手を繋ぎたい、なんて告白してみたとしたらどうなる? 女の子に不自由していない恋人はからりと笑って何言ってるの?なんて馬鹿にするに違いない。 恨めしい気持ちで少し先を歩く彼のぷらぷら揺れる手のひらを睨んでいれば、視線に気付いて振り返った及川はびっくりした顔をする。「なに、どうしたの。コワい顔して」 私の不機嫌そうな顔に慄きながらも、及川は微笑んだ。 いわゆる放課後デートというものの最中だった。 部活をこなした後でも疲れた顔を見せない及川はよく喋った。 申し訳ないことに私はずいぶんと前から上の空で、及川が話に合わせてひらひら振ったり広げたりする両手のひらを見つめていた。 別に、彼の手に触れたことがないわけではないのだ。 中学生ではないのだから、付き合えば手を繋ぐしキスもするし、その先だって思うがまま。 ただし、私たちのそれらはすべて、常に及川からの行動によって始まっていた。 私から手を出してはいけないなどという決まりはなかったけれど、及川にイニシアチブを取られていることは確かだった。 そうして流されるように愛されるのは心地良かったし、私だってきちんと及川のことが好きなのだから、それは悪いことではなく良いことのはずだった。 しかし、けれど、どうしたって。 私から及川に触れてみたいなあと思うことだって、たまにはあるのだ。 そして前述のような彼氏に主導権がある関係を築いてしまった今、私から及川に赤裸々な気持ちを吐露するというのは、とても勇気がいるのである。 どうして及川の思い通りなんだろう。本音なんて絶対に言えない。言えないというより、むしろ癪だ。 考えているうちに照れ隠しは責任転嫁の方向へ流れ、「人の気も知らないで、こいつめ」と私の視線は尖っていたのだと思う。 及川は、機嫌が悪そうな私を相手にした時でさえ穏やかに笑うのだから本当に仕方のない奴だ。 きれいな笑顔に、私はまた言葉を濁す。 ああ、言えるはずがない。 手を繋ぎたい、なんて殊勝に言った時の及川の反応が怖い。 「あっ。あれ岩ちゃんじゃない?おーい、そこの非リア男子くーん」 私にひらひらと手招きをしてから、よせばいいのに及川は岩泉にちょっかいを出しに行った。 一度学校で別れたのに再び知り合いのカップルに出くわして気まずいだろう岩泉に追い討ちをかけるほど私は性悪ではないので、幼なじみである彼ら特有の気の置けないやりとりを傍から眺めていた。 気の置けないやりとりとはつまり、及川が岩泉に殴られたり蹴られたりを交えながらのコミュニケーションなのだけれど。 からかいに行ったのにいとも容易く返り討ちに遭っている及川を見て自然と表情が緩むと同時に、なかなか私に見せてはくれない素の笑顔に胸が痛む。 付き合ったからといって私が及川の全部を知ることはできなくて、まだまだ彼は遠い存在なのだと寂しくなった時、及川が鞄を振り回して怒鳴る岩泉から逃げてきた。 「岩ちゃんこわぁーい!ほら、名前」 「ほらって何」 「逃げよう!」 自分からちょっかいを出しておいて危うくなったら逃げるとは。 及川の性格に呆れ果てたとき、彼がひらりと伸ばした手のひらで私の手を握ったからびっくりした。 しかも今までにしたことがない、指と指とを絡ませる繋ぎ方は所謂恋人繋ぎというやつだった。 そのことに戸惑う暇もなく、握った手のひらをぐいと引いて及川は走り出す。 岩泉は後ろから何事か喚いていたものの追ってくる気配はなかった。 誰にも追われていないのに、私たちは走り続けた。ひたすら走った。 「ちょっと、及川!」 万年帰宅部の体力の無さを舐めないでほしい。 ままならない呼吸に喘ぎながら声を張り上げると、及川は急に立ち止まって私はその背中に勢い余ってぶつかる。 呼吸一つ乱さず、余裕綽々でいる彼が憎らしい。 私は息を整えてから、ようやく不満を口にした。 「もういいでしょ。手、離してよ」 言葉とともに腕を引いてみたけれど、引っ張られた分だけ及川との距離が近付いただけだった。 不慣れなために、嬉しさ以上に居心地の悪い恋人繋ぎはそのまま、むしろ先ほどより力強く握り直される。 及川は笑う。 「はなさないよ。だって、こうでもしないと恥ずかしがり屋の誰かさんは逃げるからね」 浮かべられた笑みにはどこか有無を言わせない威圧感があって、私は言葉に詰まった。 どこからどこまでを分かっているのか、と探るような視線を向ければ「だから、コワい顔しないでってば」と、及川が繋いだ手を揺らす。 「さっき、俺の手をずっと見ていたでしょ?手、繋ぎたいのかなぁって。自意識過剰じゃなくて良かったよ」 「…いつ気付いたの」 「君の返事がへえ、とかふうん、ばかりになった頃かな。なんとなぁく、ね」 「話、聞いてなくてごめん」 「別に怒ってないよ。手を繋ぎたいとか、そういうことは素直に言ってくれればいいんだ」 「そ、」 そんなのは無理だ。 私は及川とは違う。 自分が相手に触れたいと思っても、相手が同じように思ってくれているとは限らない。 確証もないのに、拒絶されるかもしれないのに、自分の素直な要求を伝えるなんて耐え難い。 自分に自信がある及川とは違うんだ。 狼狽した私を寂しそうに見つめて、及川はゆるく息を吐き出した。 「名前は臆病だなぁ。どうしてそんなに逃げ腰なの?」 「及川の彼女であることに自信がないから…だよ」 「私でいいのか、って?ばかじゃないの。ばーか」 「っ、なんでそういうこと…」 「もっとたやすく、俺に触れればいい」 あまりに強く腕を引かれたために、視界がぐらりと曖昧になって、一瞬どこに立っているのか分からなくなった。 彼の言葉の通り、たやすく私を抱きしめた及川は耳元で囁く。 「俺は、いつだって準備は出来てるんだからさ」 その言葉と行為に、頬がかっと熱くなる。 離れていった及川を呆然として見やれば、途端に相好を崩してみせる。 「とはいえ、好きな子に不意打ちされたら俺も何するかわかんないけどね!」などと言ってふざけるのは、私が緊張しないようにしてくれているからだと悟り、さっきとは違う意味で胸が痛くなった。 私は及川のことが好きだ。 分かっていたことなのに、たった今気付かされたように心臓は悲鳴を上げていた。 「及川は、私が素直になったら嬉しい?」 「そりゃあ、もちろん」 「…そうしたら、及川の全部を見せてくれる?」 「やだ、全部なんて見せられるわけないじゃん。本当に全部を見せたら恥ずかしくて死んじゃうよ、及川さんは」 それとも、名前は俺に全部を見せてくれる予定があるの? そう言って笑う及川は、優しくて、そして余裕たっぷりだ。 ほんの少し意地悪をしてやりたい気分で、私は本音を口にした。 ほら動揺してよ、と。 「…いつかね」 小さく小さく言葉にすれば、及川の目がぱっと見開かれた。 わずかに赤くした頬を見せたくないのか、再度私を抱きしめた腕に幸福を感じて私は瞳を閉じた。 20140301 |