覗き込んだレンズを通して、フレームを明るい金髪が過ぎる度にどきりとする。 その感覚を大切にしていたくて、私はますます写真を撮ることにのめり込んでいったのかもしれない。 映る彼の表情は時によりけり様々で、一つも同じものはないように思う。 それでも、私がその名前を呼んで振り返る彼は、決まって柔らかい笑顔を見せたから。 シャッターを切ってから顔を上げて、私は魅力的な被写体である以上に大切な人である健介に見惚れるのだった。 なに、見てんだよ。 そう返す声は少しあきれたようで、少し甘くにじんでいて。 そんなのはあなたが素敵だからに決まっている、と。 気恥ずかしくて言えた試しはない。 健介と桜を見にきていた。 ふわふわとこぼれ落ちそうに柔らかい薄紅の花弁が風に揺れている。 流れる空気も柔らかさを含んでいて、目を閉じていたいような気分だった。 春はいい季節だと思う。 冬のように一瞬一瞬の空間を凝縮をしたような時間を切り取ることはないけれど、一秒ごとに色を変えていくものが多くて嬉しい。 撮りたいものばかりで、それを理由に撮影に追われることは幸福だと思う。 カシャリ、と。 いまさっき写したばかりの花々にもう一度ピントを合わせていると、カメラの視界がふっと暗がりに包まれた。 すぐに顔を上げると、直接触れないようにレンズを手のひらで覆っている健介がこちらをじっと見つめていた。 「お前ってほんと、極端な」 「どうかした?」 「撮影に付き合うって言ったのはオレだけど、返事くらいしてくれよ。寂しいだろ」 後半の言葉は本心か冗談か、健介は気遣いが上手いのに加えて曖昧な笑い方をするから分からない。 ごめんね、と軽く言えば、べっつにー、とこれまた軽い返事をされて、レンズを覆っていた手を離された。 その手をひらひらと振り、背を向けて歩き出した健介についていく。 彼が立ち止まり指差した先には、また一段と見事な枝ぶりの桜があった。 「これも綺麗だからって呼んでんのに、全然来ねーからさ」 「ありがとう」 「どういたしまして」 うずうずとしてカメラを持ち上げた私の頭を、健介の手のひらが撫でていく。 思わず離れていく手を追うように視線を向ければ、子どもを見守る親みたいな顔をしている。 「あっちの方、見てくる」と、健介は軽やかな足取りで川沿いの道を歩いていった。 名残惜しく見送っていても仕方ないので、私は二、三度続けてシャッターを切った。 なんとなく、卒業式の日のことを思い出していた。 当日に満開の桜を見ることは到底叶わなかったというのに、卒業式という行事とこの花がシンボルとして強く結びついているからだろうか。 今はもう春休みで、夢みたいにふわふわした心地の日は遠い記憶のように思えた。 「また飽きずに写真撮ってんのか。卒業アルバムはもう完成したんだろ?」 校舎から目を外し、振り返った先には卒業証書の筒を片手に健介が佇んでいた。 私のそれは荷物になるからと、早々に式に来た親へ預けてしまったので、卒業生と見てわかるのは胸についた飾りの花だけだろう。 秋田では卒業式の時期にこんな春らしい花は咲かないから、造花に頼るしかないのだ。 「今日こそ私みたいな人の出番でしょ。朝から数え切れないほどクラスメイトを撮ってるよ」 「ちょっとは部の後輩に任せろよ」 「そうもいかない、みんなは見送りの準備に忙しかったんだから」 「…確かになあ、卒業式ってなんだか、オレらより心配で厄介な奴らがいっぱい集まるからな」 ぼやく健介をじっと見つめ返す。 彼は卒業式当日まで、後を任せるのが不安だとか後輩指導が足りなかったとか、散々にこぼしていたのだ。 心配ならそうと認めてしまえばいいのに、本人が言うにはもう少し複雑な感情らしい。 きっと後輩の方が彼を引き留めてなかなか離さなかったのだろう。 健介自身は清々しく笑っていた。 「バスケ部のお別れ会はどうだったの?」 「おー。でけーわうるせーわ、周りに迷惑だったろうよ」 「そういうことじゃなくて」 「まあ、湿っぽいのは苦手だからな。情けない顔してる奴らは全員一喝してやったぜ?」 語る瞳は楽しそうに、声はいつもと変わらず弾んでいる。 しっかりしている彼のことだ。 思う存分最後の仕事をしてきたに違いない。 副主将として気を張って、その務めを全うした不器用な一途さを尊敬する。 泣きじゃくる後輩たちの背を叩き、笑顔で叱る健介は想像に難くなかった。 「いっつも生意気言うくせによ、今日限りでしおらしくされたって可愛げねぇよ」 「あー…劉くんとか?」 「そうそう。劉とアツシな、あいつら筆頭だから!」 特に近しい彼らの名前を出したとき、不意に健介がその表情に寂しさを見せた気がした。 