じっと視線を落とした先に、ゴールデンレトリバーのような金髪がふわふわとシーツに散らばっていた。
眠っている健介を、私はしゃがみこんで眺めていた。
私が鍵を開けて戸をくぐり、靴を脱いでベッドのそばまで歩いてきても健介はうつぶせ寝のまま動かない。
そのうち起きると思っていたのに、これじゃあ私が不法侵入をしたみたいではないか。
そもそも休日の朝にどうして健介の家を訪ねているかというと、特に理由はない。
理由がないから困っている。

健介は大学に入るときに一人暮らしを始め、その時にはもう合鍵を渡されていた。
その行動に気兼ねなく来てもいいという意味合いは含まれていたのだろうけれど、実際に鍵を使ったのは今日がはじめてだ。
用事がないのに寂しいからという理由で訪問するなんて。昨日の夜まではそう思っていたのだけれど。
大学入学から一カ月、学部もサークルも講義も重ならないとなると、たとえ同じキャンパスといえど健介に会う機会なんてなく。
私は、高校の部に比べればずいぶんとユルい写真サークルに入った。写真系の活動をする集まりは他になかった。
もともと幽霊部員がほとんどのサークルで、週に一度の集会に毎回遅れもせず参加する私はかなり珍しい部類の人間だった。
健介は健介で、バイトやサークルより学生の本分である勉学に励んでいたようである。
お互いに忙しいからと連絡を躊躇って、自分が寂しがっていることすら気付かず。
今朝思い立ったようにここへ来てしまったのは、高校では毎日顔を合わせていた反動からかもしれない。

でも、眠ってくれていて良かった気がする。
健介のことだ。もし起きていたら彼女だろうと私を客人としてもてなし、それとなく会いに来た理由を聞き出すに違いない。
しかもそれをほぼ無意識の優しさで、相手を不安にもさせない気遣いでもって行うのだから厄介だ。
視線は健介の寝顔に向けたまま、膝先にこつんと当たった感覚を頼りにカメラを手で探り当てた。
不意に会いたくなった理由はもう一つある。
昨日はうっかり写真の整理に精を出してしまい、その際に高校時代の記録を目の当たりにした。
驚いた。
他人に見せる用ではない個人的なアルバムには健介の写真が山ほどあったのだ。
その量の多さに自分で呆れながら、懐かしい気持ちが抑えられなかったのも事実で。
そろりとカメラを構えると、健介が小さく身動きした。

「(…あ、)」

前にも似たことがあったような、と記憶を探る。
不意打ちで健介を撮るのは楽しいことで、怒ったり驚いたりする表情は見ていて飽きない。
その不意打ちの最たるものが寝顔の撮影で、まあ言ってしまえば隠し撮りだ。
撮られたことにも気付かず、すやすや眠る健介のそばで無防備さを笑うのは、いたずらをしているようで楽しい。
今日も一枚だけ、と不思議な欲が湧き上がった。
一枚撮って、満足したら起こさないようにそっと帰ろう。
よく眠っているみたいだから、と設定をいじっていたカメラからベッドへ視線を戻した。
フレーム越しに見た健介の表情は穏やかだ。
見慣れた三白眼が閉じていることに少し寂しさを感じながらシャッターを切ろうとした。
まさにその瞬間、細い瞳がぱちっと開いて私は思わず声を上げた。

「え」

どうして起きてしまうの。
その複雑な感情は言葉にならないまま、ぐいと手を引かれてカメラがベッドの上に転がった。
腕をつかまれて身を乗り出した私と至近距離で目を合わせた健介はやや不服そうな面持ちから、いつもの得意そうな笑い方に変わる。
健介が勢いよく身を起こしたものだから、シーツがふわりと舞い上がって、落ちる。

