好きなひとがいます。
そのひとは週に一度、私の職場で贈り物の花束を必ず買っていきます。
決まって花束を贈るような、彼の思い人はどんな人だろう。
わたしの恋は、戦う前から負けている予感がします。

私の職場は、駅の中にある花屋だ。
改札に入る手前、駅の西口方面に建物に埋め込まれるような形で、こぢんまりと存在している。
毎日、いろんな人が花を買っていく。
妻思いと想像がつく男性、お小遣いを握りしめた子供の兄弟、友人に贈るからと話してくれた上品な老齢の女性。
そういうお客様はどちらかといえば少ない方で、買っていく人が皆明るい表情とは限らない。
喧嘩の詫びに渡すのか、憂鬱そうな面持ちの青年。
祝いの席には用意するのが決まりだから、と無感情に花を選ぶ女性。
何の目的で買うのか、短時間では見極められないお客様がほとんどだ。
本当に様々な人が行き交う場所だから、よっぽど強烈な人柄でなければ印象に残ることもない。
私が思い描く彼は、まだ三度しか店に来ていない。
それなのに、こんなにも彼を強く覚えているのは、彼自身というより私が恋い焦がれてしまったことが大きな理由なんだろう。

「あのー、花束欲しいんですけど」

当たり障りのない一言だった。
「どうやって選べばいいんすか?」続けられた言葉だって、ニュアンスは違えども他のお客様から聞いたことがあるようなものだった。
作業中の私はカウンターから顔を上げ、まずこう感じた。
なんだか、人に好かれそうなひと。
気さくな話し方から、こぼれる笑顔から、人の好さが伝わってくる青年だった。
私が勧めたオレンジが基調のミニブーケを、黒髪の彼は買っていった。
そして一週間後、青年はまた店頭で言った。

「花束欲しいんですけど、今度は俺が種類選ぶってできます?」

彼が指差した三種の花を、私は丁寧に包んだ。
ぱっと選んだように見えたのに、彼の色彩センスはなかなかで、まとめても花々の個性がきちんと生きた花束が出来上がった。

「すげえ、ちゃんと花束になった!やっぱりお姉さんが上手いからかな」

そんなことを笑顔で言うから、「いえ、お客様のチョイスがとても良かったです」と正直に返すと、ふと彼は優しい眼差しを見せた。

「俺、先週も来たけど覚えてます?」
「いつもご利用ありがとうございます」
「あのねえ、俺、すげー嬉しいことがあったんですよ。だからお祝いにって、花束あげたんだけどひとつじゃ足りなくて。一週間経ってもまだ嬉しいから、また買いに来たんです」

こんな風に、花束を買う経緯を話してくれるお客様はたまにいる。
私はいつものように笑顔で話を聞きながら、普通に接客をしているつもりだった。
けれど、彼があまりに幸せそうに話すから、このひとにこんなにも思われて花束を贈られる女性は幸福なんだろうな、と漠然と思ってしまっていて。
気に掛けてしまったが最後、これから電車に乗って目的地に行くというお客様に尋ねてしまった。

「そんな都会まで出るんですか?この駅から持っていくの、大変でしょう」
「いいのいいの。この前、お姉さんがすごく丁寧に案内してくれたから、花はここで買うって決めたんだ」

たったそれだけの一言。
単純な私は彼に恋をしてしまった。
私という個人を理由に店を選んでくれる。
その喜びは、きっと接客業を生業とする人間にしか分からない。
言葉をくれたのが、優しい笑顔の彼となれば、それはもう、いっそうのことである。

花屋で働いている、と話すと大概が楽しそうだね、素敵じゃない、と返される。
そうでもない。
当たり前だけれど、仕事というからには楽しくないことの方が多い。
きちんと世話をしなければいけないし、虫は湧くし、なにより店の商品は花という生き物だ。
それも見栄えが第一で、お客様は商品を1%の好みと99%の見た目で買っていく。人によっては100%が見た目かもしれない。
彼はそんな私の仕事を軽視せず、来店すれば楽しく話をしてくれる。
こんなひとが恋人だったらいいなぁ、なんて浅ましい考えさえ抱いていることに気付いたのは、彼の三度目の来店の時だった。
何を馬鹿なことを。
彼には思い人がいるじゃない。
彼が定期的に花束を贈って、優しい顔でその人について語れるような、素敵な女性なのだろう。
さすがに花屋だから察しが付く。
彼が足繁く通って花束を贈る相手は女性に違いないのだ。
三度目に会った時は、自分の気持ちを誤魔化すのに必死で、会話の内容をろくに覚えていない。
それに、あのひとがお客様である限り、いつ店に来なくなるのかも分からないのだ。
そんな不安定な恋愛はしたくない。
彼ひとりのために一喜一憂するのが、なんだか自分らしくないと思えた。

四度目だ。
次に彼が来た時にそう思った。
四週連続、彼は花束を買っている。
お客様が選んだ花々をどこかぼんやりした心持ちで包む。
ピンクが基調の、可愛らしい花束が出来上がった。
代金を支払い、彼は珍しく神妙な面持ちで言った。

「俺ってもう常連ですかね」
「そうですね。こんなに続けて買っていかれるお客様は珍しいですから」

大丈夫だろうか。
無意識のうちに言い方が刺々しくなっていないか、注意する。
私は、私の心にさざ波が立たないよう努めるのに必死だ。

「実は、来週からもう買いに来ないんです」

さざ波なんてものじゃなかった。
ショックを受ける反面、やっぱり、とどこか納得している自分もいた。
きっぱり言ってもらえて良かったじゃない。
変に期待して次に来る日を待ち続けるようなことにならなくて、良かったじゃない。自分に言い聞かせる。

「あんまり頻繁だから、飾る場所がもうないって叱られて」
「…そうですか」
「その人、もうすぐ退院するんですよ。それが一番の理由かな」
「退院」

馬鹿みたいに彼の言葉を繰り返してしまう。
花束を贈っていた相手は入院していたというわけだ。
お客様の事情に深入りしてはいけないと思いつつ、裏腹の言葉を漏らしてしまう。

「その、贈っていた相手って」
「ん?ああ、その人はね。高校からの、腐れ縁の、親友っつーか悪友?みたいな奴の――奥さんなんだけど」

単語が多くて、一瞬理解が遅れた。

「一年くらい前に二人は結婚して、ついに子供が生まれたって聞いてもー嬉しくって。あの堅物が今やお父さんだなんて、似合わなくて笑えるっつーか笑い通り越して感動っつーか。これは花束贈らずにいられるか!って…お姉さん?」
「私、てっきりお客様が恋人に贈ってらっしゃるのかと」
「え?ないない、俺さびしい独り身ですよっと」

喜ぶべきところではないのかもしれない。
けれど、安心したように私は自然とため息を吐いてしまう。
不思議そうに目を瞬かせた彼は、にんまり笑って続けた。

「自惚れていいのかな」
「へ、」
「俺、最初からお姉さん一筋ですよ。駅通るたびに見かける姿が一生懸命で素敵だなーって。気付いてなかった?」

これは、私が見ている夢なんだろうか。
都合が良すぎて疑ってしまう。
紛れもなく現実の彼はやはり優しく笑っていて、私との距離をすこし縮める。

「俺の名前、高尾和成っていいます。自己紹介から始めませんか」

20150223


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