西谷夕は彼女を溺愛している。 それは周知の事実であり、西谷夕とその彼女は烏野高校排球部でもはや公認の仲と言ってもいい。 その西谷夕ことノヤっさんは俺の親友であり大切なチームメイトだ。 だからこそあいつが彼女にまっしぐらな様子は見ていて微笑ましく、また友人が取られてしまって少し寂しいような気分である。 そしてノヤの彼女はというと、彼氏とはまたずいぶん性格が違っていて面白い。 今日は俺、田中龍之介から見たあいつらカップルの様子を話していくことにしよう。 「ちわーす」 「おーす、龍!早いな!」 挨拶をして体育館に入ると、ノヤは日向と月島にレシーブを教えているところらしかった。 奥では影山と山口が黙々とサーブ練をしている。 一年生がもれなく熱心な様子であると、先輩としては感心感心と頷きたくなってしまう。 とはいえ、天才リベロの感覚的説明に日向も月島も熱心からは程遠いビミョーな顔をしていたわけだが。 「そういうノヤっさんこそ早いじゃねーか。まったく、後輩思いだよなぁ?」 「おうよ!でもこいつら覚え悪くってな!」 「…あの説明でムチャ言わないでくださいよ」 「が、がんばりますっ」 それぞれ個性ある反応を返した一年共の、主に生意気な月島の方をノヤが叱る。 三年生はまだ来ていないらしい。 体育館内をなんとなく見渡していると、月島を説教中だったはずのノヤがぱっと振り向いた。 鋭い瞳がきらりと光っている。 「どうした?」 「――来た」 「あー。いってら」 「おう!」 また後でな!と、しっかり日向と月島に声を掛けてから、ノヤは入口に向かって駆け出す。 さっさと自主練に入った月島とは反対に、日向がポカンとした様子で寄ってきた。 「ノヤさん、どうしたんですか?」 「いつものだよ。お出迎え」 「…ああ!」 最近日向は部活に来るのが掃除当番で遅れがちだったから、「お出迎え」の現場に居合わせるのは久しぶりだろう。 思い出したように日向が声を上げた頃、ノヤが快活な声を出す。 それはもう、嬉しそうに。 「名前!」 名前を呼ばれた当人はというと、体育館内を一通り見渡し、ほとんど聞こえやしない音量で「失礼します」と言って入口をくぐるところだった。 ノヤの声の大きさにびくっとしながら、相手の顔を見てほんの少し表情を和らげる。 正直俺には違いがよく分からないのだが、ノヤ曰わく彼女はちゃんと表情の変化があるらしいのだ。 「こんにちは、西谷先輩」 「おす!元気ないのか?声張れ、名前!」 「あ…、はいっ」 「荷物重そうだな!持つか?手伝うぞ!」 「い、いいです。大丈夫です」 「ホントか?」 「ホントです!」 好奇心旺盛な小型犬にまとわりつかれて困る子猫みたいな感じでおどおどしているマネージャー、名字がノヤの彼女だ。 きっと性格は旭さん以上に気が小さいと思う。 これほど正反対なやり取りを見た他人は必ずと言っていいくらい、二人の馴れ初めを聞きたがる。 そんな時、ノヤは毎回「押して押して押しまくった!」と簡潔に答え、また周囲も納得するのだった。 これだけだと彼氏が彼女を一方的に好きだという誤解を生むかもしれないが、押しはしても押しつけはしないのが西谷夕という男である。 交際はもちろん同意の上。さすがだ。 「名前はかわいーな!そんでよく働く!えらいっ」 「な、撫でないでください…」 「照れんなって!」 そして、これは予想だが。 ノヤが名字を可愛がる理由には、年下の後輩であり自分より背が小さいということが少なからず関係していると思う。 現に名字を撫で回す姿は心底嬉しそうで、対して名字は少し複雑そうでもある。 日向から聞いたことがあるのだが、四月の身体測定で身長の数値に自分と同じくらい落ち込んでいる女子がいて、それが名字だったそうだ。 体に関する悩みに男女の差はない。 名字自身は背が低いことを気にしているんだろう。 しかし、付き合う彼女よりは高い目線でいたいというのが大多数の男のワガママでもあるわけで。 ノヤの真意は知らないが、俺としては名字の悩みさえなければまったくお似合いの二人だと思っている。 ほとんど変わらない目線、言うなればとても近い距離で言葉を交わす二人の姿も立派な愛の形なんだろう。 と、いろいろ考えていたら潔子さんを含めた三年生がみんなでやって来て、俺たち後輩一同は挨拶をしてから本格的な練習に入る。 公認カップルは相変わらず仲睦まじく、今日も平和だと思っていた。 練習が始まってしばらく経っていて、各々が苦手な分野を集中特訓していた時だった。 「だから!撫でるのをやめてください…!」 一瞬、誰の声だか分からなかった。 俺たちはそんなに大きな名字の声を聞くのが初めてだったのだ。 部員全員が手を止めてしまい、ある一点を凝視する。 視線の中心では、ノヤと向かい合って悔しそうな名字がいた。 「今の名字が言ったのか?」「たぶん…。」そんな会話がちらほら聞こえる中、名字が怒った顔を見せてもまったく怖くないらしいノヤが普段通りの台詞を言いかけた。 「わかった、照れて「ないです。たまには私の話をきちんと最後まで聞いてください」 言葉を遮った名字に、ノヤの瞳がきゅっと鋭くなる。 