ひゅるり。 暑くも寒くもない空気を混ぜるようにやる気のない風が吹き抜けていって、つい反射的にスカートを押さえる仕草をした。 原はというと、それまで屋上の日陰でだるそうにスマホをいじっていたのに、風が吹いた時には立っている私を下からじっと見ていた。 押さえつけられたスカートの裾を見た彼はつまらなそうに舌打ちをする。 「ケチくせー。どうせ見せパンだろ」 「違いますー」 「お前が敬語使うとうざいよ」 それきり画面に視線を戻して、ひたすらにスマホをいじくっている。 素早い手つきからして、やっているのはおそらくゲームだ。 教室にいない彼のことを気にかけてここまでやって来たというのに、目の前の男は野良猫以上にそっけない。 それに加えて可愛げもないが、やはり野良みたいな痛んだ金髪の彼を放っておけないのも事実だ。 「何やってるの」 「ぷよぷよ」 「…流行りのパズルゲーとかじゃないんだ」 「流行りのパズルゲーじゃん。ぷよぷよ面白いよ」 やる?と差し出された画面には、見たことのない高得点が表示されていた。 パズルゲームどころか育成ゲームすら上手くこなせない私がろくに操作できるはずもなく、ものの数十秒でゲームオーバーになった。 へったくそ、と笑いながら私の肩に拳をぶつけてきた原は、コンティニューするでもなくゲームを終了させた。 そのまま飽きたようにスマホを置いてごろりと横になる。 上履きの爪先が日陰からはみ出して白く照らされていた。 「授業だるぅ」 「原、いつからサボってたの」 「一限の途中から。なに、お前気付いてなかったの」 「うん」 「オレそんなに存在感ない?」 「私の席からじゃあ原の席見えないでしょ」 原はあくびをするだけで何も答えなかった。 ぬるい風が流れる空間に暫し静寂が訪れ、すぐにバイブレーションの音に遮られる。 私のスマホと原のスマホが同時にヴーン、と受信を告げていた。 「誰かな」 「古橋じゃね」 「お、当たり。さすが」 「まーね」 「次の自習、出席取るらしいから帰ってくれば?、…だってさ」 原がスマホのチェックもせずに寝転んだままでいるので、本文をそのまま声に出して読み上げた。 せっかくの友人の言葉も、こちらに背を向けた金髪男の心には響かないらしい。 見てみれば、校舎のひび割れた壁を指先でなぞっていた。 至極興味がなさそうに原が尋ねる。 「自習監督、誰だって?」 「化学の高津先生」 「タカじいか〜、オレはパス」 監督中の居眠りで有名なおじいちゃん先生の名を聞いて、原の中でサボリ続行は決定したらしい。 その旨を古橋に伝えるべく指先を動かしながら、私は少し意外に思っていた。 「古橋って結構面倒見いい?」 「仲いいヤツには割と」 原は何でもなさそうに言ったけれど、先ほどのメールは私たち二人に一斉送信されたものだ。 ということは、彼が面倒を見ている範囲に原だけではなく私も入っていることになる。 古橋の無表情と死んだ目を思い出して、私は可笑しさから表情を緩めた。 なんだ、いい奴じゃないか。 彼の印象が変わったついでに緩んだ声も出る。 「ふへ」 「………」 「返信しておくね」 「嬉しそうな顔してんじゃねーよこのボケカスしね」 「そこまで言われるようなことしてない」 またもや妙なタイミングで私を見つめていた原が、面白くなさそうにすねを蹴りつけてきた。 じんじんと痛む場所から何とか気を逸らし、メールを返信した。 すると原のスマホが再びヴーン、と唸りを上げる。 返信元を全員にしたまま送ってしまったようだ。 私が何かを言う前に、スマホの画面を見つめた原がじっと黙り込んだ。 すぐに私のスマホも震える。ちなみに原のも再び。 「古橋の返信、うざいの一言じゃん」 「なんでだろう」 「ありがとう優しいね、とか送ってあいつが喜ぶと思ったわけ?」 「いや。礼くらい素直に言った方がいいかと思って」 「うん。うざい」 なんでお前みたいなバカ正直なのと付き合いあるんだろ。オレも古橋も。 無感情につぶやいて、原は軽く身を起こして校舎のひび割れた壁に寄りかかった。 二人揃って私のことをうざいうざいとろくな言い様ではないというのに、愛想を尽かそうと思わないのが我ながら不思議だった。 とはいえ、あまりいい気はしないので隣に座って原の肩に頭突きをかました。 「いてぇ」 「さっき殴られたし蹴られたし、仕返し」 「このやろ」 首に腕を回されて羽交い締めの体勢を取られるとさすがに焦ったが、原はそのまま何かを考え込むように静止していた。 呼び掛けても腕を叩いても反応がないので、ゆっくりと息を吐く。 原の身体とくっついている背中のあたりがあったかい。 視線の先にある空は高くて、青い。 「お前って本気で嫌がんないよね。痛いことしてもひどいこと言っても」 「ひどいって自覚はあったんだ?」 「真性のバカなのかマゾなのか、オレわかんないんだけど」 その腕から解放されないまま、ぎゅーっと力を込められたけれど苦しくはない。 困惑した私は動けない。 原はちょっと笑っているようだった。 にやにやと、性根が悪そうな顔でいるのを背後に感じ取る。 「痛めつけられてもこんな風に寄ってきたりして、抱きしめてほしいってことじゃん?」 「…いや、それって自意識過剰じゃん?」 「そこは同意しとけよ。うざい」 「う、ごめんって、首絞まってるから」 楽しそうな原に率直な感想を返せば、体全体ではなく首を狙って力を込められた。 すっかり機嫌を損ねたらしい彼が深々とため息を吐く。 気が抜けたようにまた床に寝転ぼうとするので私は慌てた。 「ちょっと、何すんの」 「寝る。起こしたら屋上から突き落とす」 「だったら私を離してから…あーあ、」 私の言葉を遮るように鳴ったチャイムと、力ずくで私を引きずり倒した背中の体温に、あらゆる抵抗を諦めた。 原を連れ戻そうとやって来たはずの私の決心も古橋の気遣いも何もかも無駄になってしまったけれど、気にするのは止めにした。 拗ねた子どものような原に、なるべく優しい声をかける。 「昼までには教室帰ろうよ。ねえ、原」 「もう寝た」 「起きてるじゃない。ほら、古橋も待ってるから」 「…わかったわかった」 わかったから、古橋よりオレのこと呼んでよ。 普段はそっけない野良猫が他の猫への浮気を許さないような、身勝手な嫉妬だと思った。 首に当たるちくちくした髪、お腹に回ったやる気のない腕、ねだるような言い方。 全部合わせてみたら少しは可愛げがあるかもしれない。 そう思ってから、あることを思いついた。 「一哉」 下の名前を声に出せば、原の肩がびくっと揺れた。 引っ付いている箇所から大きな揺れと、熱くなる手のひらから動揺を感じ取った。 今度は私がにやにやと笑う番だった。 「呼んだよ」 「…このやろ」 舌打ちが耳のすぐそばで聞こえたけれど、原は何も反撃をしてこなかった。 代わりにあくびを一つ、眠たそうにする。 この状態で他にできることなどないのだから、私も寝てしまおうかと目を閉じる。 子どもみたいに寝入ってしまった私たちを古橋が蹴り起こすのは昼休みになってからだった。 20131012 |