知っている。
その瞳が何を追っているのか、辿ればいつも目がチカチカする金髪頭があって、よく飽きないなと呆れる。
よく、飽きないものだ。
知っていながら彼女を気に掛ける自分という奴は。

「名前」

自分でも硬い声音だと思った。
ぼうっとしていたらしい彼女はぱっと振り返り、それから首をぐいと上向ける。
立っている自分と席に座っている彼女とでは、会話に不親切なほどの身長差が生まれているのだ。
授業中から変わらず読み続けていたらしい文庫本を慌てて閉じながら、彼女は小さな声を出した。

「なに?劉くん」
「次、移動教室アル」
「あ」

既に教室内の人がまばらであるのをようやく感じ取ったらしい。
机の中から教科書を急いだように探す背中を見て、何も言えなかった。
本当なら、急がなくていいと気遣うこともできた。
けれど、果たしてその優しさに満ちた言葉は真に自分の内側から出たものなのか自信が持てず、黙って彼女を待つ。
取り出す様子は忙しなかったが、教科書を机の上に一度置いてから持ち上げる仕草だけがきちんと落ち着いていて、それは彼女の癖なのだろうと思った。

「じゃあ、行こう。待ってくれたんだよね?」
「是」

ふふと笑って歩き出した彼女に合わせて歩くと、足がもつれそうになる。
自分の腹あたりまでしかない身長の彼女は小鳥のような足取りをするのだ。
とことこ、という擬音で表すのが相応しいように思う。
どこへ行くのにも大事そうに抱えている文庫本が、彼女の腕からちらり覗いた。

「その本、そんなに好きか?」
「え」
「さっきも読んでたアル」
「内容はね、もう覚えてるんだよ。持ってることが大事なの」

大切そうに表紙を撫でた指先を見つめる。
細くて弱々しそうで、また浮かんだ諦念から誰に贈られたものなのかを尋ねることはやめた。
しかし、彼女は大事だという本を何でもなさそうに差し出してくる。

「気になるなら、読んでみる?」
「…いい。日本語難しいアル」
「そう。まだ難しいかぁ」

読むのと話すのは違うよね、と自分の言葉を単純に信じてくれた彼女に内心で安堵する。
大事だというのに、簡単に人のために渡してしまう優しさに自分は絆されたのだ。
恨めしく思うその本を、気軽に渡すことはしないでほしい。
はあ、と気付かれないように息を吐き出した頃、彼女がぴんと背筋を伸ばした。
嬉しくなるものを見つけた時の顔。

「ごめん、ちょっとだけ」

言うなり、隣の小さな影は廊下の先にいた金髪の彼の元へまっしぐら。
言葉少なに駆けていってしまうほど、彼女の心を占めているのは彼だ。
彼女が走った分を大股に歩いて距離を詰めると、他クラスの友人と話していたらしい福井が目を瞬かせた。

「名前、劉」

二人揃って会いにくるなんてことはないから驚いたのだろう。
そばに駆け寄った彼女の頭を撫でやり、兄のような顔を見せる福井に、この人も相変わらずなのだなと思った。
相変わらず、優しい顔をする。
けれど、赤く蒸気させた頬で早口に話す彼女ときっと心情は違えている。

「どーした、そんなに焦って」
「健ちゃんに会うの久しぶりだから」
「あー、最近朝練多いからな」

幼なじみである、とは両方の口から聞いた。
抱える思いは違っていても二人が互いのことを楽しそうに口にするのは同じだった。
部活中であったり休み時間中であったり、二人の橋渡しのように近況報告をされるから無駄に詳しくなってしまった。
家は二軒を挟んで隣。
付き合いは家族ぐるみで小学校から。
雪の時期は二人で互いの家の雪かきをする。
冷たくなった手を繋いで学校に通っていたのは中学校に上がるまで。
その話は、彼女が少し寂しそうにしていた。

「なに、お前ら移動教室?」
「次は音楽の実技アル」
「へえ。…あ、名前。お前音楽の授業にそれ持って行ってどうするんだよ」
「いいの。持っていたいんだから」

それ、と指差された本を彼女が隠すように抱え直したのを、福井が甘やかすような苦笑い顔で見ていた。
これは予想だが、本の年季の入り方からして、あれはまだ幼い頃に贈られたものだろう。
手を繋ぐのをやめた頃、どうにも機嫌が悪い名前のために彼女が好きそうな本を探して贈る福井の姿は容易に想像できた。
他人事であれば微笑ましい話なのに。

