清く正しくなんて生きられないよ。どんな人間だってさ。 こんなことを言ってしまって悲しかった。 木吉は何でもないように、けれど静かな瞳で私を見据えていたからだ。 清く正しくなんて生きられないよ。木吉みたいに。 そう、彼には聞こえたはずだ。 私だって、いつも正しくありたいし、いつも正しい彼と釣り合うような人間でいたいと思うのに。 適わない。木吉のようにはなれない。 その落差と不安に押し潰されそうになる。 好きな人のことでさえ、全部を知りたいとは思わない。 これが私の意見。 好きな人のことなら、全部を知っていたいと思う。 それが木吉の意見。 噛み合わない持論はぐるぐると不安を巻き起こし、私は馬鹿みたいに叫んでしまった。 大人気の欠片もない。 けれど木吉は静かに見つめ返すだけだったから。 その寛容さにますます自分が惨めに思えた。 「木吉のようには、なれない」 「ならなくていいだろ。お前はオレじゃないんだ」 「どこを取ったって、釣り合わなくてもいいっていうの」 「オレはオレみたいな人間を、好きにはならないよ」 木吉が私の手首を柔らかく握った。 腹が立つことに、私がいくら駄々をこねようとその手のひらは大きく、温かいままだった。 何も変わっていない。何も堪えていない。 ほら、私なんてちっぽけじゃないか。 「なあ、泣きそうな顔をしないでくれ」 「…私は木吉みたいにはなれない」 「ならなくていいんだって」 親が子どもに言い聞かせるような声だ。 呆れたような物腰は何処にもなかった。 諭される心地にまた腹が立って、その肩に軽くこぶしをぶつけた。 平気そうに笑って、そちらの手も大きな手のひらに握り込まれてしまった。 「暴力はよくないぞ」 「言葉じゃ足りないの」 「そうか。じゃあ殴ってくれ」 「ばかみたい」 そうかもしれないなあ。 木吉は朗らかに笑った。 こんな人間を目指したってなれるはずもない。 高望みをした私の方が馬鹿みたいじゃないか。 ぐす、と鼻を鳴らすと木吉がうつむく私を覗き込んだ。 きょとんとした顔にデリカシーないんだから、と毒づいたのに悪い悪いと笑顔で返された。 敵わない。 「そんな風に様子を窺うんじゃなくて、優しく慰めたりできないの」 「ん?んー…難しいな。どうすればいいんだ?」 お前はオレにどうしてほしいんだ?、と。 潔いのか意地悪いのか図りかねることを言われた。 自分で考えてよ。 ふてくされて短く言えば、眦を緩めた木吉が覆いかぶさるように抱きついてきた。 単純だ。 その単純さに救われているところがいっぱいある。 木吉の広い背中は私に無いものを沢山背負っているんだ。 腕を回しながらそう思った。 「オレはお前が変わってしまったら寂しいんだ」 「なんで」 「なんででも」 そんな理由で納得するような簡単な女じゃないのよ。 意地を張った悪態は一笑に付されてしまった。 こうして私はまた、木吉に世界を覆われて守られている。 なんだかなあ。 今回もこの腕から抜け出すことに失敗した。 優しくてずるい木吉はきっと私を最後まで離してはくれないのだ。 20130707 |