「健介、こっち向いて」 「…カメラ構えてるやつの言うことなんか聞かねえ」 うとうとしていた彼が枕にしていたジャージを引っ張り出し、顔を隠すように再び身じろいだのを笑って見つめる。 朝練の疲れが残っているのか、午前の授業を真面目に眠気から耐えた彼は昼食を食べて以来、机に突っ伏している。 その様が昼寝をする猫のごとく気持ちよさそうで、実は声を掛ける前に何度かシャッターを切ったのは内緒だ。 教室で当たり前のようにカメラを使っても気にする人はいない。 写真部の三年生ともなれば、卒業アルバムの係を任されるのは必然であるからだ。 もちろん、今の写真をアルバムに使ったりはしない。 プライベートな、私だけが持っておきたい健介の写真。 「あ、名前カメラ持ってきてんの?撮ってー!」 「いいよ。じゃ、並んで」 「ピース!」 通りかかった友人たちの笑顔をフレームに収める。 いい写真だ、とレンズから目を離しながら微笑む。 アルバムの係は、面倒さより役得だと思う気持ちが勝った。 こうして親しい人や好きな人の姿を形として残しておける役目なら喜んで引き受けたい。 係の人は普段からカメラを持ってきて、日常風景を撮っていいことになっている。 写真を撮るだけなら普段から可能だけれど、その許可や範囲がより自由になった気がして、実は密かに浮かれているのだった。 まあ、健介のように素の様子を撮られることを嫌がる人もいるけれど。 彼の照れ隠しということにしておこう。 「あの、名前さんですよね」 「…びっくりした。えっと確か、氷室くん?」 「はい、二年の氷室辰也です」 未だぐうぐうと寝ている健介の金色の頭を眺めていたら、頭上から涼やかな声で名を呼ばれた。 見上げれば、さらりとした髪で左目が隠れた綺麗な男の子が立っていた。 彼のことは何度か見かけたことがある。 健介のチームメイトであり後輩のはずだが、私は頻繁に試合を見に行っているわけではないから、ほとんど話したことはない。 その割にあっさりと私の名前を呼ばれたのが不思議で彼をじっと見つめると、何事かに気付いたらしく少し眉を下げた。 「…あ、すみません。馴れ馴れしかったですよね」 「いいえ。別に平気」 素直に思ったことを言えば、ほっとしたように氷室くんの表情が和らいだ。 礼儀正しくていい子じゃないか。 健介は後輩に恵まれている。 そう思ったところで、比較的よく知っている方の後輩を思い出した。 あちらは割と慇懃無礼な印象を受けたのだけれど。 「良かった。福井先輩は、名前さんを名前で呼ぶじゃないですか。それが自然と馴染んじゃったみたいで」 「へえ…健介って、そんなに彼女のことを話題にするような性格じゃない気がするけれど?」 「それは劉が…えっと、後輩の一人がよく話題に出して福井先輩をからかっているからでしょうね」 やはりか、と思わず苦笑いをする。 よく知っている方の後輩、件の劉くんが健介を茶化す姿がなんとなく想像できた。 それを適当にあしらう健介の姿も。 私の表情を見てか、氷室くんも困ったように笑う。 「劉のこと、知ってます?」 「少しだけね。健介と休日にバスケしてるところを見たくらい」 「独り身のやっかみか、先輩と遊びたいだけだと思うので、悪く思わないでやってください。いい奴なのは確かですから」 「ふーん…結構はっきり言うんだね、氷室くんって」 優しげな面立ちが独り身なんて言葉で同級生を指すとは思わなくて、その笑顔を見つめ返す。 雰囲気は柔らかいが、芯がしっかりとした印象を受ける。 ますます健介の後輩の株が私の中で上がったところで、思い当たることがあった。 「そういえば、健介に何か用事だった?」 「あ、そうでした。緊急ミーティングをするから伝えてくれと主将に頼まれまして」 「健介、お疲れ気味なの。私が伝えておくよ」 そばの金髪をくしゃりと撫でる。 突っ伏しているために表情は見えないけれど、先ほどから微動だにしていないので、すっかり夢の中らしい。 