「おしまいにする?」

そうメールで送った。
すぐに電話が掛かってきた。
出ると、向こうで息を吸ったり吐いたりする心地が聞き取れた。

「す、」
「す?」
「するわけがないだろう!」

真太郎は怒っていた。
直前まで走っていたわけでもあるまいに、その息遣いがぜえぜえと焦っているので、私は声を上げて笑った。
真太郎は疲れたように黙り込んでしまった。
まったくお前は、と叱る声が聞こえてくるような気がしたくらいだ。

「ねえ、会いたいよ。真太郎」
「…ああ」

笑いがおさまったころ、真面目な調子で言えば静かな相槌が返ってきた。
こういう時、相槌はできても自分も同じ気持ちだとは言葉に出して言えない真太郎の不器用さを、くすぐったく思う。
素直ではないくせに、その眦を緩めて空気に溶かすように笑っているのを、私に電話口で悟られてしまうのだ。


▽△


きれいな女の人が体育館の入口のところに立っている。
部活中にぼんやり視線を送っていれば、慌てたように真ちゃんが女性に歩み寄っていった。
ついて行けば何のことはない、女性はオレも見知った名前さんで、緑間とオレを見て微笑んだ。

「来ちゃった」

その一言の破壊力ときたら。
真ちゃんは一瞬ものすごく不機嫌そうな顔をしたけれど、それは「ずるい」と「可愛い」の感情がごちゃ混ぜになったせいだと察しがついた。
それでもなお、緑間は何事か名前さんを責め立てようとするので、割って入るように挨拶を交わす。

「名前さん、こんにちは」
「こんにちは。高尾くんはいつも元気ね」

何気ない一言にも名前さんの優しさが滲み出ている気がしてすげーなあと思う。
疎ましそうにオレを見てくる緑間の視線が痛いので、会話はそこそこに場を離れた。
コートに戻れば、大坪さんに二人きりにしておいてやれと叱られた。わかってますって。
名前さんはこことは遠く離れた場所に住んでいて、なかなか二人は思うように会えないらしい。
海辺の水族館で働いていると聞いた。
その話は、大人しい魅力を持つ名前さんのイメージにぴったりだと思った。
名前さんと二言三言交わして戻ってきた緑間はどこか嬉しそうにしていて、ああこれは何か約束を取り付けてきたなと笑った。

「デート?」
「うるさい。…練習が終わるまで待つそうだ」

にやにやして聞けば、途端に戻るしかめっ面。
それ否定になってないって、気付いてんのかね。
シュート練習を再開した緑間が投げたボールは綺麗な放物線を描いて、音もなくゴールをすり抜けた。
きっと名前さんはにこにこして緑間のことを見ているんだろうな。
羨むような気持ちで再びぼんやりと視線を送っていたら、真面目にやれと宮地サンに頭を叩かれた。


▽△


「真太郎を攫ってきちゃった」

わざとおどけた風に言っても、隣の彼は怒るでもなく私をじっと見ていた。
彼の高校を訪ねたとき、会いたいと言った矢先に行動を起こした私に対して最初は怒っていた真太郎も、最後にはこう言った。
お前の働く水族館に行きたい。
その望みを叶えようと、私と真太郎はいくつか電車を乗り継いだ。
座席を立つ時も、乗り換えの時も、真太郎は金魚のふんのように私の後ろをついて歩いた。
その様が子供のようだと笑えば、むっとしたらしい彼は手を繋いで隣に並んだ。
きっと真太郎の方が私より年下には見えないんだろうなと、微笑ましく思って笑顔を見せれば、真太郎はちょっと苦い顔をした。
私が平気そうな顔をしているから悔しいのだ。

水族館にはちょうど通路の折り返しになっている中間地点がある。
そこには休憩のためのスペースと、円柱型の水槽をただようクラゲのコーナーがあった。
そこまで歩いてきた私と真太郎はソファーの一つに腰を下ろすと、はしゃぐ子供や寄り添うカップルを眺めた。
柱のようにいくつも立ち並ぶ水槽のなかで、色とりどりの光を受けたクラゲがふよふよと浮いたり沈んだりしていた。

