「あきらは省エネだからなあ」

そう言って俺の背中をさする手のひらは穏やかで、名前が笑う顔は優しかった。


学校という場所で「本気」を求められることは多かった。
体育祭のクラス対抗リレー。
合唱コンクール間近の朝練。
期末。中間。実力テスト。
何より、王様が独裁政権を敷くバレー部という空間。
反発というほどの強い感情ではなかった。
ただ体育祭は部活対抗リレーを頑張りたかったし、合唱の朝練より部活の朝練に出たかった。
周りに合わせろと言われるのが面倒で、そういう感情を強要されるのに納得が行かなくて、少し窮屈だと感じることは日常で数えるほどあった。
そうして「無駄なことはしたくない」と態度に出せば、周りには疎まれることが多かった。
――どいつもこいつも自分なりの本気を他人の俺に押しつけてくるんだ。
幼なじみに愚痴をこぼしたことに深い意味はなかった。
名前は俺の言葉を噛み砕くようにゆっくりまばたきをして、言ったのだった。

「あきらは省エネだから」

どことなくピリピリしていた俺にはあまり余裕がなくて、それはからかってるのかと返した記憶がある。
名前は落ち着いた様子で首を振り、笑顔を浮かべて「ほめてるんだよ」と言った。
自分で決めた時に本気を出すのなら、何も悪いことはしていないと思う、とも言った。

「本当の面倒くさがりじゃないって知ってるよ。そうだったら、毎日私を家の前まで送ってくれないでしょう」

それは俺の母親と彼女の母親に言いつけられたからだと言いかけて、考えた。
俺は彼女が相手でなかったら、律儀に言いつけを守ることもなかったのではないか。
視線を向ければ、名前は何でも知っているというような笑顔をしていて、頭の中ですとん、と何か落ちてくるような感覚があった。
この幼なじみはたった一人、俺の姿勢を否定しない人間だ。
そう理解した時から、彼女が特別なひととなることは必然だったように思う。
それから高校生になるまでに、俺は冷静に物を見ることを覚えて、面倒くさいとか疲れたくないとかそういう本心を他人に隠すことに長けていった。
ただ一人、あの日心を許してしまった名前にだけは隠すことも覚えず、疲れ果てた時は背中を預けるようにさえなってしまった。
それが名前本人にも打ち明けられない、俺の弱点だ。





「しょうがないよな。国見は省エネ人間だから」

ある日高校のクラスメイトにそう言われて、指先が痺れるような感覚があった。
確かろくな話し合いも行われない委員会への参加を渋った時で、相手の男子も呆れ顔だったものの、思い出したようにそう言ってはあっさり諦めてどこかへ去ってしまった。
人間というものは、たとえ相容れないものであっても名前を付けて一度納得するとあんなにたやすく引き下がってしまうのか。
そのことに驚いたのも事実だったけれど、名前が話す言葉の影響力と、それを見知らぬ男子が真似て口にしたことに対して湧き上がった嫉妬に一番、戸惑った。
ああ、自分はもう彼女を幼なじみとしては見ていないのだな、と俺はついに観念をした。





「おい国見。怒られるぞ」

背中にかかる金田一の声に、「すぐ戻るよ」と返した自分の声音は冷静だった。
その反面、視界に捉えた姿に反応する心臓は落ち着きがない。
校門から少し離れた場所にある植え込みの脇にしゃがみ、手が汚れるのも厭わずに土いじりをする名前がいた。
俺に気付くと手をはたいてから立ち上がる。

「あきら。これから部活?」
「うん。ストレッチ終わったから走り込みに行く」
「大変そうだね」
「うん」
「そうでもないよ、って言ったことがないなぁ。あきらは」

優しい声で言う名前の制服のスカートには泥が跳ねている。
彼女のところのおばさんの方が洗濯をしなくてはいけないから大変そうだ、とは言わないでおいた。
代わりに、彼女の作業について触れておく。

「園芸部も忙しそうだけど」
「園芸部じゃないって。動植物研究兼愛好会」
「…そうだっけ」
「バレー部ほど忙しくないよ」

そう言っては嬉しそうに花壇のパンジーを見やる彼女の姿は、やはりとても園芸部らしい。
彼女はタオルで丁寧に手を拭い、俺と話す片手間にペンとノートで観察記録をつけ始めた。
伏せられた瞳にある睫毛が、放課後の日差しを反射して存在感を放っている。