一気に迫力が増した表情に名字はわずかに怯んだ様子を見せながらも、きちんと相手を見据えた。 いつもの騒がしさが嘘みたいに、ノヤは静かに問いかけた。 「…なに。何が不満なんだよ」 「西谷先輩は、私の背が低いから好きなんですか?」 「は?」 「だって、みんなに言われます。きっと私が小さいから彼女にしたんだろうって。子供扱いみたいで、撫でられるのは嫌なんです」 さっき俺がほんの少し気に掛けた名字の悩みは思った以上に大きかったらしい。 よくよく見れば彼女の瞳にあるのは、疑惑より期待の感情に近かった。 他でもないノヤ自身に否定をしてほしい、というように。 名字だって、周りの意見を鵜呑みにしたわけではないんだろう。 ただ、不安に思うから確証を欲しがっている。 ノヤは頭を掻いた。 それから、はっきりと言い放つ。 「バカ。そんなわけねえだろ。そもそもみんなって誰だ」 「…いろんな人です。クラスメイト、とか」 「後でちゃんと教えろよ。全員に否定してやっからな!」 その言葉に、少なからず名字は安心したようだった。 強ばっていた肩の力が抜けて、ゆるゆると下がったのが分かる。 ノヤに反抗して言い返す、なんてきっと名字の性格からしたら大仕事だ。 しかしそんな名字の肩をぐわしっと掴む両手があって、彼女は再び身を強ばらせる羽目になっていた。 「名前!」 「は、はい。すみませ」 「俺はお前をちゃーんと丸ごと好きだからな!身長なんて関係ねえ!」 怒られると予想して謝ろうとした名字の瞳がまんまるになった。 丸ごとってなんだよ、とその場にいた部員の何人かはツッコミをしたが、空気を読んで声には出していない。 「…本当ですか?」 「おう!」 「もしも私が2メートル越していても、好きになってくれますか?」 「あったりまえだ。どんなお前でも受け止めてやらあ」 さすが西谷夕。 迷いのない返答に、名字の表情がぱっと明るくなった。 あれだけ堂々と言い切られたら、疑う余地もないだろう。 名字の華やいだ顔色を見て、ノヤはなおも続ける。 「…お前のことだから、いろいろ言われて一人で悩んでこじらせたんだろ。そういう時は一番に言え!他の誰かじゃなく、俺に!」 「でも、」 「彼女の不安も消せなくて、何が彼氏だ。俺はお前の彼氏だ。だから、何だって聞いてやる」 あ、こうなったら止まらないぞ。 察した俺が視線を寄越した先で、大地さんが肩をすくめてスガさんが苦笑いをした。 ノヤの「宣言」は体育館中に響く声量で畳みかけるように行われた。 「俺は名前が好きだ。真面目で頑張り屋で、誰も見てなくたって常に行動してる。そんなお前の良さに一番早く気付けたのが俺で、ホントに嬉しかった」 「付き合う前は必死で、ぐいぐい行ってばかりだった。お前は俺を選んでくれたけど、このまんまじゃいけないんだ」 「俺は名前がしたいように付き合う。お前が望むような彼氏になる。だから、名前がみんなの前では夕先輩って呼んでくれなくても我慢する。二人っきりの時に呼んでくれりゃあ、それでいい」 最後のところで、名字が一気に赤面した。 二人きりの時だけ名前呼び、という約束事を部員たちは初めて知ったのだ。 微笑ましいようで羨ましくて仕方ないのは俺だけではないだろう。 頬を赤くした名字が俯くのを逃がさないよう、ノヤは彼女のことをじっと視線で射抜いていた。 「とりあえず、今は安心したか?」 「……っ」 「返事!」 「…、はい!」 名字にしては立派な返事に、よし!と頷いたノヤはぐるっとこちらに振り向いた。 呆気に取られる部員たちの中心で、主に三年生のいる方を見据えると勢いよく頭を下げた。 「騒がしくしてすんませんっした!以後こういうことがないようにします!」 そうだ。忘れていたが、今は部活の真っ最中。 真っ赤な顔から一転、青い顔でノヤの隣に並んだ名字も頭を下げる。 それを見た大地さんは、意外にも鷹揚な声で言った。 「いや、無理だな」 「え!」 「なんたって西谷と名字だからな〜」 「なんだかんだ心配だべ」 「なんでっスか!俺って信用ないんですか!?」 大地さんに続けて、旭さんとスガさんまでもがのんびり言うものだから、ノヤは必死に食らいついていた。 すると、大地さんがまとわりつくノヤの頭をわしゃわしゃ撫で回した。 ぽかんとする名字のことは、スガさんが撫でてやっている。 「お前ら、どっちも可愛い後輩だもんなあ。まだまだ未熟で、こっから成長するんだろ?そりゃあ喧嘩もあるだろ」 「…っス」 「頑張れよ?」 「うす!あざっす!!」 大地さんの言葉に、今日一番の声量でノヤが返事をした。 そこからようやく練習は再開し、ノヤと名字はなんだか申し訳なさそうにしていたが、大地さんからお許しをもらうと顔を見合わせてにこにこしていた。 これがノヤと名字が付き合って三カ月後に起きた、ちょっとした事件の顛末である。 名字はというと、今もノヤの隣で真面目そうに佇んでいる。 それでも時々、あの小さな声が夕先輩、と囁いてノヤは本当に嬉しそうに笑うから、俺としてはこのカップルは末永く幸せであれと思うのだ。 20140320 快晴を連れてくる男 |