やっぱり迎えに来てもらうべきだったかなぁ。
玄関を開けた名前の格好を見るなり、俺は早くも後悔をしていた。
彼女の家で勉強会、という学生らしく健全なデートの約束をしたのだ。
俺が名前の家を訪ねるのは初めてだから、その場の勢いや雰囲気に飲まれてはいけないと思っていた矢先にこれだ。
名前の私服が想像以上に可愛かった。
最近の女の子って、こんなに洒落たルームウェアを着るものなのか。
俺のためにスリッパを持ってきた名前の、淡いブルーのミニドレスの丈を横目で気にしながら他人事みたいに考える。
肩に羽織るボレロはボリュームがあって、そこから伸びる腕の細さを強調しているようにしか思えない。
こちらを振り返った名前は歓迎ムードで満面の笑顔。
完璧といってもいいくらい、俺の調子を狂わせる要素が揃いすぎている。
女の子はいろいろ用意があるだろうから、なんて駅までの迎えを断った昨日の自分が恨めしい。
こんなに無防備な部屋着姿の彼女をいきなり目にするんじゃなくて、道すがら会話しつつ彼女の私服に慣れておくくらいが俺にはちょうど良かったのに。

「孝支」
「あっはい」
「…まさか緊張してる?」
「……するよ、そりゃあ」

俺を見てふふと笑い、どうぞ上がってと正座で待つ俺の恋人は、やっぱり可愛い。
お邪魔します、と返した声は不自然じゃなかっただろうか。
靴を脱ぐふりをして表情は隠せただろうか。
もやりもやり、思い悩むうちに名前に連れられて階段を上がり、彼女の部屋に着いた。
途端にクッションやら飲み物やら俺の世話を焼き始める名前を微笑ましく思いながらも、目で追ってしまうのは彼女の柔らかそうな肌ばかり。
俺が邪な思いを抱いている間にも彼女は教科書とノートを広げ、今日の日付を書き込んでいた。
丁寧な仕草に、また俺の視線は釘付けになる。



昨日、教室で何人かの男子が寄り集まって雑誌を眺めていた。
俺は話に混ぜてもらおうと近寄っていったが、そいつらは一瞬迷ったあとに、スガはダメだ!スガにはまだ早い!などとよくわからないことを口々に言ったのだ。
後からわかったことだったのだが、その雑誌は所謂いかがわしい部類のもので、そいつらは彼女がいる俺に対する良心で見せまいとしていたらしい。
「それで怒るような相手じゃないから別に構わんよー」と俺がのんびり言うと、結果的に話に混ぜてくれた。
その時、輪の中の一人が言ったことが今も俺の胸に突き刺さっている。

「でも意外だな」
「何が?」
「スガってあまりこういうの興味なさそうっていうか淡白そうっていうか。彼女のこと大事にしてそーだからさ」

それを皮切りにどいつもこいつもうんうんと頷くものだから、俺は苦笑いを返すしかなかった。
そうは言われても、俺もきちんと男子高校生です。
その手の話に興味がないなんてことはなく、淡白なんてこともなく、彼女は大事だけれどキス以上のこともいつかは、って思ってしまうんだ。
俺は周りからそんな風に見えていると知った時、内心複雑だった。
だって名前本人にも同じように思われていたら、彼氏としていかがなものか。
友達の延長線みたいに思われていたらどうしよう、って不安になったんだ。



かちん。
グラスの中の氷が溶けてぶつかり合う音にはっとした。
目の前には難しそうな顔でノートを睨む彼女。
どうやら問題が解けなくて行き詰まっているらしい。
名前がこちらにちらっと視線を寄越すのを、頬杖をついて待ち構えた。

「…孝支、ちょっといい?」
「はいはい。どうぞお構いなく?」
「本当は部活で忙しい孝支に暇な私が教えてあげなくちゃなのに、ごめん」

目に見えてしょげる名前に言葉をかけようとして、やめた。
部活をしていないからといって、同じ受験生なのだから彼女が暇なんてことはあるはずがない。
俺よりずっと難しい大学を目指していて、そのために何倍も努力して、それでいて俺を気遣う彼女が尊く思えて、言葉によるフォローはいらないと思ったのだ。
だから、ノートを片手に隣へやって来た名前の腕を軽く引いて華奢な身体を受け止めた。
背中をぽんぽんと叩くと、腕の中で戸惑った声が響く。

「どうしたの?急に」
「急にじゃないってー、名前は優しいなあ」
「…孝支に言われるとあまり嬉しくない」

なんでさ、と尋ねれば「私より孝支の方がずっと優しい」と不服そうに返されてまた苦笑いを作る。
そんなことはない。
だってほら、あちこちに触れる柔らかい肌にこんなにもドキドキしてる。
胸に残るやましさを遠ざけたくて、俺は努めて明るい声を出す。

「にしても、可愛い格好してるよなぁ。それ部屋着だろ?疲れないか?」
「普段はこんなの着ないよ」

その一言がやけに重たくて、のんびりした気分から一気に引き戻された。
名前は俯きがちで小さく言ったあと、決心したように顔を上げた。

「…名前?」
「こ、孝支が来るから用意したの!」

ようやく話題にしてくれた、と安堵したような目で見上げられ、俺はやれやれとため息を吐いた。
そうしないといい加減に理性が飲み込まれてしまいそうな気がした。
だって俺のために、なんて男として意識していなければ言ってくれない。
今はやましさより、その嬉しさに浸っていたかった。
名前を腕に抱いたまま後ろにぐんと倒れ込むと、彼女は「きゃあ!」と驚いた声を出した。
冷たいフローリングに二人で並んで寝転ぶ形になる。

「ちょっと孝支、」
「休憩休憩。少しだけだから」
「…どうして笑うの?」
「だって、嬉しくなっちゃってさ」

不思議そうにする名前の前髪を指先で触り、額に唇を押し当てた。
この女の子を愛するのに時間を掛けたい。
ゆっくりでいいや。
心の底からそう思うことができて、ずいぶん気が楽になった。
今だけは腕の中ににじむ優しい体温を感じていたくて、照れる名前をぎゅうっと抱き寄せた。
子供の体温が大人の体温になるのは、まだ先でいい。

20140412

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