そのきれいな色の髪が好き。 私がそう言う度に、「お前はオレの外見的特徴ばかりが好きなのか」と不機嫌そうに答えるのだから、私の彼氏はひねくれているのだろう。 そういうとき、私はあえて言葉を重ねずに緑間の頭をゆっくり撫でることにしている。 もちろんしゃがんでくれるようなことはしないから、私は近場の何かによじ登り緑間の髪に触れられるようにする。 場所が学校である場合は大概が机によじ登ることになるのだけれど、それを目にするたびに高尾くんは「真ちゃん、かがんでやれよ」とけらけら笑うのだった。 とても楽しそうな笑い声に眉間のしわが深くなるのを宥めようと、私は学校では多めに緑間を撫でる。 嫌がる割にされるがままの緑間のさらさらした髪が指先をすべっていくのも、すごく好きだ。 そして、その思いは今日も変わらず。 放課後の教室には私を含めて三人しか残っていなくて、うち二人が日直の仕事にせっせと励み、日直ではない緑間は退屈そうにしていた。 自分が割り当てられた分の日誌の欄を書き終え、相方である高尾くんにちまちました文字の並んだページを開いたまま渡す。 私のひ弱そうな字を見ては、読みやすい大きな字を書けと緑間は叱るけれど、どうにも直る兆しが見られない。 だからなのか、私と高尾くんのやりとりに口を出すこともしないで緑間は黙々と文庫本を読んでいた。 また難しそうな本を読んでいそうだな、と窓際にいた彼に歩み寄る。 意外にも文庫本のタイトルは私でさえ知っているもので、最近映画化された話題作だった。 私がページを覗き込んでも緑間は微動だにしなかった。 眼中にないのか意識的に無視しているのか分からない。 「仕事は終わったのか」 「うん。あとは高尾くん待ち」 「さっさとするのだよ」 どうやら意識的に無視していたらしい。 紙面から視線を外さないまま言った緑間の言葉に、「へーい」と高尾くんが気の抜けるような返事をした。 緑間の向こう側に窓ガラスを通して夕日が見える。 この頃は日が落ちるのが早くて、眩しい夕焼けが横から目を射るのだ。 意識が覚めるような赤に目を細めかけて、私は再び緑間を見た。 燃えるような赤色に晒されても個性を失わない緑の髪はいつも通りさらさらだ。 ふらふらと無意識に手を伸ばし、指先が触れる間際で緑間が本を勢いよく閉じた音にはっとする。 長い睫毛が縁取っているからこそ迫力のある瞳に睨み上げられたかと思うと、緑間はすっと席を立った。 触り心地のいい髪が、どう背伸びしても届かない位置に行ってしまった。 「…あと少しだったのに」 「甘いな。お前の考えることなどお見通しだ」 「緑間は私のこと誰よりわかってるもんね」 「…語弊のある言い方はやめるのだよ」 とても分かりにくいけれど、緑間は照れたのだと思う。 普段より少し歯切れの悪い受け答えをする彼は、自分の非を認める時か照れる時だと決まっている。 前者はめったに有り得ないのでおそらく後者だろう。 こんな風に経験と観察で心情を読み解くことにも慣れてしまって、私は自然と笑みを浮かべた。 面倒臭いなんて思わない。 高尾くんがこなしているように、緑間と付き合うことには少々の心の余裕さえあれば十分なのである。 私が傍らの机を引き寄せてよじ登るのを、緑間はやはり止めなかった。 いつものように緑間が私に黙って撫でられているのを、少し離れたところから高尾くんが可笑しそうに見ていた。 そこで、普段なら笑いはしても雰囲気を壊さない程度に留める高尾くんがふと真面目な声を出した。 「あ、名前ちゃんさあ」 「なに?」 「スカート、気をつけて」 彼の言葉に一瞬きょとんとした私に反して、緑間の瞳に宿る不機嫌の色が濃くなった。 スカート、と言われて今の体勢を思い出す。 こんなに高いところにいてはあまり行儀の良くない格好になっているんだろうと思い当たったところで、膝裏に予想しなかった温度が触れた。 がくんと揺れた視界と不安定になる体重の行き場に、思わず目の前の両肩を掴んだ。 太ももの下には支えるように緑間の腕が回っていて、すぐ下で私の好きな色がさらりと揺れる。 こんな時でも彼は几帳面で、スカートを押さえる手のひらはプリーツにしわが寄らないようにしている。 私を子どものように抱き上げた緑間の頭が目の前にあり、混乱したまま首を傾げた。 唐突な行動には高尾くんも驚いたようで、目をぱちぱちと瞬いたあと、すぐににまにまと表情を和らげる。 「あらまー」 「高尾。さっさと日誌を提出してこい」 「はいはい。真ちゃんかっこいー」 「うるさい。早く行け」 空いた片手で追い払うような仕草をした緑間を笑い、高尾くんは素直に教室を出て行ってしまった。 日直なのに取り残された私は浮遊感と慣れない状況にそわそわしたけれど、落ち着かないのは緑間も同じようだった。 私を降ろすに降ろせず、困っているらしい眼下の緑間を覗き込む。 「なんでこんなことしたの?」 「…とっさに」 「とっさに?」 「隠そうと」 「へえ」 「格好をつけるならば、守ろうとした、のだが、悪いか」 だからって彼女を子どものように抱き上げなくても。 そう思ったけれど、途切れ途切れにしか話せずにいて決して目も合わせない緑間を見たら無性に頭を撫でたくなった。 肩に置いていた両手のひらを離し、目の前にある絹糸のような髪をこれでもかと撫でた。 愛おしさに任せてむちゃくちゃに撫でたら、さすがに「落とすぞ」と低い声で言われた。 出来ないくせに、この男は何を言うのか。 された私もやった自分も恥ずかしくなるような行為をしておきながら、今更何を言われたって怖くない。 「緑間、好きだよ」 「…髪がか」 「今日くらい素直に受け取って」 私が穏やかな調子で重ねた言葉に、緑間が観念したと言わんばかりのため息を吐く。 まっすぐな髪がさらりと傾いで、より深い色をした瞳が迫ったかと思うと、瞬間何も見えなくなった。 20131029 エメラルドの海には底がない |