彼女が中学生になったら殺そうと思っていた。 まだ大人の考え方ができない未熟さと発達途中の身体を併せ持つ彼女に背徳的感情を覚えるには十分すぎて、子どもみたいに無邪気に笑う彼女を無気力を装った瞳で眺めては、あー殺してえなあと日々ぼんやりと衝動を押さえつけていた。 俺のはじめてをこの子に捧げたいと思った。 もちろん殺人者としての童貞を、である。 今まで培ってきた関係をナイフ一本でバラバラにしたら、彼女はどんな悲痛な声をあげてくれるだろうか。 想像しただけで興奮した。 こちらを振り返る彼女には安心させる笑顔のみを見せて、会話など頭に入ってこないのに適当な相槌を返した。 彼女を最初の犠牲者にしたい。 ありとあらゆる試行錯誤を重ねて、飽きるほど生と死を堪能して、彼女の生命の処女を散らしたい。 もう少しだけ、機会を待とう。 はじめての獲物には慎重にならなくてはいけない。 昂る感情のままに行動すれば、きっと後悔する。 隣にある幸福そうな笑顔を見つめ、あと少しあと少しと言い聞かせていた。 彼女と同様、自分もまた未熟で幼かったことを知るのはしばらく先だった。 彼女が高校生になったら殺そうと思っていた。 第一志望の学校の制服を着て俺に披露した彼女の花のような笑みは、相変わらず殺すための理由として十分な美しさと愛らしさを持っていた。 すでに大人に近い身体と色香を持ちながら、言動は幼子と変わらないような彼女はとても魅力的だった。 彼女を最初の獲物にすることは叶わなかったが、姉を始めとした何回かの殺人を重ねてきた俺の衝動はより明確な形になっていた。 彼女の柔らかい肌の奥を引き裂いた先にある、臓物の色はどんなに鮮やかな赤色をしているのだろう。 無防備な彼女へ触れるたびに想像をした。 凡人でさえ様々な生への執着を見せるのだ、彼女を相手とするならばその恐怖の色はきっと素晴らしいに違いない。 彼女に親しく接するほど、彼女の俺に対する愛情と信頼は増していった。 それを不意に裏切るとき、彼女は一番魅力的な表情を見せてくれるだろう。 期待と妄想は際限なく膨らんだ。 彼女の話す高校生活に耳を傾けながら、俺はあらゆる殺し方を脳内で模索した。 たった一人きりの貴重な素材である彼女を殺せるのは一回だけ。 その一回で満足のいくよう、殺し尽くさなくては。 準備を怠っては後悔をすると思い、何度も彼女を殺すためのシミュレーションをした。 果ては赤の他人を殺す際に彼女を重ね合わせ、より残酷に殺そうと努力をした。 彼女の姿を重ねた見知らぬ女をいたぶり殺すとき、どうしようもない興奮を覚えた。 あれもこれも、もっと試してみよう。 彼女が華やかな高校生活を送るかたわら、俺はもっぱら殺人方法の模索に明け暮れていた。 彼女も俺も充実していた。 形は違えど、互いの青春を謳歌した。 彼女が大学生になったら殺そうと思っていた。 すでに家を出て殺人を犯すために各地を転々としていたおかげで、彼女と頻繁に顔を合わせることはなくなっていた。 それでも彼女からは安否を確認する連絡が来たし、電話越しの声が寂しそうだと察したら会いに行った。 彼女は大人になっても美しかった。 それなのに、各地を渡り歩くせいで彼女を日常的に見ることはない。 たまにしか会えない彼女は変わらず愛らしくて、殺したい衝動を掻き立てるに十分過ぎて、そんな彼女と離れてしまったことで苛立ちが募っていた。 知らず知らず、一度の犯行で殺す人数が増えていた。 八つ当たりであることは分かっていたが、満足のいく殺し方も出来ず、素材も無駄にする自分に余計に不満が蓄積されていった。 これでは駄目だ、と三度目の失敗を終えて思った。 殺人のモチベーションが低下している。 