今日も私の住む島は平和だ。 ぽかぽかと暖かい陽光が降り注ぐ窓辺で洗濯物を畳みながら、私は日常の平凡さと有り難みを噛みしめていた。 「なまえ、忙しいから代わりに買い物に行ってきて」 「はーい」 「港の方で海賊たちが小競り合いをしていたみたいだから、気をつけなさい」 「うん」 返事をしながらも、私はその言葉をあまり真剣に受け止めていなかった。 この島に海賊がやってきて多少暴れたり悪さをしたりするのは日常茶飯事なので、今日は平和だという気分は私の中で揺るがない。 母親の言いつけを受け、私は身なりを軽く整えてから家を出た。 門を出る時に、膝から血を出して半泣きの男の子とすれ違う。 遊んでいて転びでもしたのだろうか。 ポケットから飴玉を探り当て、渡してやってから軽く頭を撫でてやる。 あとは父や兄に任せるとして、私は賑やかな街の中心へ向かって歩いていく。 歩を進めるたびに周りの華やかさと喧騒が増す感じは結構好きだ。 おつかいの内容を確認しようとメモを取り出した時、ちょうど角に差し掛かっていたせいですれ違った男性と肩がぶつかってしまった。 「あ、すみません」 「いえ、こちらこそ」 先に丁寧な口調で謝罪を口にされたので、余所見をしていたのは私の方だからと慌てて頭を下げる。 大げさな所作をしたせいか、男性は慌てたように「顔を上げてくれ」と、狼狽した声を出す。 言われるままに顔を上げ、その先にいた彼があまり見かけない容貌だったので、私は思わず彼のことをまじまじと観察してしまった。 細身の体に白いツナギを着ていて、その胸元にあるマークは角度でよく見えないけれど、地元の人でないことは確かだ。 何より目を引くのがその頭に被っている可愛らしい帽子で、そこに書かれた単語をつい読み上げる。 「ペンギン…?」 「ん?」 「あ、いえ、何でもないです。ごめんなさい」 再度ぺこりと頭を下げた。 そういえば、今日から街の中心部にある時計台の修理に大勢の人がやって来ると聞いていた。 作業に適していそうな格好だし、彼も修理に来た仕事人の一人なのかもしれない、と私は深く考えずに結論付けた。 頭を下げた私に、男性がまた焦ったように顔を上げてくれと言う。 律儀な人だ。 ふと、視線を下げていて彼の腕に目が行った。 「あの、怪我してますよ」 「え?」 「そこ、血が出てる」 私が指差した先、彼の左腕からたらたらと血が流れていた。 一般人からすれば結構な出血量だと思うのだけれど、指摘された当人はさして気にした様子もなく、この程度なら平気だと笑う。 彼が向かっていた方向から察するに、街唯一の診療所に向かうわけでもなさそうだ。 目の前には怪我人、それも治療する気なしと見れば、私がやることは決まっている。 「少しいいですか」 「えっ、え?」 怪我をしていない方の腕を掴んで引くと、男性は困ったように声を上げた。 ものの数分も話していないけれど、どこかぼんやりしていて心配な人だ、とこれまた勝手な印象を抱く。 近くの酒場のテラス席を借りて男性を座らせ、腰に付けていたポーチから包帯やガーゼを取り出して並べると、彼が帽子の鍔の下で目を丸くした、ような気がした。 「…準備がいいね」 「私、ここの町医者の娘なんです。家業は兄が継ぐんですけれど、やっぱりある程度の医療の心得は叩き込まれていて。私でも手当てができそうな傷で良かったです」 それなりに出血はあったが、縫うような重傷ではない。 そう判断をして手当てをしていく。 男性はじっとされるがままでいて、私の所作ひとつひとつを見守っている。 人が好さそうで、見慣れない風貌であるのに悪い印象は受けない。 「お兄さんも、怪我をしたら気軽に訪ねてきてくださいね」 診療所の宣伝のつもりで営業スマイルを浮かべれば、きょとんとした彼は次いでくつくつと笑い出した。 何か可笑しなことでもあったのだろうか。 時計台の修理作業ともなると、小さな怪我などいくらでも作りそうなイメージがあるのだけれど。 「こんなおれ相手でも、歓迎してくれるんだ?」 「? もちろんですよ!」 男の人は私の力強い返答にひとしきり笑ったあと、涙を拭っていた。 何か、この人の笑いを誘うものがあったらしい。 包帯を鋏で切ったあとに留めて処置を終えると、彼は感触を確かめるように腕を曲げ伸ばししていた。 「ありがとう」 「いいえ。動きやすくしておきましたけれど、出来るだけ安静にしてくださいね」 こくりと頷くその姿を横目に、諸々の器具を順番に仕舞った。 すぐに立ち上がってどこかへ行かないところを見ると、彼は急いでいるわけではないらしい。 道行く人の様子を興味深そうに見ている。 「この島ははじめてですか?」 「ああ。気候も穏やかで人々に活気があって、いい島だ」 「治安はちょっと微妙なところで…今日も港の方で海賊たちが争ってたみたいです」 ぴくり、とお兄さんの肩が揺れた。 