寒くて寒くて目が覚めた。
二週間ぶりに島へ上陸する前日の夜だった。
あまり温まっていない布団をそっと抜け出して廊下に出ると、皆が寝静まった船内はしんとしていた。
冬島が近付いているからだろうか、船の外側だけではなく内側までもが冷え冷えとしている。
体の芯から凍るような冷気に指先を何度もこすってみたけれど、気休めにしかならない。
無意識に厨房へと足が向かい、頭では何か温かいものでも飲もうかと想像をめぐらせる。
扉を開く前になんとなく人の気配を感じて、覗いた先の姿に私は目を丸くした。

「…ペンギン?」
「ああ、お前か」

私の呼びかけに驚いた様子もなく、彼は薄く笑みを浮かべた。
規則正しい生活を送っているペンギンは酒盛りに付き合わず皆より先に寝入るのも珍しいことではなく、こんな時間に起きていることが意外に思えた。
「あいつって、酒強いくせに付き合い悪いんだぜ」とシャチが拗ねたように言っていたことを思い出す。

「ペンギンが夜更かしなんて珍しいね」
「好きでしてるんじゃないぞ。お前も寒くて起きたんだろ?」
「うん」

ほら毛布、と多めに持ってきていたらしい一つを手渡されたので有り難くくるまっておいた。
寝起きの体に残っていた僅かなぬくもりがじわりじわり増えていって、ぽかぽかと温かくなる感覚が心地良い。
肩をすくめて鼻先まで毛布を引っ張り寄せる私の様子を、ペンギンは親みたいな眼差しで見ていた。

「用意がいいね。さすが」
「寒さに慣れているおれでさえ目が覚めたんだ。他にも誰か起きてくるんじゃないかと思っていたら、なまえが来た」
「そっかぁ」
「何か温かいもの飲みたいだろ。おれと同じやつでいいか?」

よくコーヒーを飲んでいるペンギンの手元のカップを覗くと、いつもとは違って温かそうなミルクが入っていた。
少し甘い香りもする。
私が首を傾げるのを見て、彼が説明してくれる。

「ただのホットミルクだぞ。少し隠し味はあるけれど」
「隠し味?」
「これ」

ペンギンが取り出した小瓶のなかで琥珀色の液体がとろりと揺れた。
二つほど前の島で、名物として売られていた物だ。
島の随所に植わっている樹木から採取できる蜜は栄養価が高く、島のどの料理にも使われるのだと聞いた。

「これを売っていた島も寒かっただろ?体をあっためる作用があって、おれは重宝してる」
「へええ」
「もっと買っておけば良かったな」

鍋で温めた牛乳を注いだカップに二滴ほど蜜を垂らし、軽くスプーンでかき混ぜてからペンギンはカップを渡してくれた。
甘いなかにシナモンに似たぴりっとした香りが混じっていて、おいしそうだ。
わくわくしながら口を付けようとしたとき、厨房の扉がバタンと勢いよく開いた。

「さっみい!もー!死ぬ!」
「シャチ、しー」
「騒ぐとみんな起きてくるぞ」

私とペンギンが揃って人差し指を口に当てる仕草をすると、シャチは慌てて口を塞いだ。
けれどすぐに手を離して肩をさすっているところを見ると、どうやら今起きたというわけではなさそうだ。
歩み寄っていって、先程までカップを包んでいた手のひらをシャチの頬にぺたりと当てると、ふにゃっと表情が崩れた。

「なまえの手あったけぇー」
「もしかして見張り番だった?」
「そうそう。今日は寒すぎるから交代制で、さっきおれの番が終わったとこ」

氷みたいに冷たい肌から手を離すと、名残惜しそうな顔をされた。
ペンギンの配慮でせっかく温まった私の手が寝起きと元通りに冷えてしまうので、これ以上は仕方ない。
その代わりにペンギンの持つカップに目敏く気付いたらしい彼は、置かれたままの私のカップを手に取った。

「おっ何これウマそう!もーらいっ」
「ああっ」
「あーあ」

そのままカップの中身をぐいっと呷ったシャチに、私の悲鳴とペンギンの呆れ声が重なった。
それきり言葉が出てこない私をよそに、シャチは至極満足そうに唇を舐めた。

「うまー。お、なんだか体がぽかぽかしてきた…いてっ!何すんだよ、なまえ!」
「ばかシャチ、それは私の分だったのに!」
「お前は人を怒らせる天才だよ」

シャチの肩を叩く私を見て、ペンギンは苦笑いを浮かべていた。
人のカップを使っておいて気付いていないシャチの鈍さに憤慨したけれど、一通り説教が済めばシャチは謝ってきたし、ペンギンが「また作ってやるから」と頭を撫でてくれたので許すことにした。
私はペンギンの優しい撫で方がお気に入りだから、大抵これをされると機嫌が直ってしまう。
不思議なホットミルクを入れ直してもらった私と、二杯目を自分のカップに作ってもらったシャチと、先程から働いてばかりのペンギンの三人でテーブルを囲んだ。
皆一様に指先を温めるようにカップを握って、同じ毛布をかぶった格好なのが可笑しかった。
真夜中に声を潜めて会話を交わすのは、少しいけないことをしているようで気分が高揚する。

「というか、お前ら寝なくていいのか」
「騒いだら目が冴えちゃったもの」
「ペンギンの方が先に起きてきたんだろ?お前こそ寝れば?」
「…今更眠くない」

思い出したように私とシャチへ忠告をしてきたペンギンも、どうやら目が冴えてしまったようだ。
早くも二杯目を半分ほど飲み干したシャチが、隣で気の抜けたあくびをした。
彼がとてもおいしそうに物を頂くのは結構なことだけれど、もう少し味わう姿勢を見せれば言うこと無しだと思う。