「…どうしてあんなことを言ったんだ」

今まであえて触れないでいた件を、真太郎はひっそりと口にした。
深夜のような暗い館内で呟きはすっと溶けて、私以外には聞き取れなかっただろう。
真太郎の声音は存外深刻なものだったので、少し申し訳ない気持ちになって前髪をいじる。
あの日、私たちはメールで近況報告を交わしていた。
そのときにふと浮かんできた言葉を打った。
おしまいにする?
無感情な問いかけは想像以上に真太郎を戸惑わせたみたいだ。

「高校生にとって遠距離って、どうなんだろうね」

遠距離恋愛という呼び名を、真太郎は嫌った。
その言葉の枠に私たち二人の関係を収めてしまうのを怖がっているようにも見えた。
遠距離恋愛と名の付く関係の、数々の男女が破綻していった様を恐れるように。
私は、真太郎に強いてしまっているんだなあ。
そう思ったら会いたくなって、あんな風に不安にさせることを言った。
悪い大人だ。

「他人事のように言うな。理由を訊いている」
「心にもないこと言っちゃってごめんね」
「…謝れとも言っていない」

真太郎は別に怒っていなかった。
ただ、ひたすら私の気持ちを探ろうとしていた。
ごめんという一言に、私に別れる気がさらさらないことを悟ってか、真太郎は困った顔をした。
私たちはいつだって寂しい。
けれど互いにそれを伝えあうような性分でもない。
彼のことを言えないくらい、私も不器用だ。

「あそこに大きな水槽があるでしょう」
「ああ」

指差した先には、この水族館のなかでも特大の水槽があった。
その中をジンベエザメが泳いでいた。
ガラスに寄り集まる人々は、ここからだと一様に暗い影に見える。

「開館前にあのガラスを一心に磨くの。曇りがなくなって、水槽の奥の青い光がどんどん強くなっていって。辺り一面を青い世界に囲まれていると、もうこの場所から出られず真太郎にも会えなくなるんじゃないかって、」

子どもみたいね。
自分でその発想を笑ったけれど、真太郎は少しも笑わなかった。
私の声はちっとも深刻ではないのに、彼はとても真剣な表情をする。
参ったなあ。
困らせるようなことを言いたいんじゃない。
それなのに、私はいつだって悪い大人だ。
水槽に目をやるように私から視線を外した真太郎は、短く言った。

「次はオレから会いにいく」
「無理しないでいいよ。そんな暇どこにも無いでしょう」

彼の学校生活を思って言えば、真太郎がこちらを振り向いた。
むっとした顔をしている。
大人である私の提案を、普段大人びた真太郎が冷静を捨てて反抗したい時の顔だ。
私の手を軽く握った彼の横顔に、きらきらした青い光が射している。
水槽の世界が似合ってしまうほど、綺麗だ。

「無理をさせてくれ。オレはお前の彼氏だろう」

すがるように手を握られる。
彼が顔を傾ぐたびにさらりと落ちる緑の髪に触れたくなった。
前髪にそっと指先を伸ばすと、なんだかくすぐったそうな顔をされた。
そのまま腕を伸ばし、頭を撫で回したあとにくしゃりと髪をつかむ。
真太郎の髪は癖がなく、すぐに指の合間をすり抜けていった。

「いいよ」

何に対しての肯定か、きっと彼が抱えるもどかしさ全てに対してだったかもしれない。
真太郎はぎゅっと目を細めて私を見た。
まるで今にも泣きそうな顔だ。
握り直された手に感じる彼の体温が、なおさら強くなった気がする。

「いたいいたい、」

込められた力加減にそう言ってみたものの、本当は全然痛くなかった。
それでも真太郎は少し気遣わしげな表情になって、けれど手を離したくはないと視線で伝えてきた。
不意に素直になられると、私は真太郎にめっぽう弱い。
もう一度手を伸ばして軽く頭を撫でると、彼はゆっくり目を閉じた。
この時間に溶けてしまうような静けさで。
その睫毛に射してますます輝いて見える青い光は、どこまでも美しい。

20130707
Happy Birthday Midorima.


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