明るい声を出した割に、それきり言葉が続かない彼を前に、カメラを握りしめた私が発した言葉はこうだった。 「健介の後輩たちはどこにいるの?」 「あの辺りでまだ岡村のこと囲んでんじゃねーの…って、なんでそんなこと訊くんだよ」 「バスケ部のみんなで写真撮ってあげるから、健介もおいでよ。近いうちに現像するから持っていってあげればいいじゃない」 私の慣れない決心が鈍らないうちに健介の手を引くと、彼はぱちくりと目を瞬かせた。 次いでへらりと、気が抜けたように笑うので、自分のぎこちない気遣いがお節介ではなかったのだと思いたい。 「なるほど。朝からいろんなやつを撮ってたのはそういうことか」 「何のことかな」 「お前って、ほんと寂しがり」 会う口実がないなら作ってしまえばいい。 そんな短絡的な思考を身近な彼に見抜かれたかと思うと、少し居心地が悪い。 相手が健介であるから、まだ平気でいられるというだけだ。 納得したようにうなずく健介に腕を引かれ、これでは立場が逆だと思いながらも彼に抱きしめられる。 「そんじゃ、オレらも二人で撮るか。休み中に出掛ける時にでも、焼き増ししたのをくれよ」 そうして健介は返事を待たずに私からカメラを受け取り、私たちは身を寄せ合って少しピントのずれた写真を撮った。 結局、健介は写真という口実がなくてもバスケ部に入り浸っていたみたいだ。 やはり慣れ親しんだ場所から離れるには、私たちはまだ幼く、心の準備が足りない。 約束通り、健介と二人で撮った一枚は今日会った時に渡した。 写りが悪く、それを笑い飛ばした健介には確かに懐かしむような表情も見えて。 私は密かにそのことが嬉しかったのだ。 「あれ、撮ってないのかよ」 落ちてきた声音にはっとした。 この辺りをぐるっと歩いてきたらしい健介が、訝しげに私を見ている。 いつの間にかすっかり撮影を忘れ、手元のカメラを見ながら思い耽ってしまっていたようだ。 よく見れば、健介は携帯を手にしている。 誰かから連絡でも来たのだろうか。 「せっかく教えてやったのに」 「ごめん、ぼーっとしてた。もしかして、この後用事できた?」 「あーいや、違う。ただな、バスケ部の奴らもこの公園に花見に来るらしい。んで、誘われた」 この辺りではなかなか規模の大きい桜の名所だ。 そういう偶然もあり得るだろう。 なんとなく、続く言葉が予想できた。 「行ってきてもいいか?」 「うん。それじゃあ私は帰ってるね」 「帰るって…お前も行くって選択肢はないわけ」 少し意外そうに声を上げる健介には、逆にこちらが驚かされた。 首を傾げた健介はあー、と唸るようにつぶやいた。 「言葉が足りなかったな。お前を連れて行って、バスケ部の奴らに紹介してもいいか、って言えばわかるよな?」 「でも私、部外者だよ」 「そんなの気にする奴いねーって。それにお前は劉とも氷室とも顔見知りで、岡村も同じ学年だったから多少は知ってるだろ?」 「…まあ」 「あまり会ってないだろうアツシにはオレから紹介するし」 とんとんと上手い具合に話が進められていて、内心で焦る。 どうせなら健介には、先輩後輩水入らずで気兼ねなく楽しんできてほしい。 私が行っても特にいいことはないと言おうとしたのが分かったのか、健介は手のひらで私を制した。 「なんでそんなに気遣うんだよ」 「それは健介の方でしょ。別に今日はこれっきりで構わないのに」 「あのなぁ、オレはお前のことを知らない部員にも自慢してやりたいんだよ。もう部活中にからかわれることもないしな」 そんな風に自己顕示欲が強い人ではないくせに。 純粋に、自分の好きな人同士が仲良くやればより楽しいと考えるような彼だ。 その優しさにさらされて、嬉しさと恥ずかしさに苛まれるのは誰だか分かっているんだろうか。 すねた気持ちは、健介が乱暴に私を撫ぜてきた手のひらのおかげですぐにうやむやになる。 「また写真撮ってくれりゃいいじゃん」 「…居づらくなったら勝手に帰るからね」 「そんな思いさせねーから安心しろ。あいつらが来るまでまだ時間あるから、好きに撮ってていいぞ」 そう言って手のひらを離すとともに、近くの桜の木へ歩いていく健介を少しだけ恨みがましく見つめた。 持ち上げたカメラでピントを合わせて、ゆっくり息を吸った。 「健介!」 呼ばれて振り向いた彼はやはり、私が望んだ表情をしている。 いつだって何より残しておきたい笑顔を、何度目か分からないシャッターで切り取った。 春の日差しに透ける金髪を揺らして彼が話す声は、いつもみたく少し甘くにじんでいる。 20130327 青写真:青地に白く焼きつけた写真。未来の構想。 |