「劉、いつも面倒見てもらって悪いな。こいつぼんやりしてるから」
「いや」
「お前小さいから、劉に踏みつぶされてますますチビにならないようにしろよ」

からかうように福井が彼女の額を指先で突いた。
むっとした名前だが、あまり反抗する気はないらしい。
額を手のひらで押さえて、わずかに乱れた前髪を梳きながらぼそぼそと言っていた。

「健ちゃんの意地悪…」
「おい、ここは学校だろ?福井先輩、だろーが」
「健ちゃんは健ちゃんだよ」

子どものようなやり取りだと思った。
福井は部活中には見せない緩んだ表情をするし、彼女は他の誰にも見せない必死な様子で声を張るのだ。
つんと澄ました顔をしてみせて、名前は言った。

「そんなこと言うなら、健ちゃんも私に他人行儀にすれば?」
「やだよ。名前は名前だろ」

先ほどの彼女とまったく同じ言葉を、福井は何でもないように繰り返した。
瞳を瞬かせた彼女が、不意に嬉しそうに笑う。
こんな簡単に彼女を笑顔にさせることができるのは自分だけだと、きっと彼自身は知らない。
呆れたのは本当なので、つい口を挟む。

「福井は傍若無人アル」
「お前に言われたくねーよ。ったく、名前といい劉といい、呼び方がなってねえ後輩ばかりだよ」

後輩、とひとまとめにして称された時、彼女は傷付いたような拗ねた目をする。
それが分かっていてか福井は最初と同じように名前の頭を撫でたが、彼女はその手から逃げるように抜け出した。
福井がおやという顔をする。

「もう行かなくちゃ。遅れちゃう」
「そうか。じゃあな」
「またね、健ちゃん。行こう、劉くん」

そっけなくする名前にも、福井は相変わらずの笑みを見せて手を振った。
何を考えているのか分かっているという顔。
澄ました様子でその場を離れて歩き出した彼女は、角を曲がったところでしょんぼりと項垂れた。
可愛くない反応をしてしまった、と後悔をしているのが傍目から見て取れる。

「健ちゃんはわかってないなぁ」

溜め息とともに、そんなことをぽつりと呟いていた。
彼女自身も、彼が恋愛的な感情を返してくれないと知っている。
知らないのは、そこにみっともなく横恋慕している男がいるということだけだ。
彼女につられて重い息を吐き出しそうになった。
名前と知り合ったきっかけは福井で、彼女との話題も彼のことか、そうでなければバスケ部のことをなぞるくらい。
その名字が自分には少し発音が難しいと嘯いて呼び始めた彼女の名前も、福井は何年も前から呼んでいる。
劉偉という人間ひとつだけでは彼女と関わることなど到底出来ないのだと言われている気分になる。
腹あたりの身長しかない彼女を見下ろす自分は項垂れて見えるに違いない。

「劉くん」

今度はこちらがぼうっとしていたところを呼ばれた。
視線を向ければ、もう平気そうな顔に戻った名前が自分の袖を引いていた。

「音楽室、第一と第二のどっち?」

第二、と反射的に答えてから、再び前を向いた彼女の手首を握る。
たやすく触れてきたりするから、自分はいつまでも諦めきれないのだ。
こちらを向いてほしくて、もっと他の話をしてみたいのに。
驚いたような表情は何一つ知らずにいるのだろう。
力を込めた自分の手のひらから不思議と熱が湧き上がって、ひりひりとした。

「遠くに行きたい」

このまま手を引いて連れ去ってしまえたらいいのに。
どこか、福井の目の届かないところに。
そう思ったら口に出していた。
名前は戸惑って瞳を大きくしながら、次に穏やかに笑った。
労るような声が耳に届く。

「…次の休みの話?いいよ、どこへ行こう」

きっと真の意味は分かっていないけれど。
それでも何かを感じた彼女が優しさをくれるというのなら全力で受け止めようと思った。
ずるく、付け込んでしまおうと思った。
吐き出した息は憂鬱がちで、重く熱い。
横恋慕なんてするものじゃないなと思いながら、やはり自分は彼女がどうしようもなく好きなのだと。
閉じた瞼の裏に一番きれいな彼女の笑顔を浮かべて、思う。

20131022
触れて愛しき


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