(シャチが船大工)


三日前、シャチが私の個人部屋を青色に塗った。
ペンキの換気のために今日はじめて自室に踏み込んだ私は、その出来栄えに目を見張ってしまった。
天井の水面のような淡い水色から始まり、壁にかけて濃い青色へとグラデーションがあり、終着点の床は深い藍色である。
「私の部屋を青色にして」とは頼んだものの、まるで深海にいるような完成度は潜水艦の一室として相応しく、素人の仕事ではない。
感動する私の横でシャチは得意気にしていたものだ。
ベポは「きれいだね」とはしゃぎ、ペンギンは「おれは好きだな」と言った。
他のクルーからも概ね好評だったのだが、能力者である船長だけは「溺れてるみたいでぞっとしねェな」と浅く笑ったのだった。



トントントン、と金鎚が鳴る。
シャチが先日の戦闘で傷付いた船艦のへりを修理しているのを、頬杖をついて観察する。
彼は私の見学に慣れてしまっていて、作業への集中力を乱すことなく私に声をかけてくれる。

「どしたー、なまえ。気になんならこっち来れば?」
「うん」

のそのそと歩み寄って、シャチに向かい合うように無事な方のへりに腰を下ろした。
補強用の鉄板を見繕っているシャチの傍らで、私は何をするでもなくぼうっとしていた。

「どうしてシャチは何でも作れるの?」
「何でもって…、何でもはさすがに作れねェよ。そうだな、昔っから物いじりはよくしてたからな」

シャチは謙遜したように笑うけれど、私からすれば彼は何でも出来るように思えた。
ただの板切れが、シャチの手に掛かれば立派な船の部品になる。
簡単な日用品を作ることから船員の武器の手入れまで可能な手のひらは、私にとって尊敬よりさらに一つ上の領域にある。

「昔から好きなの?」
「好きっていうか、周りに遊ぶ物がろくに無かったから、ガキの頃は自分で何でも作ってみたんだよ。模型とかな。そりゃあ最初は下手くそだったけど、慣れるもんだぜ」
「なんだか、すごいね」
「なまえはそういう経験ないのか?ってか、おれが船直すところ見てても楽しくないだろ?」

シャチの言葉に対して、私は素直に首を横に振った。
どちらの質問にも否定をした。
私は物づくりが本当に下手で、だからこそシャチが何かを作る姿や直す姿に憧れた。
都会寄りの島で育った私は恵まれていて、勉強も運動も人並み以上にできたけれど、それは海賊団のなかでは何の役にも立たなかった。
何の能力もない私は、せめて足手まといにだけはなるまいと、ベポにくっついて航海術の勉強をしている。
まだ見習いもいいところで、今手に抱えている本だって、空模様から天気を読む方法について書いてある初心者向けのものだ。
それなのに、私が本や資料を読み込んでいるとシャチは「なまえは勉強熱心だなあ」と頭を撫でてくれる。
何でも生み出すことができる、その手のひらで。
その瞬間、私は誰より嬉しい気持ちになれるけれど、ほんの少し寂しくなる。
私の表情を見て、シャチは困ったように笑った。

「まーた落ち込んでる」
「落ち込んでないよ」
「お前はなあ、考えすぎ!一人一人ができることなんてちっぽけなんだよ。それはおれもお前も同じ!そのためにハートの海賊団のクルーがいるんだろ」
「でもさぁ」
「でもじゃない。船長を見てみろ。あの人に比べたらおれらは全員なーんも出来ないのと一緒だぞ」

船長を引き合いに出されては納得する他なく、頷く私を見てシャチは満足そうに笑った。
ああ、まただ。
作業の邪魔をしている私を煙たがることなく諭してくれている優しさに気付いて、私は下から覗き込むようにシャチと視線を合わせた。

「シャチってお父さんみたいだね」
「ぶッ、ど、どこ見てそう思った!?」
「おおらかだし、大工仕事が得意だから」
「ああそう…それ喜んでいいのか?」

私の一言に金鎚を振り下ろす手元を乱したシャチが、作業を中断する。
トントントン、という規則正しい音が途絶えた甲板は穏やかで、海は平和に凪いでいる。
水平線に視線を移したシャチが、何とはなしにつぶやく。

「そんじゃ、お前がお母さんポジションか。この船唯一の女だし?」
「え、…やだ」
「嫌なのかよ。ちょっと傷付いたぞ」
「そういうのはペンギンの方が似合ってるよ。それに」
「それに?」
「女の子としては、まずはお嫁さんになりたいもの」

驚いた顔でこちらに向き直った彼に、私の思いは伝わっただろうか。
シャチの後ろに広がる青い空と青い海を見て、私の部屋を思い出す。
深海のように底がない感情は、私一人だけが持っているとは思いたくない。
ふいにサングラスの奥の瞳が優しく細められて、シャチはいつも通りわしゃわしゃと私の頭を撫でた。
もう寂しさは感じなかった。

「大歓迎だよ、ばかやろう」


20140724
青い箱庭

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