羽目を外さない人なのだと思った。
クルーが騒げばストッパー、クルーが酔えば介抱役。
常に船長のそばで情報収集に務め、時に彼の考えに意見をする。
ペンギンはそれが許される立場であったし、実力は伴っているのだと思った。
たまにシャチのいたずらや悪巧みに乗っかることはあっても、行き過ぎた時の制止役はいつも彼だった。
私は彼が持つ雰囲気に好感を抱いていたし、読書の好みも合っているから話すことは多かった。
理性的で理知的で、実際に話してみても第一印象が変わらない人だった。
私にとって、ペンギンは安心できる人だ。


夜明けの白み始めた空を見つめていた。
不寝番は嫌いじゃなかった。
世界が寝静まった頃、私が見る空も星も海も、どんな時より穏やかで牙を剥かない。
凪いだ海を見つめていると、何事も起きず平和であれなんて最も海賊らしくないことを思う。
波が震えることもなく風が逆らうこともなく、船が穏やかな航海を続ければいいのに。
私たちの冒険が、船長の冒険が終わるまでは静かであってくれたらいいのに。
目を閉じて吐いた溜め息はゆらりと空気に溶けていった。
その時、見張り台の梯子を上る音が聞こえてきたけれど私は目を閉じたままでいた。

「こら、サボるな」

案の定、想像していた人物に叱られた。
ぱちりと目を開けると、大して怒っていなさそうなペンギンが私を見下ろしていた。
「寝ていたのかと思った」と言う彼に、「少し目を休ませていただけ」と返せば納得したように頷いた。
彼の向こうに見える空はだいぶ明るくなってきている。
不意に私から水平線へ視線をずらしたペンギンが微笑む。

「いい朝だ。波も穏やかで落ち着いてる」
「安定した海流に入ってしばらく経つからね」
「だけど、その海流もそろそろ終わりが近付いてるな」

海図を取り出して広げたペンギンに、私は場所を譲ろうと思った。
そもそも交代をするから彼はやって来たのであって、私は自室で昼頃まで眠るつもりだった。
しかしペンギンは見張り台に座り込んで、入れ替わりに立ち上がろうとした私を引き留めた。
二人分には少し窮屈なその場所で、彼が私の方へ向く。

「なまえ、もう眠いだろう」
「そこまででもないけれど、何か用事?」
「良かったら、少し話していかないか」

穏やかに声掛けされれば断る理由なんて見つからない。
浮かせかけた腰を落ち着かせると、隣のペンギンが少し笑ったようだった。
まだ船員たちが起きてくるには少し早い時間帯で、互いが口を開かなければ夜明けのひんやりした空気だけが辺りに満ちている。
そこでペンギンが発した言葉は、やけにはっきりと響いた。

「実は訊きたいことがあって呼び止めたんだ」
「うん」
「昨晩のこと、覚えてるか?」

私はその言葉に頷いた。
昨晩は島を出たばかりで、そこでの稼ぎにみんな浮かれて宴をした。
私は大騒ぎの中心には赴かず、隅っこの方でのんびりと楽しんでいた。

「記憶が飛ぶほど酔ってないよ」
「ああ、悪い。そういうことじゃなくてだな」

一度言葉を区切ってから、ペンギンが続けた。

「昨晩、シャチの誘いに乗らなかっただろう。なんでだ」

言葉の最後の方だけこちらを見たペンギンだったが、だんだんと明るさを増した空が鍔の下に濃い影を作り、視線は交わらなかった。
宴も半ばに差し掛かり、クルーの陽気な気分が最高潮に達した頃だった。
特に賑やかな輪に加わっていたシャチがおもむろに立ち上がり、こっちに加われと私を呼んだのである。
すっかり出来上がったシャチが大声で呼ぶものだから、必然と周りの視線は私へ集中した。
船長さえ横目で様子を窺っていたほどだ。
結局、私は不寝番に響くからと断って元の席、つまりペンギンの隣から動かなかった。

「あの場で言ったとおり、今日の不寝番があったからだよ」
「でも、それだけじゃないんだろ?」

間髪を入れずに尋ねてきたペンギンに、思わず頷いてしまった。
彼がこういう質問の仕方をするのは珍しいと思いつつ、記憶は昨晩の複雑な感情を引っ張り出してきていた。
本当は、ペンギンが指摘するように断った理由が別にあったのだ。
言葉を選ぶ必要もないと感じて、私は素直な気持ちを吐露した。

「断った理由は…あの場にいて下心を感じたから、かな」

他人が聞けば自意識過剰な女だと笑ったかもしれない。
けれど、ペンギンはこちらを向いてじっと押し黙っているだけだった。
昨晩シャチが私に声を掛けた時、みんなはもう確実に二日酔いになるであろうくらい飲んでいて、いつも以上に上機嫌な様子だった。
それを見て、どうしてだか私は身構えてしまったのだ。
普段私を女と見ないシャチや他の船員たちが、その時は確かに私を女として輪に招き入れようとしていた。
別にそれが悪いとは言わない。
ある意味、女扱いをされるというのは嬉しい気持ちもあった。
けれど抵抗があって、その誘いをやんわり断ったのだ。

