「おいなまえ」
「はい、船長」

名前を呼ばれたからきちんと返事をして振り向いたというのに、船長は何とも言えない表情を作ったあとに深々とため息を吐いた。
この後続くのが一日に一度は必ず行われるやりとりであることを理解した私は、そっと彼から視線を外す。
誰か助っ人になるような人物がいないかと探してみたものの、甲板には忙しく作業をする船員はいても手が空いていそうなのは私と船長だけだった。

「いまめんどくせえって思っただろ」
「やだなあ、思ってませんよ」

いつも思うのだけれど、どうして船長は私の考えていることを容易く言い当ててしまうのだろう。
以心伝心という訳ではない。
私は船長の考えていることなんて一つも分からない。
もしかしたら船長は、女の船員に関しては仕草や行動をつぶさに観察している隠れむっつりすけべな人なのかもしれな「顔に全部出てるんだよお前は」ほら、また。

「すごいですね、船長!」
「小馬鹿にするような目で言われても嬉しくねェ」
「ちっ」
「舌打ちをするな」

せっかく期待に添えるような反応をしてあげたのに。
船内への逃亡を謀るも、途中で船長に腕をがっしり掴まれて引きずり戻された。
周りの船員たちは揃って呆れたような生温かい視線を送ってきたから、裏切り者と罵りたくなる。

「助けは来ないぞ」
「やだー!ペンギンさーん!」
「あいつはお前と違って忙しいんだ」

こんな下っ端の私に構っている時点で、船長も私に負けず劣らず暇人確定である。
と、思っていたら頬をつねられた。
船長の行動は全てにおいて容赦がないために私は痛さに悲鳴を上げた。

「痛いんですが!」
「当たり前だ。痛くしたからな」
「サド、暴君、老け顔」
「いい加減にしろよクソ女」
「いだだだだ」

そろそろ頬が千切れるからやめてもらいたい。
船長相手には意地でも謝らないと決めているので涙目ながらに耐えていたら、しばらくしてから船長が手を離す。
離れていく間際に指先が目尻に溜まった涙を乱暴に拭っていったので、「うへえ」と言ったら睨まれた。
手慣れてて気持ち悪いです船長。
私の内心を何となく察したのか、船長は腰に手をやって頭を振った。
呆れられている。不本意だ。

「お前って奴は…本当にしょうがねェな」
「十分船長のお相手をしたと思うのでもう戻りたいのですが」
「おい待て。一つ命令だ」

その言葉にぎくりとした。
ついに来る。恒例のアレが。
仁王立ちの船長が凄んでいる。
怖くはないけれど居心地は悪い。
すう、と息を吸って船長がもう聞き飽きた台詞を言った。

「おれの名前を言ってみろ」
「…船長、じゃダメですか」
「三秒以内。言わないとバラすぞ、さーん、にー」
「ト、トラ…トラ……もう勘弁してください」
「この鳥頭め」

刀の柄で頭を殴られた。
ただでさえ容量が少ないのだからやめていただきたい。
まったく自慢にもならないのだけれど、私は人の名前を覚えるのが大の苦手だった。
さすがに家族や付き合いの長い友人のものは分かる。
しかし、数年生活を共にしても船員や船長の名前がまったく頭に入ってこないのだった。
呼び名なんて分からなくても事足りる、と主張する私に大半の船員は諦めているのに、ただ一人諦めてくれないのが船長だった。
苛々した様子で船長がこちらを見ていて、私は視線を逸らした。

「こっちを向け」
「痛いからあごを掴まないでください」
「よく聞けよ、お前は他人に対する礼儀がなっちゃいねェ。だから名前を覚えないんだ」
「違います。記憶力の問題です。私の故郷と違って似たような名前が多すぎてホント紛らわしい」
「本音出てるぞ」

なぜ船長がそこまで名前にこだわるのか、さっぱり理解できない。
会話が成立するんだからいいじゃないか。
船長のことは船長と呼ぶし、その他大勢は「ねえ」とか「ちょっと」で反応してくれる。
みんなは寛容だというのに、まったく船長は心が狭い。
…また小突かれた。
暴力反対でーす。

「ペンギンの名前は覚えてるくせにな」
「だって帽子に書いてあるから。あの帽子可愛いですよね。すごい自己主張ですけど。あとペンギンさんは船長と違って優しいです。だから好きです」
「…ベポは」
「あの白熊さんは可愛いから覚えてます」
「シャチはどうなんだ」
「ああ、あのチャラい人」
「…仮にもお前の上司だぞ」
「苦手なんです、あの人」

めんどくさいと思いながらだらしない姿勢で船長の質問に答えていたら、ちょうど通りがかったらしいペンギンさんが「シャキッとしなさい」と言って背中をポンと叩いてきた。
思わず背筋を伸ばすと、しっかりやれよと言わんばかりの笑顔を見せて去っていった。
大人な対応ができる人はやっぱり素敵だなあと、その背中を見送る。
しかし、そういう感傷に浸らせてくれないのがウチの船長なわけで。

「甘やかすな、ペンギン!」

鋭い声音にペンギンさんの肩がびくっと揺れて、振り向いた彼は一礼をしてからそそくさと行ってしまった。
巻き込んでしまったのが申し訳なくて、私は横目で船長を見た。

「感じ悪いですね、船長」
「うるせェ」

帽子を外して乱暴に頭を掻く仕草がやけに様になっている。
世の女性はこの見た目に騙されるんだろうな。
中身は横暴ですぐ人を蹴るような暴君なのに。

「お前に高望みはしない。ローさんでいいから呼んで覚えろ」
「嫌です!」
「即答かよ。ぶん殴るぞ」

そんな風に馴れ馴れしく呼んだら、他の船員にどんな目を向けられるか分かったものではない。
船長に嫌われても生きていけるけれど、船員とはある程度折り合いをつけなくてはやっていけない。
絶対に御免だと首を振るも、船長が胸ぐらを掴んで離してくれない。

「言ってみろ。ローさん、だ」
「………無理です」
「たった二文字の名前がなぜ覚えられないんだ…バカなのか」
「興味ない人の名前って覚えられないですよね?」
「ついに言ったな。シメるぞコラ」

気付けば甲板には船員が一人も見当たらなかった。
私と船長の険悪な雰囲気を察して作業から撤退してしまったのかもしれない。
口うるさく叱ってくる船長に、私は思わず言い返した。

「船長は船長でいいじゃないですか。この海賊団の船長はあなた一人しかいないんですから」

とっさに出た言葉だったけれど、なかなかいいことを言ったかもしれない。
現に、船長は目を丸くしたあとに何やら考え込んでいる様子である。
探るような目つきで私を見つめる。

「お前の『船長』もおれだけか?」
「そうですよ、何度も言わせないでください」
「…今回はそれで勘弁してやる」

言うなり、諦めがついたらしい船長は私の頭を撫でやり船内へ向かって歩いていった。
撫でられた手の下にはさっき船長に殴られた部分があって痛かったし、一方的に妥協された感じが否めない発言には不満が残る。
とはいえ、今日も何とか事なきを得た。
船長に褒められたという事実だけを受け止めて、仕事に戻ろう。
そしてチャラい上司に自慢してやろう。


頑張りました残念賞


20130916


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