ペンギンが戦闘で負傷した。
命に関わるようなものではなかったが、しばらくこんなことがなかったから何人かのクルーはパニックになった。その筆頭といえば、あいつだったのだけれど。
先ほど意識が戻ったペンギンの顔を見に行けば、「久しぶりにヘマしちまったなあ」と力なく笑っていた。
さっさと寝て治療に専念しろとだけ言い捨てて甲板に出てくれば、船内への出入り口の脇でうずくまっている奴がいる。
なまえだ。

「…何してんの?」
「シャチには関係ない」

伏せられた顔はそのままで、つっけんどんな調子で言い返される。
不機嫌な振りをしてみせるのは、少なからず落ち込んでいるからだろう。

「ペンギンが目ェ覚ましてた。あいつ元気そうだったぞ」
「ふーん」
「見舞い行けば?」
「無事ならいい」

あれだけ慌てていたくせに、よく言う。
今回の戦いで油断はしていなかったはずだ。
タイミングと運が悪かった。
敵の剣士に斬られたペンギンを担いで、船の見張り番をしていたなまえのところまで連れて帰った。
おれたちを見た途端この世の終わりみたいな顔をしたから、おれはなまえがその場で卒倒するんじゃないかと冷や冷やした。
けれど、意外にもなまえは船長が戻ってくるまで適切な処置を行い続ける気力があった。
眉間にシワを寄せて、唇をぎゅっと結んで。
自分から申し出て、輸血にも協力した。
全部が済んでからだった。
ペンギンが部屋に運ばれるのを見送ってからなまえは力が抜けたように座り込んでぼろぼろ泣き出して、それからこの場所をずっと動いていない。
ペンギンの怪我はなまえにとって、余程衝撃的な光景だったんだろう。
衝撃といえば、おれもそうだった。
非戦闘員のなまえからすればペンギンの状態は十分大怪我だったのだと、思い知らされた。
感覚が麻痺しているせいで気付けなかったことが不甲斐ない。

「そんなに泣くなよ」
「…泣いてない」

言葉尻が動揺したように震えた。
まだ泣いていたのか、と鎌を掛けた身でありながら少し呆れる。
昼の騒ぎからずいぶん経って、もう夜だ。
そろそろ涙を止めておかないと瞼が腫れるんじゃないだろうか。

「怖かったのか」
「……」
「船長が治せないとでも、思ったわけ?」
「! そんなこと…っ」
「ないよな」

思わず反論しようとなまえが顔を上げたから、笑って返す。
おれがわざと言い返したくなるような口振りをしたことに気付いたのか、なまえはすぐに視線を逸らした。
拗ねた顔をするから、自分の頭からキャスケット帽を外してなまえに被せてやった。
横から覗き見えた瞳が潤んでいることは指摘しないでおく。

「これで多少は隠せるだろ」
「…やだ、汗くさい」
「くさくねーよ、昨日洗ったわ!」

なまえの感想は照れ隠し、だと思いたい。
可愛くない奴だなあとため息を吐くと、なまえは手を添えてキャスケット帽を被り直した。
満更でもないみたいで良かった。
その細い腕に白いガーゼがぺたりとテープで留めてある。
輸血の跡だ。やけに目立って見えて痛々しい。

「お前、結構輸血したんじゃないの?早く寝とけよ」
「あれくらい、別にどうってことない」
「ずっとそこでへたり込んで泣いてたし、確実に立ちくらみはするだろうけどな」

皮肉っぽく言ったというのに、普段みたく言い返してこないから寂しくなった。
彼女が考えていることは大体察しがつく。
なまえみたいな分かりやすい形ではないにしろ、おれもずっと内心で考えていたことがある。

「私って、なんて無力なんだ」

ほら来た。
その言葉は自己嫌悪なんだろうけれど、おれの胸にぐさりと刺さった。
目の前で、あと一歩で助けに入れなかった自分のことを思い出す。
ああ、あの瞬間のおれは笑えるくらい無力だった。

「輸血してやったじゃん。応急手当ても」
「他に何もできないなんて」
「…なまえ」
「私は戦わないから、わからないよ。ペンギンもシャチも、船長も。毎日あんな世界で生きているの?」

あんな、死と隣り合わせの世界で。
意図的に伏せられた部分は簡単に察することができた。
伊達に海賊をやっちゃいない。
うーん、と唸りながら頭を掻くも気の利いた言葉は思いつかなかった。

「そういうものだからさ、仕方ねェよ」
「私は怖かった」
「ん」
「すごく、怖かったんだ」

自分のことじゃなかったのに、意気地なしの上に傲慢で嫌になる。
冷めた声音が続けて言った。
座り込んでから見やったなまえの表情は静かなものだった。
涙は跡形もなく拭われていたけれど、流石に目の縁は赤くなっていた。
おれは感情に任せて泣くということを久しくしていないから、少し羨ましい気持ちになった。
なまえは自然体なんだ。
思ったことを隠せないでいるから、おれたちは振り回されるけれど放っておけなくなる。

「そんなに落ち込むなって」
「だから、落ち込んでないの」
「ウソつけよ」
「シャチはどうなの?」
「何が」
「自分が無力だと思ったこと、ある?」

訊いてくれるな、とは言わないまま苦笑いを浮かべる。
この海賊団に居る限り、あの人を船長としてやっていく限り付きまとう永遠の命題。
追い越せない背中は数え切れないし、理想は持たない方がいいと思っているくらいだ。
自分が無力だなんて、いつも感じている。
泣いていた女に対して情けない返答しかできない、今この瞬間だって。

「いつだって思ってるぜ?思ったことがない奴なんて、いないだろ」
「無力だと思ったらどうするの」
「それは…、頑張るんだよ」
「何を、どう、具体的に」
「えーと」

そんなのおれが知りてえよ。
なまえが教えてくれよ。
切実な願いは曖昧な笑みに溶かして誤魔化した。
船長だったら、どう答えるだろう。
あの人も自分を無力だと感じたりするんだろうか。

「他の奴の意見も参考にすれば?同じこと訊いてこいよ」
「何それ、答えないつもり?」
「違うけど、おれ一人の意見を聞いたってどうしようもないだろ」
「そんなことない」

いつもの言い合いみたいな調子に戻ってきた会話の中で、なまえの声はやけにはっきりしていた。
あまりに凛と響くから、おれは目を瞬かせてなまえを見つめた。
ペンギンを看ていた時と同じ、ぎゅっと結ばれた唇が彼女の意志の強さを物語っている。

「私はシャチの答えを聞きたいよ。シャチだったら、どうするの」

涼しげで真っ直ぐな瞳が覗いた。
おれの帽子を借りているなまえからは普段ほどの表情を拾えなくて、少しだけもったいない気がした。
もっと明るい場所で、遮るものがない状態で目に焼き付けておきたい一瞬だったかもしれないのに。
夜の水平線に目を移して、自分なりの答えを考えた。

「無力だって感じたとき、どうすればいいのか。おれには答えを見つけられないから、これからも探していくしかない。それこそ、無力だーって嘆きながら」

申し訳ないが、これでも真面目に考えた結果だ。
やはり情けなく思う。
船長ならばもっと颯爽と、為になる言葉を返せるだろう。
ベポだったら存在だけで場の空気を和らげるだろう。
慣れないことは言うものじゃないな、と重い息を吐いた。
だから、おれはてっきりなまえが呆れているものだと思っていた。

「嘆くの?」
「嘆きながら、頑張るんだよ。参考にならなくて悪かったな」
「ほんと、参考にならないね」

よくも言ったなとなまえを振り返り、おれは言葉を失う。
言葉こそそっけないものの、なまえの表情が眩しいものを見るみたいに優しかったからだ。
眦を緩めて微笑む、その姿に先ほどのような鬱屈とした感情は見られない。
惚けて見つめていると、なまえがすっくと立ち上がった。
やはり貧血で立ちくらみがするようで、よろめいた彼女を慌てて支えた。

「どうしたんだよ、急に」
「ペンギンの意見も訊きに行くの。お見舞いがてら」

どうやら会いに行く気になったらしい。
ほっとした気分で、表情がよく見えるようにと彼女が被るキャスケット帽を軽く上向ける。
すると鍔の下から、「ありがとう」と控えめな声がした。

「え」
「さっきの答え、私は結構好きだよ。シャチらしいね」

その感謝にはなんだか含みがあって、「質問に答えてくれてありがとう」の意味だけではない気がした。
何にせよ、見舞いに行くならば当人より元気な姿で会うべきだ。
どこか晴れやかな表情を見せるなまえに安心する。

「ペンギンの奴、寝てるかも」
「寝ていたら起こしてやろう」
「船長曰わく、絶対安静だけどな」
「私たちに心配掛けたんだから、それくらい構わないでしょ」
「違いねェな」

何より恐ろしい船長に叱られるかもしれないというのに、二人で笑いあうくらいには気分が良かった。
見慣れた帽子をぽんぽんと叩いてやると、なまえの肩がくすぐったそうに揺れた。
さて、ペンギンの答えとやらを聞きにいこうか。

20130920


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