そんな私たちを見て、氷室くんが言葉を漏らした。 「ふふ。福井先輩がまるで子供扱いだ」 「あ、笑った?」 「なんだか微笑ましくて」 思わずといった感じで話す氷室くんの笑みは自然で、ぱっと健介から手を離す。 午後の授業が始まるまでには起こさなくちゃ、なんて考えながら。 「話で聞くより素敵な人ですね、名前さんって」 「本当にはっきり物を言うね。ありがと」 「あと、いい香りがします。柑橘系の」 香り?と首を傾げたところで、私が常に飲んでいるオレンジジュースのことだと気付いた。 と同時に、少し前の健介の言葉を思い出す。 あれは恥ずかしかったなぁ、と思っていたら背中にのしかかってきた重み。 振り返るまでもなく、起きた健介が抱きついてきたのだと分かった。 「…氷室。人の彼女にちょっかい出すなよ」 「福井先輩、おはようございます。楽しくお話してただけですよ」 「お前がしゃべると無自覚でもたらしになるからダメだ」 寝起きの低い声が耳元でだるそうに、若干子供みたいな独占欲を含んで響く。 抱きしめるといつも甘い匂いがする。 そう言われたことを健介の腕の中ではっきり思い出して、顔にじわじわと熱が集まった。 そんな私を見て「仲がいいんですね」と、氷室くんが爽やかに笑う。 そんな風に言われては、仲良しというより公然といちゃついている状況が恥ずかしい。 「ま、いーや。氷室、ちょっとオレらのこと撮って」 「な、何言ってんの?健介」 「ほら、これカメラ。ボタン押すだけでいいから」 「わかりました」 「健介、聞いてる?あと勝手に話進めないで!」 机に置いていたカメラを氷室くんに手渡す健介を振り返ろうとするも、先に大きな手のひらで口を塞がれた。 必然と大人しくなった私に健介が「ちゃんと笑えよ」と囁いて、困り果てた。 撮られるより撮る方が得意だと自分では思っている。 頃合いを見て手を離した健介に、ぼそりと言い返した。 「…本当にこの格好で撮るの」 「ああ。やっぱりお前、甘い匂いするな」 「そういうの言わなくていい」 「言ってもいいだろ。こんなの、オレだけが知ってりゃいいんだよ」 カメラを見るどころかお互いを見合って言い争っている私たちに構わず、にこにことした氷室くんは何回かシャッターを切っていた。 健介の拗ねたようなぶっきらぼうな口調が珍しくて、少し違和感を覚える。 相手の心境を思いやるより好奇心が勝った結果、思わず尋ねてしまっていた。 「もしかして、嫉妬してる?」 「うっせバーカ。ほら、カメラ見とけよ」 撮りますよ、ときちんとカウントを取った氷室くんの声に合わせて、一応笑顔を作った。 後ろで健介がどんな表情をしていたかは知らない。 ようやく私を離した彼にカメラを渡しながら、氷室くんが言う。 「綺麗に撮れましたよ」 「おー、サンキュ」 「あと明日のミーティング、今日に変更になりました。早めに来るように、だそうです」 「ごくろーさん。また放課後にな」 ひらひらと手を振る健介に、氷室くんは笑みとお辞儀一つを残して教室を出て行った。 カメラをいじってデータを見ていたらしい健介が、振り向きざまにそれを私の額にこつんと当てる。 「たまには自分の写真も撮っとけ、アルバム係」 手渡されたカメラの画面には、先ほど私が撮った昼寝の健介の写真が表示されていた。 今日は消せって騒がないな、と思っていたら頭をわしゃわしゃと撫でられた。 その表情は柔らかく、頬はほんのり赤い。 「オレばっかり撮ってんじゃねーよ」 それが嬉しかったから機嫌がいいのだと分かり、私まで気恥ずかしさに見舞われた。 知られてしまった、けれど彼がそれで喜ぶならば何よりだ。 それに、普段は写真を撮っている側の私に対する健介の気遣いも嬉しかった。 これだから、この人を可愛いと思う。 20130106 「いつから起きてた?」 「お前がオレのことわしゃわしゃーって撫でたとき」 |