私と清兄は同じ干支だ。 十二支が一巡りするほど、私たちは年が離れている。 料理が得意で、洗濯物の干し方は雑。 掃除は好きだけれど片付けは苦手で、細々とした私物が日々増えていく。 服の脱ぎ方はだらしなくて、畳み方は几帳面。 一緒に過ごしてきた数年間で私が見てきた清兄は真面目で誠実で、ぶっきらぼうで時に惜しみない笑みをくれる人だった。 身寄りをなくした八年前、喪服の人々がざわめくなか、私の遠い親戚にあたる彼は言った。 「オレがお前の父親も母親もやるから。一緒に暮らそう」 彼のことは知っていた。 私の母と仲が良く、たびたび家に遊びに来ては我が家の空気に溶け込んで夕飯を食べていく、優しい兄のような人だった。 話したこともない人や施設に引き取られることが何より怖くて、私は必死に頷いた記憶がある。 私が握りしめていた手のひらをそっとほどいて握り、彼は泣いて少し赤い目をしながら笑った。 「これからはオレが守ってやる」 あの時、私を引き取るための努力がどれだけ大変だったのか、彼は私が高校生になった今でも話さない。 彼の努力は続いていて、今でも家事のほとんどをこなすのは清兄だ。 夕飯作りを手伝いたいと言っても学生は勉強に集中しろの一点張りで、おかげで私の料理の腕は上達した試しがない。 今日の家庭科の調理実習でも友達に下手すぎると笑われっぱなしだった。 そのことは帰ってから清兄を責めようと決めて、鞄を持ち上げる。 「お迎えだよー」と隣の子に半笑いで言われ、教室から窓の外に目を向けた。 校門脇に背の高い集団がいて、私は慌てて教室を飛び出した。 目立つったらありゃしない。 「おせーよ」 「待ってた!」 「…走ったから髪が乱れているのだよ」 三者三様の出迎えの言葉を口にしながら、身長でも外見でも目立つ彼らは生徒たちの注目の的になっていた。 緑間さんが頭を撫でるようにして髪を整えてくれたので礼を言う。 同じように近寄ってきた高尾さんがにこにこと笑う。 「名前ちゃん、また可愛くなったね!今度いつヒマ?お兄さんとデートしない?」 「黙れおっさん」 何か返事をするより早く、清兄が高尾さんの頭を叩いた。 隣では緑間さんがまったく成長しないのだよ、と頭を振っていた。 高尾さんがこういう風に私へ声を掛けてくるのは、もはや恒例になりつつある。 それに対して清兄が私の代わりに手厳しい反応をするのも含めて。 「ってえ!暴力反対っすよ!おっさん…って、オレまだ二十代なんですけど!」 「知ってる。オレだって二十代だ」 「ならば宮地さんもおっさんですね」 「よし、緑間轢くわ」 私を置いてけぼりでわいわいと騒いでいる大人たちは相変わらず仲がいい。 こういう関係が高校生の時から続いているのだから、その絆の深さは計り知れない。 十年以上先も、私は今の友人とこんな風に笑い合っていられるだろうか。 そんなことをぼんやり考えていると、ついに高尾さんが清兄に蹴られたので苦笑いが出た。 「大丈夫ですか?高尾さん」 「っと、容赦ねーんだから…愛されてんね、名前ちゃん」 「はい。高尾さんたちはどうしてここに?」 「久しぶりに真ちゃんと母校訪問!そしたら宮地サンがいたからさー。奇遇でしょ」 「おい高尾。いい加減この年でその呼び名はよせ」 「真ちゃんは真ちゃんだろー?」 「そうだぞ。しーんちゃん」 「やめてください…」 一緒になってからかう清兄に、緑間さんが心底気味が悪そうな顔を浮かべる。 高尾さん曰わく、昔の清兄だったら有り得ない発言らしい。 私が頼んでも清兄は嫌がって昔の写真を見せてくれないけれど、少し前に高尾さんがこっそり見せてくれた。 今も変わらない秀徳高校のオレンジ色のユニフォームを身に纏って、満面の笑みを見せる清兄がそこには写っていた。 私が垣間見た、彼が高校生だった頃の軌跡。 きらきらと輝いた笑顔が眩しくて、私はあと二年でこんな表情をできる気がしないなぁと憧れたものだ。 「おい名前。こいつらに付き合ってないで、さっさと行くぞ」 「あ、うん」 肩を軽く引かれて、振り返れば面白くなさそうな清兄がいた。 彼が帰りを急ぐ理由も分かるので、素直に頷いておく。 緑間さんと高尾さんの二人に別れを告げ、待ってくれていた清兄の袖を引く。 「帰ろうか、清兄」 「おう」 清兄という呼び名は彼が決めた。 私が最初、よそよそしく清志お兄さん、だとか子供の時のようにきーちゃん、とか様々な呼び方をしていたのを、どれもしっくりこない顔で聞いていた彼がある日「清兄でいいから」と言ったのだ。 以来、周りには年の離れた兄妹だと思われることが増えた。 私たちの関係について妙な詮索をされたり、私の境遇を知って気まずい反応をされたりすることは減った。 私たちが健やかな気持ちであるために、この清兄という呼び名は必要だったのだと思う。 「名前」 「なに?」 「十六歳の誕生日、おめでとう」 「…うん。ありがとう」 本日二回目の祝福の言葉を、私は帰り道で受け止めた。 一回目は、朝起きて一番に、やはり清兄が言ってくれた。 優しい清兄は私を精一杯祝うことに毎年心を砕いている。 大事な娘の誕生日。 数日前から彼が何度もそう繰り返すから、私は笑った。 私の両親は別にいるし今も大事に思う気持ちは変わらないけれど、この人は私の親だ。 かけがえのない人。 いつまでも変わらず笑っていてほしい人。 帰ってから清兄の作ったご飯を二人で食べて、買ってきたケーキも食べた。 清兄の苦手な片付けと洗い物を代わりに終えてから食卓を見ると、彼は突っ伏して眠っているようだった。 こんなに女性の目を引く容姿をしている彼が会社を早引きしてまですることが、私を祝うことだなんて申し訳ない気がした。 お疲れ様の意味もこめて蜂蜜色の髪をさらさらと撫でる。 触れたことによって意識が浮かんだのか、薄く目を開けた清兄がぼんやりした声を出す。 「… さん?」 懐かしい響きのする名前に少し、息を止めた。 私の母の名を呟いた清兄はすぐにはっとしたようで、「悪い、寝ぼけてた」と目をこすった。 懐かしさからか、眉を寄せた笑い方をした彼が私の頭を撫でた。 「お前、母さんに似てきたな」 「そうだと嬉しい」 たまに思うことがある。 「きれいになったよ」 清兄は母のことが好きだったんじゃないだろうか。 だから私を引き取った、なんて卑屈なことはさすがに考えないけれど。 こんなにも優しい目をする彼を前にすると、想像をせずにはいられない。 どうしてか、その想像は私の胸を甘く苦しくさせる。 彼の言葉に照れたふりをして、押し隠すつもりで笑顔を見せた。 「お前はオレの一番大事な娘だから」 「うん」 「誇らしくて、愛しい」 「そういうの、恥ずかしいよ」 「恥ずかしいことないだろ」 こっち見ろ、と腕を引かれて隣の椅子に座らされた。 親の眼差しでこちらを真剣に見つめてくる彼に観念して、私はゆっくり息を吐いた。 感謝と愛情と思慕が入り混じった私の心持ちはきっと今のうちだけだから、と自分に言い聞かせる。 十六歳。 私ももう子供ではない。 ふと思いついたことを尋ねてみたくて、私は声をひそめる。 「ねえ、清兄」 「なんだ」 「私が彼氏を連れてきたら、清兄はどうする?」 蜜の色をした瞳が大きくなって、しばらくそのままだった。 いま、傷付いた顔をした。 けれど娘を持つ父親に似た寂しさなのだろう、と思うことにした。 いつだっていい親であろうと努力をしている彼の姿を見てきたから、分かっている。 「…連れてくる予定あんの?」 「ううん。まだ」 「そうだな。まだ、許さねえ」 私の手を握る大きな手のひらが縋るようだった。 静かに震えているのを、きっと彼も自覚している。 私がいつまでもそばに留まっていたって清兄には何も残らないけれど、私が離れてしまってもこの人には何も残らない。 なんだか悲しいことだった。 「そうだな、もうそんな歳か」 「うん」 「お前も恋愛したいよな」 「そうでもないよ」 「達観しやがって」 子供らしくしてろ、と清兄の大きな拳が私の額を小突いた。 それは彼の願望であって、私の願いではない。 私は早く大人になりたかった。 清兄に迷惑をかけない人間になりたかった。 そう焦って訳も分からず大人ぶることが子供の所行だとも知らずに。 額に残るわずかな痛みと体温を、私は大切に思う。 きっと清兄が私にしか与えないもの。 彼は目を伏せて、言葉に迷いながらも笑った。 「オレはお前が嫁ぐまではしっかり見張ってなきゃなんねえ。高尾みたいな奴もいることだしな。それがオレの責任だ」 責任はあっても不誠実だ、なんて私は身勝手にも内心で思った。 だって、私たちはずっと一緒には暮らしていけない。 私は清兄ほど素敵な人を見つけられないまま他の人と結婚するだろうし、私が独り立ちしてからは清兄にもいい出会いがあるかもしれない。 ずっと、子供でいたいなぁ。 早く大人になりたいという願いの次に抱いた願いを、私は今日のうちに捨てようと決めていた。 だから、こんな話をした。 彼が、止まってはくれない私の成長を自覚してくれるように。 「せいぜい骨のある奴を連れてこい。相応しくなかったらオレが追い返してやる」 「…怖いなぁ、清兄は」 「怖くて結構。悪い虫がついたら困るんでね」 いい年をして舌を出してみせる清兄に笑う。 幸福を感じて、笑う。 自惚れではなく、今この人が一番大事にしているのは私だと実感したから。 好きだなぁ。大好きだなぁ。 それが家族愛なのかそうでないのか分からないふりをしたまま、口にする。 「清兄、大好き」 「ああ、オレも大好きだよ」 私の大切な人は、親代わりになった八年前よりもっと前、出会った時から変わらず優しい声をしている。 神様おねがい、いつかこの人が私より幸福になりますように。 私がこの人からもらった以上の愛情を、誰かが彼に惜しみなく与えてくれますように。 20131106 もう誰かのもとへ走ってゆける年齢のきみへ 私を世界一幸せな女の子にしたあなたへ おめでとう ありがとう |