「それじゃあ、船長」
「行ってきます!」

私たちが二人で声を揃えたのを、船長は船の上から薄く笑って見ていた。
たどり着いた島の視察が一通り済んで、ここが犯罪や海賊とは無縁なのんびりとした島だと分かったところで、船員は各々の必要な物資の買い出しに出ていた。
私とシャチは一つ前の大きな島で日用品をたくさん買い込んでいたので、船には比較的早く戻ってきた。
そこで船長に医学書のお使いを頼まれ、冒頭の出発に戻る。
たかが本のお使いと侮ることなかれ。
今回は二十冊ほど頼まれたから、荷物持ちに二人くらいは必要な重さになるだろう。

「さーて出発!なあ、本屋ってどこにあったっけ?」
「島の中でも端の方かな。南西にずっと行ったところみたい」
「ここからだと結構遠いな」

私もシャチも慣れたもので、船長から預かったメモを片手に、最短ルートや大まかな費用を計算しながら進んだ。
そのうち島の中心に位置する市場に差し掛かり、賑やかな空気を感じながら歩く。
二人とも買うものはないけれど、何となく活気のある様子には反応してしまい、きょろきょろとあちこちへ注意が向く。

「あ、ペンギン」

と、右の方へ視線をやっていたシャチが不意に声を上げた。
シャチが指差した先には確かに見慣れた容貌の彼が店の前に佇んでいて、荷物番をしているらしかった。
ペンギンはコックと共に食材の買い出し担当だったはずだ。
ひらひらと手を振りながら私たちが近付いていくと、こちらに気付いたペンギンも軽く手を挙げる。

「お前一人かよ?コックは?」
「中で交渉中。おれはその間荷物を見てろと言われてな」

シャチの質問に、ペンギンは退屈そうに答えた。
彼の背後にある精肉店の中を覗くと、我が海賊団のコックが店長と熱心に話し合っている。
この島では肉が希少品だから高い値がつくらしいんだ、と隣のペンギンが教えてくれた。

「お前らだって肉食いたいだろ」
「肉!すっげー食いたい!」
「最近ご無沙汰だったからね」
「じゃあ上手くまけてもらえるように祈っておいてくれよ」

シャチの力強い返事を聞いてペンギンが笑う。
そこで私たちと同じように持たされていたメモを取り出して、ペンギンが少し考え込む仕草をする。

「その様子だと、自分たちの日用品の買い出しは済んでるんだよな?」
「うん。今は船長に言われて医学書のお使いに行くところだよ」
「こっちはまだ掛かりそうだし、おれも荷物番があるから、残りの品を頼んでもいいか?」

本屋に向かう途中に養鶏場があるはずだから、と付け加えてペンギンは地図を渡した上で手際良く道案内をした。
あっという間に再び送り出された私とシャチは、市場の端に差し掛かる道を歩きながら笑った。

「買い物追加だね」
「卵がないとほとんどの料理で困るもんな」

賑やかな通りから外れ、店がまばらになってきたところに養鶏場はあった。
手早く買い物を済ませて、まだ先にある本屋へ向かう。
シャチが、卵の入った袋をゆらゆら揺らしながら歩いていた。

「平和な島だよなぁ」
「市場を抜けてから、島の人とも全然すれ違わないね」
「気ィ抜けるわー」
「前の島みたく戦闘になるようなこともなかったし、良かった良かった」
「お前弱っちいもんなー。はは、庇うオレらは大変だよ」
「…かちーん」

折角ほのぼのとした会話を続けていたのにシャチが余計な一言を付け加えたものだから、声に出して不満を表してやった。
やべ、と小さく零して苦笑いを浮かべる彼から顔を背ける。
こちらへ控えめに伸ばされた手から逃げるように、周りには民家ばかりの田舎道を早歩きで歩を進めた。
どんどん離れる距離に、シャチが焦った声を出す。

「はっ、ちょ、待てって!」
「待たない。シャチのことは置いていく」
「お、怒んなよ!ったく、逃げ足ばっかり早いん……う、」

睨みつければ、また余計なことを言ったと気付いたらしく口を手のひらで押さえていた。
くるりと前を向いてから、私は勢いをつけて走り出した。
本気で距離を引き離しにかかった私に、シャチも慌てて駆け出したようだった。

「おい!なまえ!」
「シャチなんか迷子になって後でみんなに笑われればいいのよ!」
「待っ…お前の足の速さには、敵わないんだって!ほんっと、まじでごめんって、…うぶッ!」

