(転生パロディ) 右頬の、少し上の方を平手打ちされた。 「意気地なし」と罵られながら。 ぱしん、と乾いた音を立てた力加減は、痛くなかった。 ただ彼女は恐い顔をしているので、言葉を選んで話す。 「随分厳しい、物言いじゃないか」 「本当のことでしょう」 彼女の家の縁側に二人、座っていた。 家の人は外に出ているらしく、桶に水を張って足を浸すという、古き良き涼み方を実践していた。 水を入れる際に戯れのような水のかけあいをしていて、ふと彼女と視線が合った時だった。 ぱしんと頬を叩かれたのは。 「ディルムッドは私に見つめられるのが嫌いなのね」 拗ねるというよりは諦めたような心地で、彼女が足を持ち上げる。 白い肌を水滴がいくつも滑っていって、舐めてやったらどんな顔をするだろうか、なんて馬鹿げたことを考える。 ぱしゃぱしゃと水を蹴る彼女の横顔の先を辿ると、庭のノウゼンカズラが視界に入った。 明るい橙色が目に痛い。 食んだら柑橘類の味さえしそうな、眩しい色だった。 「そんなことはない」 「だったら、怯えた顔をしないでよ」 眉を寄せた悩ましげな顔でさえ、この少女は美しいのだった。 彼女が先ほどの右頬にいたわるようにあてがった手のひらが、優しく滑っていく。 眦のすぐ下を捉えた親指が何を撫でているのかは察しがついた。 己が持って生まれた、呪い。 「私がディルムッドを好いているのは、これが関係しているんじゃないかって、思ったくせに」 非難する口調ではなかった。 吐息に笑みさえ含んだ言葉は寂しそうで、だからこそ彼女を今すぐ抱き寄せたい衝動に駆られる。 そうでなければ、そのまま爪を立てて忌まわしい呪いを抉り取ってほしかった。 彼女がそんな真似をするはずがないと分かっていながら望む、自分は臆病で愚かな奴だと思った。 鮮血の赤が彼女の白い腕を伝う想像さえしながら、その手のひらに己の手を重ねる。 小さくて柔らかい温度に胸が切なくなる。 「否定はしない」 「分かりやすいのよ、あなたは」 子犬のように感情を瞳に滲ませるから。だけれど、そんなところも大好きよ。 甘くて冷たい彼女の言葉は真夏の熱気に早々と奪われていきそうで、少しだけ目を閉じて聞き入った。 何もかも失いたくない感触ばかりで、意味もなく涙が溢れていきそうだった。 瞳を開いて、真正面から彼女の姿を捉えた。 臆病な心情は変わらず、言葉を発しようと開きかけた唇がわずかに震えた。 「それなら、お前の好意はすべてお前自身のものだと証明してくれないか」 彼女だけが他の女性とは違って、呪いに惑わされず自分を好いてくれていると考えるのは慢心だ。 私の思いは何にも左右されない。あなたが本当に好きよ。 そう囁かれたい反面、きっと自分は嘘を吐くなと叫んでしまう。 そうしたら、終わりだ。 この穏やかな居場所に似つかわしくない暴言を吐いた自分は彼女の隣にいる資格を失う。 いや、もとより資格を持つほどの身分でもないか。 罪名を言い渡される被告人のような心持ちで、俯きがちに彼女の言葉を待った。 「そんなの無理よ」 やはり駄目か。 諦めの心地は増したが、彼女の言葉は否定だけでは終わらなかった。 「それならディルムッドも、私との関係を若気の至りでもなく心からの愛情で結ばれたものだって証明できるの?」 「証明しろと言われれば、努力する」 「出来もしないこと言わないで」 意地の悪い気持ちで言われたわけではないことは分かった。 彼女は俺が思うよりずっと大人で、冷静な見方ができるのだろう。 誠意を持って答えたのは事実だが、彼女の言うとおり出来もしないことなんだと思う。 こちらをじっと見つめ返したあと、ふいに彼女は困り顔で笑った。 「でもね、私は別に証明してほしいと思わない。証明してもらわなくたって、ディルムッドのそばにいたいと思うんだけど。ディルムッドは違うの?」 俺の予想以上に魅力的な言葉を囁かれて、視界がぐらりと揺れた気分になる。 これは暑さのせいではない。 自分に言い聞かせて、彼女の手を取った。 「違わない。…俺もそれで十分だ」 「そう」 言葉は短かったが、彼女の表情から困った様子は消えて、満面の笑みが俺の胸を苦しめた。 距離を詰めて額と額を触れ合わせれば、彼女がくすぐったそうに目を細めるから、たまらない気持ちになった。 彼女の指先が、再び頬に触れる。 その撫で方も、彼女の眼差しも優しい。 「こういう物が存在する限り、私の感情と呪いが無関係とは言い切れない」 「…ああ」 「でも、それだけだと思わないで。私を諦めないで、信じてよディルムッド」 「ああ、すまなかった」 頼もしい言葉だと思った。 信頼されているという安心感と幸福が身を襲う。 柔らかくて温かい居心地に不慣れな自分はその感覚に身震いしそうだった。 彼女の首筋に顔を埋めて、口づけを乞う。 「いいか」 彼女が断れないのを知っていて、ずるい聞き方だと思う。 低く落ちていった声は自分でも驚くほど甘ったるく響いた。 それにほだされたわけではないだろうが、音を立てずに笑った彼女は「どうぞ」と囁いた。 じわり、周囲の気温が上がったような錯覚に陥って、唇をぶつけた。 思考と感覚ばかりが火照っていて、足先に感じる水の冷たさばかりが鮮明になっていく。 それでも桶の中の水は、もうぬるい。 20130717 |