母から伝え聞いた話をなんとなくしてみたのだけれど、その反応を見て思い当たる節があった。 「もしかしてその怪我、争いに巻き込まれたんですか?」 「ああ、うん」 彼が反射的に頷いてからはっとして口を塞ぐので、何か聞かれたくないことがあるのかもしれない。 どうりで刃物で斬られたような傷だと思った。 「気をつけてくださいね。ああいう騒ぎは、この島では珍しくないので」 「…そうなのか」 忠告のつもりで言うと、彼は複雑そうな顔をした。 不思議と、被害者じみた表情はしていない。 その手のひらがゆるりと腕の包帯を撫でる。 「でも、これは大切な人を守るために戦ったんだ。名誉の負傷だと思ってるよ」 後悔はしていない、という顔だった。 その場にいた誰かを庇っての、やむを得ずの傷だったのかもしれない。 とても優しげな笑みをして話す姿は落ち着いていて、少し見入ってしまった。 大切な人とはやはり女性を指しているのだろうか。 「素敵ですね」 素直に思ったことを口にすれば、腕の包帯から顔を上げた視線がこちらを向く。 意外そうな顔をされても、困る。 同意したくなるような話をしてきたのは彼の方だ。 「きっとその人もそんな風に思われて嬉しいと思います。憧れるなあ、そういう関係」 私の言葉を聞いて、お兄さんは照れくさそうにした。 本当に大切な人なんだろう。 私は微笑ましい気持ちで彼を見つめた。 「あ、でも医者の娘として怪我を肯定する発言は聞き逃せません」 「それは、悪かったよ」 「その人のためにも、もう怪我しないようにしないと」 「ああ。…この島で海賊の抗争は珍しくないって言ったけど、被害は出てるのか?」 「父が言ってました。私たちの仕事がなくなる日が来れば一番いいって」 医者という職業は、怪我や病気を持っている人たちがいるから成り立っている。 こんな小さな、比較的のどかな島でさえ仕事がない日は一日もない。 私の表情を窺うようにして、彼がぽつりと口にした。 「海賊は嫌い?」 「え?」 「きみの住む島を荒らしていくような奴らをどう思うのかなって、気になったんだ」 単なる好奇心で訊かれているわけではないようだ。 相変わらずその瞳は隠れて見えないけれど、真剣な様子であることは伝わってきた。 暫し考えたあと、私なりの答えを口にする。 「嫌いというより、苦手です。うちの島で悪さをしていく輩はいつも同じ海賊団です。それ以外の人たちのことは、会って話してみないと何とも」 まだ見ぬ人たちのことは会ってみないと分からない。 要はそういうことだ。 話を聞いていたお兄さんは安堵にも似たため息を吐いてから、ゆるりとした笑みを浮かべた。 「会ってみないと分からないんだ?」 「はい」 「そうかぁ。良かった」 何が、良かったのだろうか。 首を傾げている私を他所に、彼が立ち上がって伸びをする。 そういえば、ずいぶんと長いこと引き留めてしまっていた。 用事があるなら悪いことをしてしまった。 しかしお兄さんはゆったりと笑って、信じられない一言を口にした。 「おれ、海賊なんだ」 「…またまた。お兄さんみたいな、人の好さそうな普通の人が海賊なわけないじゃないですか」 先程の流れからの冗談だと思って言い返したのに、彼は訂正をしなかった。 それどころか、今まで浮かべていた笑顔を不意に消してしまうから急に不安が過ぎる。 この人が海賊?こんなに優しそうな人が? 「おれもきみと似た考えでさ。どんな人でも話してみないとその人柄は分からないと思うんだ」 「えっと、」 「きみはおれと話してみてどう思った?海賊と分かって軽蔑した?」 机に手を置いて身を寄せてきた彼を目の前に、息が上手くできない。 不思議と恐怖心や不安は感じない。 自ら海賊だと名乗り出た人がすぐそばにいるのに、だ。 しばらく考えたあと、首をふるふると横に振った。 海賊だと聞かされても、今更彼を遠ざける理由がない。 私の反応に、彼はほっと息を吐き出した。 真面目な顔をしていてもどこか緊張していたのかもしれない。 「おれはきみと話してみて、いい子だなって思った。だからさ、」 「…はい」 「おれに奪われてくれない?」 「え」 「おれの大切な人になってよ。」 柔らかく囁かれて、手のひらを取られた。 彼の包帯の白が目にしみる。 そのまま腕を引かれて、私は生まれて初めて海賊船という場所に連れて行かれたのだった。 冒頭の平和はどこへやら、私を日常には返してくれないようだ。 海の果てまで逃避行 (船長。医療知識があって気立てのいい、可憐で守りたくなるような女の子に惚れました。誘拐してもいいですか) (結構な優良物件じゃねェか。許可する) (というわけで誘拐されてくれ、お嬢さん) 20131004 一人目の大切な人は船長 |