「あきら、そろそろ行かなくていいの?」
「…行くよ」
「もしかして、行きたくない?」
「今日は体力作りよりレシーブの練習に集中したいんだ」

俺が本当にやりたいことを教えると、名前は微笑ましそうにする。
そうして背中をさすって、「省エネだなあ」と言う。
名前がそうしてくれると俺は感情を肯定された気分になって、なんだか深く息を吐き出したくなる。
これは依存なのだろうか。
彼女が口にする言葉の数々は見守るようでいて、草木や花を愛でるように、俺のことも弟や子どもを愛でるように接している気がしてならない。
もどかしい気がするのは、彼女を異性として特別に思うからだと分かっている。
俺の背中から離れていく手のひらを見つめ、何とはなしに口にした。

「名前。俺が本気になったら、お前も俺のこと、本気で見てくれるの」

名前はニ、三度まばたきをした。返事はない。
驚いた表情に、思わず言葉を重ねた。

「…深い意味、ないから。忘れて」

血迷った、と思った。
彼女に自分の気持ちを押しつけるだけでは、俺が今まで嫌ってきた奴らと変わらないじゃないか。
応えてくれるかわからないものを、わざわざ伝える意味はない。
そう思い、踵を返して校門を出た。
なんだか無性に走りたい気分で、先輩たちに「珍しくやる気だな」とからかわれるくらい走った。





走り終えて戻ってきたとき、名前はまだ花壇のところにいた。
彼女が未だ留まる理由を、名前の正面に立っている人間を見て悟る。
先日、俺に省エネ人間と言ったクラスメイトが何やら熱心に名前に話しかけていた。
告白の雰囲気を感じ取ったものの、俺は名前が手に持つバケツの方に意識が向いた。
下ろすタイミングを忘れられたそれは彼女の手には重そうで、膝あたりに揺らめく水面が反射する光が見えて、バケツいっぱいに水を汲んできたのだろうと分かる。
こんなことにも気付かず話し込むなんて、と焦りより呆れが勝った思いで歩み寄ると、男子の背中越しに名前と目が合った。
その瞬間、彼女は俺を見て嬉しそうな顔をした。
正直それだけで十分だ。
そう思ったのに、名前は軽く頭を下げて続けた。

「ごめんなさい。私には大切な幼なじみがいるから」

頭を上げて視線を向けてきた名前に、今度は俺が目を見張る番だった。
背中を向けていた男子もこちらに振り返る。
そうして気まずそうな顔を見せると、どこかへ走り去ってしまった。
後には俺と名前だけが残される。
名前は地面にバケツを置いた。
周りの土が染みた水滴でじわりと濃い色に変わる。

「あきら、おかえり。お疲れ様」
「…なんで、断ったの」
「さっき言った通りだよ」
「ただの幼なじみは、告白を断る理由にはならない」

彼女の真意を確かめたくて放った俺の言葉は少し震えていたように思う。
名前はゆるやかに息を吐きだした。
一歩踏み出すと、俺の背中に手のひらを当てる。
いつもと同じ、優しい手つきで撫でていく。

「さっきあきらが言ったことをよく考えたんだけどね。よく考えなくたって、あきらは私の特別なんだよ」

俺は口をつぐんだ。
名前がとても大切なことを言う予感がして、しっかり聞いておかなくてはいけないと思った。
懐かしむように彼女は言う。

「昔から体育祭とか合唱コンクールとかの練習、嫌いだったよね」
「だって…好きじゃない」
「その分の時間、バレーができなくなるって理由があるからでしょう」
「……」
「図星?」

あの頃の心情をぴたりと言い当てられて戸惑っていると、名前は晴れやかに笑った。
まるで眩しいものを見せられたかのような気分だった。
俺の幼なじみは、こんなに綺麗に笑うものだったか。

「あきらの一番はいつだってバレー。だから私は面倒くさがりだなんて言わないし、そんなあきらが好きだよ」
「好き、なの」
「うん。私にとっての一番は、あきらだよ」

普段は幼く甘やかすような名前の呼び方をするのに、今日はやけにはっきりと呼ばれた気がして、名前との距離を一歩詰めた。
彼女は逃げない。
ゆっくりと顔に影を作ってやると彼女は素直に目を閉じた。
なんとなく。
その唇にきちんと触れるより前に彼女の心を手にした実感が湧いてきて、俺は背中に置いてあった名前の手のひらを握って指先を絡める。

20140405
十年後の星のかたち

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