「あいつは女が好きだし、お前にもそれなりの好意を抱いているから絡みたくなったんだろうな」

ペンギンが納得したように呟いたのは、シャチのことだろう。
それなりの好意、という微妙な物言いに私はちょっと笑ってしまった。
ペンギンは、どうしてこんなことを訊くのだろう。
ふと思った瞬間、少し声を硬くした彼が言った。

「自覚があったんならよかったよ」
「…自覚って?」
「女扱いされていると思ったから遠慮したんだろ。なのに、どうしておれのそばは離れなかったんだ」
「なんでそんなことを気にするの」
「他の奴のことは避けたのにおれの隣を離れないっていうのは、なんだか不自然だろう」

本題はここにあったらしい。
いやに真面目な声を出すペンギンに、私はまばたきを繰り返した。
彼でもこういうことを気にするのか、と意外な気持ちだった。
他人にどう思われているかを気に掛けるタイプではないと思っていたのだ。

「だって、ペンギンだから」

考えるまでもなく答えていた。
私の中ではこの一言に尽きる。
信頼しているのだ。
羽目を外さず、理性的で、そばにいると安心できる。
それ以外に何か理由が必要だろうか。
しかしペンギンは納得するどころか、不服そうに口を曲げた。
一気に頑固そうな表情になるのを見て、自分の発言を振り返ったけれど反省点が見当たらなかった。

「お前はおれを保護者か何かだと思っていないか?」
「そうだけど、だめ?」
「だめ、ではないが」

お前なあ…、とペンギンが呆れたように帽子を押さえる。
狭い見張り台では身体の片側は彼にぴたりとくっつくようになっている。
こんな状況でも浮つくことなく語り合えるのは、私がペンギンを意識していないからだし、彼も同じ気持ちだからだと思っていたのだけれど。
どこか悔しそうな表情を見せられれば、なんとなく察することができた。
居心地のいい空間に気まずさがほんの少し混じる。

「私、部屋に戻ってもいい?」
「今更逃げられても困る」

本心で逃げる気はなく言葉だけで伝えれば、ゆるりと頭を振ったペンギンが手首を握ってきた。
かといって彼に焦った素振りや切羽詰まった様子はなく、触れてきた手のひらも振り払えるくらい優しい力加減だった。
じんわりと伝わってくる温度に目を落とす。
一晩かけて冷えた私の肌を温めるように、手のひらは一度離れてから握り直していた。

「ペンギンの手、あったかいね」
「お前が冷たいんだ」

寒いだろ、と続けられた言葉はすぐ耳元で聞こえた。
何が起きたか分からないほど私は子供でも鈍感でもなくて、身体にしみこむ彼の体温にゆっくり息を吐く。
こんなことを彼が特別な感情もないままするはずがなく、私は心臓が締め付けられるような気分だった。

「なまえは、おれがお前の嫌がることをするはずがないと信じ切ってるんだろ」
「うん。違うの?」
「違わないが、まったく警戒されないというのは少し癪だ」

いっとう穏やかな声だった。
私の肩口に額を押しつけるようにして、ペンギンが抱きしめる腕に力をこめた。
私の首筋にぶつかった帽子がずれて、柔らかい髪が肌をくすぐって言葉が出なくなる。
手を握られて優しい声で囁かれて戸惑うなんて、うら若い少女でもあるまいに。
震える息を吐き出すと、私の緊張を読み取ったらしいペンギンは名残惜しそうにぎゅっと身を寄せてからすぐに離れた。

「言いたいことは、それだけだから」
「…ペンギン」
「気をつけて戻れよ」

すっかり明るい空を指差した彼は、私の肩を持ってくるりと梯子の方へ向かせた。
背後の彼に何も言えないまま、手を離される。
振り返ると、ペンギンはごく自然な笑顔で軽く手を挙げた。
私は悔しさに顔を背けると、梯子に足をかけた。
見張り台から降りるとき、頭がくらくらするのを徹夜のせいだと必死に言い聞かせた。
船内にはぼやけた暖かさがあって、私は非現実から現実に引き戻されたような心地で歩く。
すると、背中にかかる聞き慣れた声。

「おー、なまえ!不寝番お疲れー」

起きてきたばかりらしいシャチの明るい声に、私はできるだけ平静を装って振り向いたつもりだった。
しかし彼は、サングラスの奥の目を丸くする。
嫌な予感がした。
この男は思ったことを正直に言ってしまうだろう。

「なまえ…顔真っ赤だぞ。どうした?」
「言わないで」
「え?」
「これ以上自覚させないでって言ってるの!」

声を大きくした私に、シャチが「え、ああ、ごめん」と戸惑った風に言う。
分かっている、彼は何も悪くない。
他の誰かに会う前に早く自室に戻ろうと足を速めた。
目蓋を閉じるたび、ペンギンの姿が思い出される。
私をゆるりと海に落とした、彼の声音がいつまでも耳の奥で鳴る。
捕まえて離さなかった腕が、優しく甘く囁く声が、私の心を覗き込んだ瞳がいつまでも鮮やかに、私を占めて消えてくれない。


従順なきみはいりません


20131104


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