「影山くんは、及川に負けたくないの?」 「…は?」 「負けず嫌いだから、私が好きなの?」 とん、とん、と一定に上がっていたトスが不意に影山くんの指先を離れ、ゆるい放物線を描いて体育館の床を跳ねた。 私を振り返った影山くんの瞳は見開かれていて、あどけなさと傷付いた本心が剥き出しになっている。 彼の自主練習が始まってからずいぶん時間が経っていた。 私は練習途中で女子から呼び出された及川を待っていたのだけれど、あまりに帰りが遅いから後輩に気になっていたことを尋ねてしまった。 傷付けたことは、分かっている。 けれど直向きでバレーにしか興味がない影山くんが私を好きだということが未だ信じられずにいたのだから仕方ない。 影山くんは、転がっていたボールを拾い上げてトス練習を再開する。 一瞬だけこちらを見やった瞳は鋭く、険しかった。 「先輩のこと嫌いになりますよ。…マジで」 「ごめん。でも、影山くんにとってもその方がいいと思う。嫌っちゃいなよ、こんな私なんてさ」 空気に溶けていく気怠げな言葉はあえて無視された気がする。 彼の好意を、茶化したり疑ったりしたわけではない。 けれど影山くんは十分に気分を害したみたいだった。 さっきまで綺麗で単調だったトスがわずかに乱れている。 黙って眉間にしわを寄せた彼に、私は言葉を重ねた。 「私は及川と付き合っていて、及川は私の彼氏で、その事実は変わらないよ」 「…でも」 ぽつりと、言いにくそうに影山くんが話を遮る。 ボールは真上から落ちてきて、すとんと彼の手のひらに収まった。 嫌なことを言われた相手だというのに、練習を中断してまで私を気遣わしげに見やる影山くんは優しい。 優しい後輩。 その優しさは居心地が悪いものだと、本人は知らない。 先輩の彼女に優しくして、きみは何をどうしたいの。 「確かに、私と及川は相思相愛の関係じゃない。けれど、私はまだその関係にしがみついていたいの」 及川の心はすでに私にない。 もしかしたら、最初から彼の心なんてもらえていなかったのかもしれない。 それでも、私は離れていこうとする及川の手を握って放さない。 ずるい女だ。 そうして、私を好きだという可愛い後輩の影山くんを突き放す。 ひどい女だ。 分かっているから、私は及川をつなぎ止めようとするし、影山くんに冷たくする。 「諦めようよ。いいことないよ」 繰り返し、呼び掛ける。 及川ほどではないが、影山くんは女の子に人気があると知っている。 中には、彼みたいに直向きな好意を向けてくれる女の子もいるだろう。 もっと他にいい人がいるはずだ、なんて図々しい上から目線の考えだと分かっていながら、私は影山くんにそういう相手が現れることを望んでいた。 幸せになっておくれよ後輩。 わざわざ面倒な泥沼に足を突っ込むことはないよ。 しかし、後輩は舌打ちをひとつ返しただけだった。 「…めんどくせえ」 普段は拙い敬語に隠れている、粗野な言動が顔を覗かせた。 この子は機嫌が悪い時の顔が本当に怖い。 見つめるより睨むに近い視線をよこして、影山くんは大きな声で言った。 「ほんと、先輩も、及川さんも、めんどくせえんですよ。何がいいとか悪いとか、勝手に決めつけて」 言いながら、ボールをそこらへんに放り出した後輩はずかずかと歩み寄ってきた。 きみの大好きなバレーはどうした。 跳ねて転がっていく球体を思わず目で追っていると、勢いよく両肩を掴まれた。 まだ中学生だというのに、大きな手のひらは指先の力が強い。 「あなたを好きなのは、俺の勝手でしょう。諦めるつもりないんで、無駄な説得やめてもらえますか」 彼は、怒っている。 ようやく悟った。 諦めるという言葉は影山くんには禁句だった。 こんなに負けず嫌いな彼が最も反発しそうな言葉を選んだのは失敗だった。 火に油を注ぐような私の説得は、彼の言う通り無駄に終わったのだろう。 言いたいことを言ってやったぞという顔をした影山くんは、スポーツバッグをさっと肩にかけて「帰ります。お疲れ様でした」と、短く言った。 体育館を出て行こうとする彼を、解放された肩をさすりながら呆然と眺めていると、影山くんは一度振り返った。 私の手つきを見て、声を小さくする。 「痛かったんすか」 「え?…ああ、驚いただけだよ」 「スミマセン」 「いや別に」 「けど、先輩。俺のことちゃんと見ないなら優しくしませんからね」 言い捨てて、今度こそ影山くんは体育館を出て行った。 しんとした体育館には私しか残っていない。 及川はまだ帰ってこなくて、もしかしたら戻ってこないかもしれなくて。 やけに冷静な頭で、後輩のまっすぐな言葉に深く息を吐くことしか、できない。 20140319 |