「食べ尽くされた理想と日常」続き



自宅の数メートル手前で足を止めてしまったのは仕方のないことだと思う。
一つ手前でも一つ奥でもなく、私の家の扉の前で座り込む男の端正な横顔が見える。
鮮やかなオレンジ色の髪をした彼は地味か派手かでいえば明らかに派手な部類の容姿であり、そんな彼がいったい何時間自宅前に座り込んでいたのか、考えただけで背筋が冷える思いだった。
ふと視線に気付いたらしく、猫のようにぱっと振り向いた彼がひらり手を振ってきた。
愛想はあるが温度を感じさせない微笑みに、私はおやと首を傾げた。

「やーっと帰ってきた。遅かったけどなんかあった?」
「…そっちこそ。やけに機嫌いいね」

普段は無気力で塞ぎ込んだような姿ばかり見ているからか、陽気でおしゃべりな彼には少々面食らった。
何かいいことでもあったのだろうか。
彼は軽快に立ち上がると、私が鍵を開けるのをにこにこしながら待っていた。
いつもなら「さっさとして」とか「待たせないでよ」とか、それくらいの悪態をいくつか言われている頃だろうに。
寝起きでもないのに楽しそうな彼を横目に鍵を開けると、やはり軽い足取りで「お邪魔しまーす」と言いながら入っていった。
家主より先に家に上がるような態度は相変わらずだけれど、そういうことを言う礼儀は一応あったらしい。
靴を脱いでいる途中、「あ」と思い出したように振り返った彼が頭上から小さな箱を差し出してきた。

「これ、おみやげ。どこ置けばいい?やっぱ冷蔵庫?」
「…生物なら冷蔵庫だよ」
「んじゃ、入れとくね」

食べ物や飲み物を無断で拝借することはあっても、この男が自ら食べ物を持ち込んだことなんてない。
それなのに、おみやげとはどういう風の吹き回しだろうか。
あれこれ考えてみたり警戒したりしてみるものの、気まぐれな彼の思考を私が読めるとは思えない。
ため息と同時に考えることをやめて、彼に続いて手を洗いにいく。
リビングに向かえば、もはや定位置と化しているソファーの上で暇そうにクッションをいじり倒していた。
その瞳は未だ楽しげである。

「さっきの」
「うん?」
「おみやげって何だったの」
「え、ケーキだよケーキ。バースデーケーキね」

さらりと告げられた単語に、私は上着を脱ぐ手を止めて目を瞬かせた。
彼はどこか期待に満ちた目でこちらを見つめている。

「バースデー?誰の?」
「俺の!」
「へえー、それは、オメデトウ」
「なんか反応悪くね?」
「いきなりのことで戸惑っていると察してくれないかな」

別に、今日が彼の誕生日であることに驚いているわけではないのだ。
世の中には大勢の人がいるのだから、毎日が誰かしらの誕生日であることには違いない。
その中でも、わざわざケーキを持参してまで祝われにやってくる酔狂な人物はあまりいないと思う。

「だから機嫌が良かったの?」
「うん。今日は人に誕生日を祝ってもらったんだ」
「そりゃあ、そういう日だからね」
「大勢の人で祝ってもらったんだ」

なんだろう。
彼でも当たり前の日常を過ごしていることに不思議な思いがした。
なんだか含みのある言い方に、彼の寄る辺は私でなくともいくらでもあるのだと思い知り、身勝手にも拗ねたような気分になった。
必然と子供みたいな調子で話してしまう。

「そんなに充実した一日の終わりに、なんでうちに来たの」
「え?」
「たくさんの人に祝ってもらったんでしょ?寂しい一人暮らしの女を訪ねる必要はないと思うけど」

言いながら、自分で馬鹿馬鹿しいと思う。
どうせ我が家は彼にとって宿か寝床くらいにしか思われていないのに、こんなことを言い出してしまったら面倒くさい女だと思われてしまう。
仕方ない。
彼が普段通り寡黙であったなら私も口を閉じていられたのに、なんだか今日はとてもおしゃべりだからつられてしまった。
私の不満げな問いに気分を害した様子もなく、彼はきょとんとして首を傾げる。

「充実はしてたけどさあ、今日はまだ一人にしか祝ってもらってねーよ?」
「だってさっき、大勢の人にって…」
「まあ人は多かったんだけど。いいじゃん。俺はあんたに祝ってほしかったんだよ」

どうも会話が噛み合わない。
しかし彼は気にした様子もなく、笑顔で「祝ってくれ」と。
何のてらいもなく「メシ作ってよ」と言うものだから根負けした。
彼の見目は決して悪いものではなく、笑ってさえいればいろんなことを許してしまいそうだった。
そのことが悔しい。

「あ。俺、カレーが食べたい。カレーにしよう」
「急に言われても。別の料理の下ごしらえがあるのに」
「いいじゃんいいじゃん、誕生日なんだからわがまま聞いてよ」

彼は大抵、というかいつも十分にわがままだ。
それでも私が黙ってキッチンに立つと、彼は割と幸福そうに表情を緩めるのであった。

「仕上げに目玉焼きとチーズのっけてね」
「…わかった」

注文の多い男だ。
誕生日だから、という理由で何もかも叶えてあげるほど相手は子供ではないし、言いなりになるのが癪でもあるのに、手のひらは彼の注文通りに動いていく。
従順な様が情けなくてため息を吐くと、クッションをソファーに放り投げてこちらへ歩み寄ってくる。
そうして対面キッチンを挟んで私と向かい合い、無邪気な幼子が毒を吐くように彼は笑った。

「だめだなぁ。名前はそんなだから俺みたいなのに寄ってこられるんだよ」
「いいの。私も満更じゃないからほっといて」
「本当、だめだなぁ」

半ば自棄になって言えば、彼の笑い声は少し温度をなくしたようだった。
憐れむような、慈しむような声。
こんな声音が聞けるのも、今日という特別な日だからかもしれない。
一日上機嫌だった反動か、食事をしてケーキを平らげ、シャワーを浴びて寝て起きた彼はいつも通りの無気力な人間に戻っていたけれど。
変わらず私の額にキスをして、「また来るよ」と言葉を落としていく。

20140131~0201
0131 Happy Birthday 雨生龍之介
一日遅れました

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