彼女ができた。 二つ年下で、オレが口にする「運命」という言葉のひとつひとつに頬を染めて俯いてしまうような初々しさが残る、可愛らしい女の子だ。 そんなわけで、ここ最近の自分は気を抜くととても緩んだ表情をしてしまう。 今は何してるのかな、なんてあの子のことを考える度に幸せな気分になるオレに笠松は、「だらしない顔してんじゃねえよ!」とボールを投げつけてきた。 しかし笠松は少し考えた様子になって、「お前でも収まるところに収まったのか。良かったな」と何気なく言ったので、オレは別の意味で微笑ましい笑みを浮かべた。 結局は、その腑抜けた顔は部活以外の時間にやれと蹴られてしまった。 彼女は箸の使い方がきれいだ。 小さい弁当箱から色とりどりのおかずをつまんでは口に運ぶ様を見つめていると、オレの視線に気付いた彼女は、「食べるのが遅くて、ごめんなさい」と謝った。 こちらこそ、君を観察してしまってごめんなさい。 近頃の自分がかき込むように昼食を済ませてしまうのは、本来咀嚼に掛ける時間を一秒でも長く彼女を見つめることに使いたいからだった。 申し訳なさそうにこちらを見る彼女に、大丈夫気にしないでゆっくり食べて、なんて内心を微塵も出さない言葉だけ伝えた。 律儀な彼女は、オレの様子を気にしながらも丁寧に言われたことを守るので、ゆっくり食事を再開する。 あ、ブロッコリーよけてる。 苦手なんだなぁ、と彼女の好き嫌いをまたひとつ把握したオレの表情は緩みきっているに違いない。 黄瀬の勉強を見ている笠松から、本を返してこいと言いつけられた。 テスト期間だから部活はなく、放っておいたら部活動に支障が出るレベルの黄瀬の学力を三年生でサポートしてやっている日のことだった。 勉強会のために教材を揃えようと黄瀬のロッカーを漁っていたら、数ヶ月前の課題である読書感想文のために借りた図書が出てきた。 貸し出し延滞という、日々の怠惰をまたひとつ晒してしまった黄瀬は笠松に首を固められ、わーぎゃーと喚いた。 ほどほどにしてやれよと言う小堀だが、目線は山ほど出てきた赤点すれすれの答案用紙たちに向いている。 笠松は黄瀬をシメるのに忙しく、代わりにお前が返してこいと言いつけられたのだった。 返すのが本人じゃなくていいものなのか、と思いつつ行き慣れない図書室に足を向ける。 普段なら閑散としている図書室だが、今日はドアを開ける前から賑やかな空気を感じ取れた。 テスト期間だから勉強しに来ている輩が増えているのだと察することができた。 テスト期間でなくとも勉強が習慣付けられている人は平素から図書室に通っているだろうし、そうした先住民たちはこの時期の隙あらば無駄話をしようという空気を疎ましく思って、あえて今日は来ていないのかもしれない。 他愛もないことを考えながら無造作に戸を引けば、出て行くタイミングが被ったのだろう女子生徒が目の前にいて、出しかけていた手を引っ込めた。 人影が自分より華奢な女性だと認識した瞬間に思わず人当たりのいい笑顔を作り、大丈夫?驚かせてごめんねと言おうとして、言えなかった。 いつもなら呼吸のように出てくる軽口は、好きな女の子を前にして意味のない言葉の羅列になる。 そうして言葉を失ったオレを不思議そうに見上げ、名字さんは表情から緊張を取り払って微笑んだ。 「森山先輩。先輩もテスト勉強ですか?」 そうだ。図書室の住民。 彼氏だというのに、オレは彼女の存在を失念していた。 行き慣れないはずの図書室に迷うことなくするりと足が向いたのは、近頃は彼女の図書室通いに付き合っていたからであり、そのルーチンは今日も例外ではなかったらしい。 「いや、今日は本を返しに来たんだ」 「この間、何か借りてましたっけ?」 「話せば長くなるんだけど…黄瀬の代わりで」 「そうなんですか」 彼女の場合、目的は勉強ではなく今日も抱えている何冊かの本である。 熱心な本好きである彼女は、在学中に図書室の棚を制覇するのではないかという勢いで本に読みふけっていた。 そのことを知っているとはいえ、彼女がいると確証のない図書室にオレが来ることはまず有り得ない。 課題図書の件がなければむさ苦しいあの教室で後輩に勉強を教えていただろうし、彼女に巡り会うこともなかった。 この状況に相応しい言葉がある。 「こうして君に会えたのは運命だね」と、肌に馴染んだ言葉を言うほんの一歩手前、名字さんは嬉しそうにはにかんだ。 「偶然ですね」 それは、オレが言いたかったことの正反対を指す言葉のはずだった。 図書室の扉を挟んで、住民と非住民のように向かい合う君とオレの図はまさしく運命だろうと思った。 思ったはずだった。 黙り込むオレをちらりと窺った名字さんが、艶やかに頬を赤く染め上げる。 オレの顔が信じられないほど赤かったからだ。たぶん。 運命という言葉が自分にはよく馴染んでいた。 その言葉は自分が瞬間的に感じた恋や、熱や、動悸や狂おしさを表すのに一番適していると感じていたはずなのに、なぜだろう。 彼女が言う「偶然」の方が素晴らしいと思えた。 唯一無二の、取り替えの利かない時間であると感じた。 こんな風に自分を惑わせた君が、とてつもなく尊い。 理屈ではなく本能で直感した途端、オレは持ってきていた本をカウンターに放り出し、彼女の手を引いて廊下を歩き出していた。 20140225 |