「あー、なんか腹減ってきた」
「この時間に?…とはいえ、私もちょっとお腹空いたなあ」
「夜中の間食は止した方がいいぞ」
「そうだぞ、太るから!」

話題に軽く同意をしてあげたというのに、無邪気な笑顔で無神経な発言をしたシャチの頬を無言でつねった。
柔らかいほっぺたは、さっきよりは温まったようだ。
どうしてシャチはペンギンみたいな言い方ができないかな。
当の彼といえば、私とシャチをなだめるのに飽きたのか何も言わずカップに口を付けていた。
普段からは窺えないペンギンの自由人な一面を見た気がする。
夜更かしもしてみるものだ。

「いっ…て、だから痛ェって!」
「あ、ごめん」
「ほどほどにしとけよ。本当に誰か起きてくるぞ」

「おい」

つねりっぱなしだった指を離し、涙目のシャチを見かねたペンギンがため息を吐いた時だった。
地を這うような低い声が扉のある方向から響いて、私たちは同じタイミングでびくっと肩を揺らした。
三人とも顔を上げられない。
よくよく聞き慣れた声に、声の主に察しがついたからだ。
勇気を出してちらりと視線をやれば、扉に寄りかかっている船長とばっちり目が合ってしまった。
こうなったら、もう目は逸らせない。
厨房の真向かいにある船長室の存在を私たちはすっかり失念していたのだ。

「お前ら、いつまで騒いでやがる。寒いのに加えておれを寝かせないつもりか」
「す、」
「すみませんでした船長!」
「悪気はなかったんです!」

三人で席を立ち上がって礼をするタイミングまで揃っていたのに、今はそれを笑う余裕がない。
寝起きの悪い船長のことだ。
不機嫌なのも手伝ってこっぴどく叱られる、とびくびくしながら言葉を待つ。
予想通り眉間にシワを寄せてこちらへ近付いてきた船長だったが、彼は一度鼻をすんと鳴らして立ち止まった。
おや、と思っておそるおそる見れば、テーブルに置かれたカップを見ている。

「…ウマそうな匂いがする」
「…飲みますか?」
「わりぃな」

飲みさしとはいえ断られなかったので、手近だった私のカップを渡すと船長は口を付けた。
体が冷えていたのか、ごくごくと飲んでしまった船長に、シャチが「えっ」という顔をする。

「なんだよなまえ!おれが飲んだら怒ったくせに!」
「だって船長だから」
「理由になってねーよ!」
「いや、船長だから許されるんだろ」

私の返答に傷付いたらしくぎゃんぎゃん喚くシャチの肩を叩いて、ペンギンが首を振る。
「間接ちゅー、ずるい…」と顔を覆ったシャチの言葉は聞かなかったことにしておこう。
結局ホットミルクを気に入った船長の分もペンギンが新しく作り、テーブルを囲む人数が四人に増えた。
温かい飲み物に機嫌を良くしたらしい船長が向かいに座っていて、なんだか不思議な感じだ。

「船長、明日は久しぶりの上陸ですね」
「ああ」
「なまえ、きちっと防寒していけよ!さっむいぞー」
「前に冬島に行った時みたいに風邪を引くなよ」

ペンギンに痛い指摘をされて、うっと呻いてしまった。
いくら医療のエキスパートが揃っている海賊団とはいえ、看病で仲間の手を煩わせてしまったのは事実だ。
何も言い返せない私をからかうように、シャチがあれこれといらないことを付け足してくる。

「あー、あったあった。島を一巡りして船に帰ってきた途端ぶっ倒れて!心配させんなって話だよ」
「我慢強いのが仇になった事件だったな。不調は早めに仲間に言ってもらわないと」
「おれら信用されてねえよなー。面倒くらい見るのに」
「そう言ってやるな。なまえ本人が一番反省してると思うぞ」

ペンギンまでもが楽しそうに乗っかるものだから、二人の話に花が咲く。
すぐ隣の会話が耳に痛くて、居心地が悪いのをごまかすために毛布をかき寄せる。
ふと視線を前に向ければ、船長が笑みを浮かべてペンギンとシャチを見ているのが目に入った。
私の視線に気付いてこちらに向けられた瞳は変わらず楽しげで、私はちょっと拗ねた気持ちになる。

「…笑わないでください」
「笑ってねェ」
「うそ。それは面白がってる顔です」
「面白いぞ。あいつらがな」

そう言って船長が指差した先には、相変わらず会話を続けるペンギンとシャチがいる。
その意味を測りかねていると、二人の声量に紛れるように船長が囁く。

「あいつらが本気で文句を言ってると思うか?」
「…いえ」
「そう拗ねるな。あいつらは十分お前に甘い。多少のからかいは受け取っておけ」
「……アイアイキャプテン」

なんて珍しい夜だろう。
普段は言葉少なである船長にまで諭されてしまうなんて。
この人がこんなに優しい目をして私たちクルーを見ていることに気付いてしまう、なんて。
言葉に詰まった私のことを尚も見ている船長の笑みは絶えない。

「おーい、なまえ聞いてる?」
「聞いてるよ」

隣から掛けられたシャチの声音が子供みたいにはしゃいでいて、やっぱり楽しそうで。
気恥ずかしさから口に付けたカップにホットミルクはもう残っていなかった。
まだまだ、眠れそうにない。
ペンギンに向かっておかわり、とカップを差し出せば、船長がくつりとまた一つ笑ったようだった。


20131006
眠れない夜にはいつもは見られないきみの顔を
Happy Birthday Law!!


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