一度原点に立ち帰ってみようと実家のある地に戻り、しばらくはここで過ごすと告げると、彼女はたいそう嬉しそうに笑った。 龍之介と毎日会えるんだね、と。 やはり近くで見る彼女は綺麗で、傍らに置いているとどこか満たされるような気持ちを得られた。 それからは遠出をして犯行を行うように心がけたが、どうもまどろっこしい。 常に彼女をそばに連れられる関係になった方が何かと都合が良いのではないだろうか。 思いついてからの行動は早く、呼び出した彼女と唇を合わせ、そばにいてほしいと告げた。 何度も頷きながら涙をこぼす彼女に背筋が震えた。 彼女のこんな、歓喜や悲痛に満ちた表情をもっと見てみたい。 俺が望んでいるものはその先にある。 彼女の心は手に入れた。 あとは、どうとでもなる。 あと少し。 もうすぐ悲願が成就されると自分に言い聞かせて、腕の中の温もりを一思いに切り裂いて中身をさらけ出したい欲望を堪えた。 彼女と恋人になったら、彼女を殺そうと思っていた。 彼女と結婚したら、彼女を殺そうと思っていた。 子どもが産まれたら、子どもと一緒に彼女を殺そうと思っていた。 彼女が笑うたび、殺そうと思っていた。 与えられるだけの幸福を与えて、望まれることをすべてやってのけて、その絶頂で蹴落とすように終わらせたい。 そう、思っていたはずなのに。 俺が何をしなくても彼女は満足したように微笑んでいた。 人間が何かを望まないわけがない。そう思って彼女をいくらでも幸せにしようとした。 気付けば俺はずいぶんと俗世の波に飲み込まれていた。 こんなのは違う。望んだことではない。早く、早く彼女を殺さなくては。 殺したい衝動と焦燥が限界まで膨らんでいたある日のことだった。 彼女が病に倒れた。 病室で眠る彼女を見下ろしていた。 痩せ細って以前の面影が消え失せてしまっても、彼女は美しいと思った。 なめらかな頬を無意識のうちに撫でながら、頭の中で何度も自問自答を重ねた。 身重の状態である彼女が助かる可能性はずいぶん低いと聞いた。 病床という絶望の淵ではあるが、彼女を殺せる機会は今を除いては見つけられない。 もう、十分だろう。 ありったけの幸福を与えてきた。 今ここで終わらせたって彼女は満足そうに笑うだろうから、俺がすべてを懸けてきた彼女の生に俺自身が終止符を打っても咎められないと思う。 ふと、彼女に触れる指先が震えているのに気付いた。 俺は何に怯えて、何を恐れ、何のために泣いているのだろう。 「龍之介」 澄んだ声に目を開くと、目を覚ましたらしい彼女がこちらを見上げていた。 すっかり痩せこけた力ない腕を必死に伸ばして俺の涙を拭おうとするものだから、頬に触れてくる指先を強く握りしめた。 彼女はこんな風に諦めたように笑う女性ではなかったのに。 「こんなはずじゃなかったんだ」 嗚咽混じりの涙声がひどく鬱陶しい。 いつからこんなに情けなく、一人の人間が死ぬくらいで狼狽えるような人間に成り下がってしまったのか。 彼女が病に倒れ伏してから、一人も殺していないことに気付いた。 それどころではない、なんて考え方は正気の沙汰ではない。 俺の正気はいつの間にか彼女に奪われていたのだ。 「…名前」 きみを殺したい。 飽くことなく求めた、常に希望と笑顔と幸福にあふれていた女性。 俺の手で、切り裂いて嬲って辱めて抉って砕いて潰して泣かせて叫ばせて悶えさせて、原型がなくなるまで愛し尽くしてしまいたかった。 けれども、もう手が動かない。 彼女に柔く触れることを覚えて、それを日常としてしまった手のひらはすっかり役立たずだ。 きみを殺したい。死んでほしくはない。 身勝手だというのは、彼女のそばにいると決めた時から知っていた。 「 」 ころさせて。 しなないで。 どちらを口にしたのか、もう自分では判断できなかった。 20130422 |