民家の角をいくつか勢い良く曲がったところで、背後からシャチのうめき声が聞こえた。
息も切れ切れに謝罪を続ける様子は伝わってきていたので、それきり途絶えた足音の方へ向かってみる。
どうやら角を曲がりきれず、道にせり出していた民家の植木に顔を突っ込んだらしい。
葉っぱのついた頭を振っているシャチを見てからは、仕方ないなぁと怒る気も失せてしまった。
彼のトレードマークである、キャスケット帽がそばに落ちていたのを拾い上げる。

「はい、コレ」
「あ…、さんきゅ」
「怪我してない?あーあ、やっぱり頬擦りむいてる」

私が頬の傷を撫で、彼の服についた花びらや葉っぱを取り除くのを、シャチは帽子を被り直してぼんやり眺めていた。
そして不意にふはっ、と気の抜けた笑い方をするので、私は手を止めた。

「なんで笑うのよ」
「や、なまえはなんだかんだ優しいよなって。おれが困ってるとすぐに戻ってきてくれて」
「…ばかみたい」
「へへ」

そもそも私が逃げたからこんなことになったんじゃない。
そう思ったけれど、悔しいから言わないでおいた。
私の微妙な心情を気にした様子もなく、シャチはふと何かに気付いたように鼻をすんすんと鳴らして自分の服を嗅いだ。

「なんか、いい匂いするんだけど」
「ああ。これじゃない?」

シャチの髪先にまだ残っていた橙色を指先で摘まんでみせた。
ぱちくりと瞳を瞬かせたあと、彼は振り返って先ほど突っ込んでしまった植木に近付いていった。
私も隣に並んで同じ木を眺める。

「これ?」
「キンモクセイって言うらしいよ。秋島にしか見られないって聞いたけど」
「近くだと結構香り強いのな」
「そう?昼に食べたパンケーキにも乗ってたよ。シャチが気に入ってたやつ」

この島で出た食事を例に出せば、すぐに納得したように思い出していた。
食べることが大好きなこの男の記憶は料理と直結していることが多いのだ。

「あれか!うまかったなー」
「料理の香りづけとして使われているみたいだね」
「へえー……あ、じゃあさ」

そこで何かを思いついたように両腕を広げてみせるシャチに、私は首を傾げた。
民家の往来で何がしたいのか、と冷めた視線の私に反して彼は楽しそうに笑ってみせる。

「おれからもいい香りするかも!」
「…さっき茂みに突っ込んだから?」
「うん」
「別に引っ付かなくても、シャチから同じ香りがするってことくらいわかるよ」
「いいからいいから。物は試しに。さっきのお詫びも兼ねて」
「適当に言ってるでしょ?」

支離滅裂な勧誘に、思わず私も表情を崩す。
相変わらず腕を広げたままのシャチに、子供のように勢いよく抱きついてみた。
楽しそうに笑いながら彼はそれを受け止めてくれる。
すう、と深く息を吸い込めばシャチがいつも身に纏っている石鹸の香りに混じって、甘やかな香りが漂ってくる。

「どう?分かるか?キンモクセイ」
「…うーん」
「いや、言いよどむなよ!なに、なんか嫌な匂いでもすんの?」
「しないよ。ただ単に、シャチ自身の匂いの方がわかるなあって」
「えー」
「うん。これも悪くないよ」

不服そうな反応は、私の言葉を聞いて驚いたようなまばたきに変わった。
それから一呼吸置いて、シャチはにししと満足した笑みを見せる。
私もつられて笑いそうになって、ふと。
見上げた先の彼の手のひらが両方とも私の背中に添えられていることに違和感を覚えた。
私たちは医学書の買い出しに来ていて、まだ目的地に向かう途中で、さっき追加のお使いを頼まれて…。

「あ!」
「う、わ、なんだよ!いきなりでかい声出して」
「シャチ。あのさ、卵どこにやったの?」

無意識のうちに声はひそめられていた。
それを聞いたシャチは、今思い出したと言わんばかりの様子で身を固くする。
ついさっき、シャチが突っ込んだキンモクセイの木を二人同時に振り返った。
オレンジ色の小さな花と葉っぱが無数に散った地面に、それはあった。
ただし、卵が一つ残らずすっかり割れた状態で。

「あー!!」

袋から飛び出して見えている中身に、私たちは二人揃って叫び声を上げてしまった。
シャチが植木に突っ込んだはずみで落とし、そのままだったことにようやく気付いたのである。
それからはムードもへったくれもなく、私とシャチは割れた卵をぽかんと眺めていた。
結局私たちは卵を買い直すはめになり、余計な出費をしたことに船長からもペンギンからも叱られたのであった。
もう、本当にシャチといると締まらない!

20131231
秋に書き上げたかったもの


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