サボったからといって他に何をするわけでもない、というのはどんな学生でも同じらしい。
ただその場所に選んだのが屋上でもなく保健室でもなく、陰気で薄暗い生物準備室だというところは当人の趣味がよく表れている。
入室の際に開きっぱなしのドアを知らせるようにノックすると、窓際でどうでもよさそうに校庭の生徒を眺めていた無気力な瞳がこちらを向いた。

「あ、不良生徒がきた」
「先客にだけは言われたくないなあ」

揶揄するように言葉を弾ませる彼のそばまで歩いていく。
灯台もと暗し、と言うべきか。
今の時間帯は本来ならば生物の解剖の時間であって、二つ隣の生物室では予定通り正しく授業が行われているはずだ。
授業前後にしか使われないことを見越してここを訪ねたのだろうという予想は外れていないらしく、頬杖をついてあくびをする彼は筆記具や教科書を何一つ持ち合わせていなかった。
その反対に、私は実験授業を受ける際の義務とされている白衣を申し訳程度に着用していた。
形だけは真面目な生徒の仮面をかぶっていたいのである。
そんな私をだるそうに見上げ、彼は指先で白衣の裾をつまんだ。

「コレ脱げば?動きにくいじゃん」
「見つかったときの言い訳のため。遅れたけど授業には参加しようと思ってましたーっていう」
「せこ」

ぱっと手を離した龍之介は見下げたように私を笑うが、彼自身が厭う白衣が本人にはよく似合うことを知っている。
その派手で華やかな風貌にそぐわないかと思いきや、どうもしっくりくるように着こなしてしまうのは、彼が本来は生物の授業を好んでいるからだろう。
とはいえ、有能な科学者というよりは明らかにマッドサイエンティスト寄りの見かけになるのは確かだが。

「そんなにカエルの解剖が嫌だったの」
「んー」
「先週の説明の時点ですごい顔してたもんね」
「おー」
「聞いてる?」

実験授業は時間との勝負である。
だからこそ教師は手際よく授業を進めようと事前説明や準備を怠らないのだが、今回はそれが彼のサボリの原因となってしまったわけだ。
この間の実験授業の終盤、「来週はカエルの解剖をやります」という教師の発言に続けて「うへえ」と、何とも言えないうめき声が後ろから聞こえたのだった。
振り返れば、同じ班の龍之介が不愉快そうな、「これが人間のやることかよ」とでも言いたげな非常に微妙な面持ちをしていた。
教卓からずいぶんと離れた座席にいたせいか、龍之介の不満たらたらなうめき声を無視して教師は淡々と段取りを話していった。
その説明をよそに背後の龍之介は提出レポートの用紙にぐちゃぐちゃとよく分からない落書きをしていた。
完全に意識が逸れている彼に「なにそれ?」と尋ねれば、「海魔くん」とやはりよく分からない返事をされた。
私にはそれが妙にグロテスクなヒトデにしか見えなかった。
そして今日、直前の休み時間から龍之介の姿は教室になかった。
だから私も生物室に向かうふりをして少し時間をつぶし、始業のチャイムを聞いてから彼を捜してここへやってきたのだ。

「聞いてる聞いてる」
「嘘つきなさいよ」
「だってさぁ…オレがやりたいことと違うんだもん」
「ま、私も生き物の中身なんて見たくないからサボったんだけどね」
「いや、そーいうんじゃなくて。それはむしろ大歓迎なんだけど。標的は絞ってこそ楽しいものだろ?」
「はあ、そうですね」

適当極まりない相槌をしているのは私も彼と同じだったが、仕方ない。
龍之介の話はいつも着眼点がどこか変で、話の軸もふらふらしていて、要領を得ない。
かといって彼の深淵、その奥底を理解しようとも暴こうとも思わない。
そういうプライベートには触れない方が彼とは楽に長く付き合えるだろうと、経験上の勘が言う。
そして龍之介本人といえば、私以上に思うところはないらしい。
近付こうが離れようが放っておいて、彼がすることといえば、時に無気力に時に笑みを交えて私を迎えることくらいだ。
きっと心のどこかでは互いをどうでもいいものと思っている。
なんとなく、心地いい無関心の場を求めて、たまに一緒にいるだけだ。

「雨生くんは優しくてカエルを解剖するに忍びない。ってことでいい?」
「全然違うけど、もう別にいーよそれで」
「こんなに暇そうにしてるくらいなら、例のお気に入りの先生にでも構ってもらえばいいのに」
「行ってみたけど、旦那も授業だった」

彼が旦那と呼ぶ、(変人と名高い)非常勤講師はたいがい暇を持て余しているのだが、珍しいことに今回は予定が合わなかったようだ。
手持ち無沙汰な子どもがするように椅子をゆらゆらと傾けながら、こちらを見た龍之介は猫が虫を遊びでなぶり殺す時のような表情をしていた。
楽しそうに瞳を細め、私が窓枠へ置いていた手のひらへするりと指を這わせる。

「ね、だから名前が構ってよ」
「…下手な誘いかた」
「え?」
「あと、私その仕草きらい」

傾けられて二本の足だけとなった椅子の重心を力いっぱい蹴り上げた。
「おぉわ!?」と、不意を突かれた龍之介がひっくり返ってガタン、と大きな音を立てるが、二つ先の賑やかな教室にまでは届くまい。
床へ仰向けに倒れる形となった彼は打った頭へと手をやるものの、すぐには起き上がろうとせずにくつくつと笑っている。
そんな龍之介の上へ跨るように仁王立ちをして、私は彼を見下ろしていた。
ゆっくり腰を落とすと、鮮やかなオレンジの髪をはらりと散らした龍之介がふざけるように声を上げた。

「いってーなあ…ふっ、ふふ」
「なに笑ってるの」
「いや?オレも言い訳できるなーって」
「え?」
「先生に見つかったら、名字さんに誘惑されてました!ってさ」
「ばか、人を巻き込まないでよ」
「嫌だ。遊ぼうぜ」

言うなり、幼子のような言葉とは似つかわしくない男の子の力強い腕で、ぐいと引っ張られた。
その腕に促されるように倒れ込むと、頭のすぐ上で穏やかな笑い声がした。
体をぴったりと密着させる形で彼に乗っかっているので、「重くない?」と問えば「ぜーんぜん」と一笑された。
目の前にある首筋にゆるく頭をこすりつけると、くすぐったそうな声で彼が言う。

「名前、しばらく動かないで」
「うん」
「もし人に見られたら、なんて言う?」
「雨生くんと密会してましたー、とか」
「言い訳になってねーじゃん。それ堂々とサボリ宣言だから」

まあ、別にいいけど。
小さくつぶやいたきり、黙って彼が私の髪へ鼻先をうずめるのがわかった。
今はこれだけ距離が近くても、普段は他人同然に過ごしているのだから不思議だ。
けれど、別にどうでもいい。
この瞬間が心地よければ。
そう思ったとき、探るように動いていた龍之介の手が私の手のひらを握った。
少し低い体温が私のそれとじんわり絡む感触が、好きだ。
そのことを口に出して彼に言う日は、いつまで経っても来ないまま終わる気がしている。


20130415
日の目を見ぬままさようなら


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