「残念だったな。今回は阻止したぞ」
「そんなに、寝顔撮られるのいやなの」
「まあ。意地で目が覚めちまうくらいには」

タイミングがいいのか悪いのか。
ぱっと手を離してカメラを押しつけてきた健介はあくびをひとつ。
本当にさっきまで眠っていたらしく、こそこそとする私の姿が見られていないことには少し安心した。
「そんなことより、」と言葉を付け加える健介に視線を戻す。

「なんでお前いんの?起きて彼女がいるって、かなり驚く状況なんだけど」
「んー…」
「何かあったか?」

言葉に迷っていると、健介の手のひらが労るように頬へ触れてきた。
優しくすべる感覚に体温が上昇する、のを意識したくなくて、カメラをずいと突き出した。
うお、と健介がのけぞる。

「何でもないよ。最近写真撮りに出かけてないから、誘いにきただけ」
「それにしたって、もうちょい誘い方があるだろ。連絡の一つでもくれりゃ、こんな起き抜けの格好で出迎えなかったっての」
「…ごめん」
「あー、謝るなよ。怒ってねーって。それとも、何かやましいことでもあんの?」

私の内側にある不安や羞恥の諸々を見透かすみたいに、健介が笑う。
茶化すような物言いは決して無神経ではなくて、私の居心地の悪さを和らげるように響く。
ほら、急な訪問だというのに健介の行動はいちいち他人行儀なくらい気遣いに満ちている。

「…ないよ!」
「なら、堂々としてればいいじゃねーか。いつだって来ていいんだぜ。そのつもりで鍵渡したし」

ベッドから立ち上がった健介は私の横を通り過ぎ、台所の方へ歩いていく。
雛鳥のようにそれについて行ってしまうのは、ここが勝手知ったる間取りではなくて落ち着けないからだ。
他人の、彼氏の家にいるという感覚が今さらリアルに押し寄せる。
家主が寝ている間の方が好き勝手に過ごせていた私は、やはり不法侵入者というべきなのかもしれない。

「あ、そうだ。お前朝飯食った?」
「そういえば…食べてないかも」
「家に何もないから外に食いに行こうぜ。ちょっと待ってろ、支度するから」

待たせるといけないと思ったのか、コップ一杯の水を飲み干したきり健介は忙しなく寝室へ戻ろうとして、不意に足を止めた。
振り向いてじっと私を見つめたかと思うと、大股にこちらへ戻ってきた。

「名前に会うの、すげえ久しぶりな気がする」
「…うん」
「会いにきてくれて嬉しい。オレも会いたかったから」
「そ、そう」
「お前がそばにいないと寂しいよ」

相も変わらず率直な言い回しにかーっと顔が熱くなった。
健介も私と同じ気持ちで、最近会ってないな、会いたい、寂しいと思っていてくれたのだ。
それだけで、今日ここに来た甲斐がある。
照れくさくなって頷くしかできない私をぎゅーっと抱きしめて、健介は満足そうに微笑んだ。
その割には案外早く離れた彼に首を傾げると、健介の頬も赤らんでいた。

「いろいろ言い足りねーけど、今の格好で何言っても決まらないしな」
「そんなことないよ。健介かっこいいよ」
「いーや!駄目だね!彼氏に寝間着で散々言わせやがって、許さないからな」

怒っているというよりは拗ねたような言動にぱちりと目を瞬く。
さっさと自室に引き返そうとする健介に「ねえ、」と声をかけた。

「どうしたら許してくれるの?」

そう呟いた私の声音は深刻さに欠けていて、もしかすると小さく笑っていたかもしれない。
私がいつもの調子を取り戻したと知って、健介も小さく舌を出す。

「今日一日デート、ずっとオレと一緒。悪くないだろ?」

悪くないどころか。
その提案には思わず表情が綻んだ。
二人でゆっくり朝ご飯を食べてから、今日の予定を立てよう。
手を繋いで歩いて、二人の好きな場所に行くのだ。
きっと今日も、健介は写真に残したい表情ばかりを私に見せてくれる。

20130618

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -