傾げた。

「それは喜んでいいのかな」
「さあな。でも、お前にだけだ」




20140610
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